英国のサッカースタジアムは、日々、単純で退屈な労働を強いられているワーキングクラスの唯一の楽しみの場だった。1960年代には立見席もあり、子供料金は30ペンス(現時点のレートで約50円)。父親と一緒に立ったまま地元チームに声援を送るのが少年たちの日常だった。
現在の英国プレミアリーグの平均入場料は30ポンド(同約4800円)である。莫大なテレビ放映権料が入るクラブチームは投資の対象となり、選手の平均年棒と一般勤労者の給与の差は、かつての3倍程度から、いまでは3ケタ以上に拡大している。1980年代以降、進められた自由主義経済の「成果」のひとつだが、格差を生むシステムは、21世紀に入ると、国境を越えて広がった。
この映画の主人公、シングルマザーのアンジ―は、ロンドンに本社を置く職業斡旋会社で外国人の派遣を担当していた。労働市場のグローバル化によって、旧東欧諸国から英国への労働者派遣が可能となったことで生まれたビジネスである。アンジ―はそこで十分な業績を上げていたにもかかわらず、上司のセクハラに抗議したことで解雇。友人のローズとともに、職業斡旋事務所を立ち上げる。
大手派遣会社に対する反骨心を支えに、彼女は荒稼ぎした。不当に解雇された者が、会社を見返してやるために、自分より立場の弱い者を食い物にする。そんな構図が見えてくる。
彼女のがむしゃらながんばりは、たくさん金を稼いで、いまは両親の元に預けている一人息子ジェイミーと幸せに暮らすためでもあった。しかし、いつしか手段が目的にすり替わり、彼女は危ない橋を渡る。これまで行なってきたポーランドやチェコなど、新規にEUへ加盟した国の労働者への職業斡旋から、不法就労者の派遣に手を染めるのである。
利益を上げるためには手段を選ばないアンジーは、パートナーのローズに見限られ、賃金未払いとなった派遣労働者の恨みを買い、復讐に遭う。
ラストはそれでも変わらぬアンジーの現実である。厳しい現実を見据えることからしか、世の中は変えられない。ケン・ローチ監督のメッセージが聞こえてくるようだ。
スペイン市民戦争に共和国軍側の義勇兵として加わった英国人労働者を回顧する『自由と大地』、鉄道民営化による効率優先の経営下で苦闘する鉄道マンの物語『ナビゲーター』、そして、2006年カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞したアイルランド独立戦争を描いた『麦の穂をゆらす風』――。
『この自由な世界で』は受賞後初の作品だが、すでに次回作も待機中である。郵便局員のシングルファーザーを主人公したコメディとか。ローチ監督の骨太な映画づくり、健在である。
(芳地隆之)
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