1994年にピューリッツァ賞を受賞した報道写真「ハゲタカと少女」を覚えている方も多いだろう。紛争下のスーダン。飢えによって地面にうずくまる黒人の少女と、彼女を数メートル先で見つめるハゲタカ。自分の頭さえ支えられないほど衰弱した少女に、ハゲタカがとんとんと跳ねて近づいていきそうな気配が写真全体を支配している。
南アフリカのカメラマン、ケビン・カーターの作品は世界に衝撃と論争を巻き起こした。
なぜカメラマンは写真を撮る前に、子供を助けようとしなかったのか――賞賛と同時に厳しい批判を浴びたカーターは、テレビのインタビューで撮影時のことをこう語った。
「シャッターを押した後、私はハゲタカを追い払った。そして、泣きながらその場を去った。その後、少女がどうなったか、知らない……」
カーターはピューリッツァ賞受賞から4カ月後、自ら命を絶った。痛々しい死の知らせだった。
この小説の主人公、アンドレス・フォルケスは元戦場カメラマンである。プノンペン、ベイルート、モガディシュ、シエラレオネ、サンサルバドルなど、世界の紛争地に赴き、シャッターを押し続けた。彼の多くの作品は世界のメディアの巻頭を飾った。
フォルケスは、ケビン・カーターのように自分を責めはしない。ヒューマニズムはレンズを曇らせる、写真から主観を徹底的に消す、自分は観察者でしかない。戦場で目撃した数え切れない不条理な死が、絶望のような諦観を彼に植えつけたのだろう。
フォルケスは30年間にわたる戦場写真家としての仕事を捨て、いまではプエルト・ウンブリアという港町の望楼のなかで戦争画を描いている。そんなある日、彼の前に、クロアチア人、イヴォ・マルコヴィチと名乗る男が現れた。マルコヴィチはフォルケスのかつての被写体の一人だった。ユーゴスラビア紛争時、民兵として戦闘に加わっていたマルコヴィチは、フォルケスのカメラに収まり、その写真が世界に配信されたことで、自分の妻と息子をセルビア兵に惨殺されたのである。マルコヴィチはフォルケスに問う。
あなたは「自分は観察者だ」といいますが、加害者でもあるのではないですか?
地中海特有の暑い夏の日。静謐だが、緊張感をはらんだ対話が続く。
「アフリカの紛争地で捕虜が山刀で切り殺される場面に居合わせた私は、『殺さないでくれ』と兵士に懇願したこともある」と語るフォルケスに、「もしカメラマンのあなたがそこにいなかったら、兵士は殺さなかったかもしれない(あなたがそこにいたから兵士は殺したのだ)」と反論するマルコヴィチ。想像することを拒みたくなるような2人の戦場体験は、ユーゴで地雷を踏んで死んだフォルケスの恋人、オルビド・フェラーラについての回想と複雑に絡み合う。
そして、読み進めるうちに、私たちは、自分もまた世界の戦争と無関係ではないのではないかと思い始め、どうしてフォルケスが戦争画を描き続けるのか、その理由を感覚的に理解するのである。
古今東西の戦争を語りながら、息詰まる密室劇を見ているような感覚にとらわれる小説だった。
(芳地隆之)
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