1977年、英国のテレビ司会者、デヴィッド・フロストが4回にわたって、リチャード・ニクソンにインタビューを敢行した。本作品はそのドラマ化である。
ニクソンは米国史上、初めて任期途中で大統領を辞任した政治家だ。彼が工作員を使って野党・民主党が本部を置くワシントンDCのウォーターゲート・ビルに盗聴器を仕掛けるというスキャンダルが発覚したのである。
この事件について、前大統領にどれだけ肉薄できるか。
「バラエティ番組の司会者に何ができる」という米国マスコミの冷ややかな目と、「インタビューを自己正当化、さらには政界復帰の機会に利用しよう」とするニクソン側のしたたかな計算に、フロストは挑戦しなくてはならない。そこでフロストは初回インタビューの冒頭からウォーターゲート事件を取り上げた。「同事件の話題はインタビュー全体の4分の1にとどめ、しかも最終回に」としていたニクソン側との契約をあえて無視し、いきなり禁じ手を出したのである。
しかし、ニクソンは百戦錬磨の政治家だ。フロストの奇襲を軽くいなし、自らの実績や外交の成果を朗々と語り続ける。結局、第3回までのインタビューはニクソンの独壇場だった。
このままではニクソンをヨイショする提灯番組で終わってしまう――フロスト陣営(フロスト、英国テレビ局のディレクター、米国の新聞記者、ニクソンの犯罪を追うフリーライターの4人)の焦りは募る。
絶体絶命のピンチに陥ったフロスト。そこに思わぬ深夜の電話が入ったのを機に、形勢は逆転していくのだが、それを可能にしたのは事実のもつ力だった。第4回目のインタビュー。これまで誰も注目しなかった当時のメモをフロストが取り上げることで、ニクソンは焦燥と怒りを露にする。
それでもニクソンは事件に関して国民への謝罪の言葉を口にすることはなかった。しかし、冷静さを失った彼の表情がテレビに映し出された時点で、ニクソンが「死闘」と名づけたインタビューは、フロストの勝ちであった。
この映画、前半はカメラが落ち着きなく動くドキュメンタリー風な語り口。中盤のインタビューからは一転、クローズアップを多用する密室劇のような展開へと変わる。
フロスト、ニクソン両サイドのブレーン(を演じる俳優)が当時を振り返る回想シーン、顔は似ていないのに、クライマックスに向けて、元大統領と化してくるニクソン役の俳優……。
こうした虚々実々の演出が、この映画の最大の魅力である。
(芳地隆之)
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