ドイツの一大工業地帯、ルール地方にあるエッセンベック鉄鋼財閥(現在のドイツの鉄鋼メーカー「ティッセン・クルップ」がモデルといわれている)が国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に取り込まれていくさまを描いた作品である。初めて観たのは20年以上前。東京の小さな名画座で、度肝を抜かれたことを憶えている。
アドルフ・ヒトラー率いるナチスが政権を獲得した直後の1933年2月。フランス国境に近いエッセンでは、財閥の長であるヨアヒム・フォン・エッセンベック男爵の誕生日が祝われていた。そこに「ベルリンの帝国議会が放火された」とのニュースが入る。新聞・ラジオは一斉に「犯人は共産党員の仕業」と報じ(本当はナチス党員が仕組んだ)、政府は国内の批判勢力の一斉摘発を開始する。冒頭から、不穏な空気が覆い始める。
エッセンベック男爵は、ナチスを野蛮な連中と蔑みながら、権力を握る彼らと手を組まざるをえないと決断する。しかし、それは自らの命も失う権力闘争の始まりだった。
裏で糸を引くのは一族の親戚筋に当たるアッシェンバッハだ。ナチス親衛隊(SS)幹部である彼は、反ナチスの姿勢を示す副社長のヘルベルトを、エッセンベック男爵射殺犯の濡れ衣を着せて追放する。
犯人は、男爵の娘で未亡人のソフィと結婚し、財閥トップの座を狙うフリードリヒだった。アッシェンバッハが、エッセンベック財閥を手中にするというフリードリヒの野心を利用したのである。
次の標的は男爵の甥、コンスタンチンだった。ナチス突撃隊(SA)のメンバーでもある彼は、ヒトラーの尖兵として、国内反対派を弾圧していたのだが、陸軍以上の力を握ろうとしたSAはヒトラーの逆鱗に触れ、武装SSによって粛清されるのである。
こうしてフリードリヒは最高経営責任者の座につく。しかし、政府と対等な立場を求めた彼を待っていたのも死であった――。
救いようのない、絶望的な映画である。それでもスクリーンに釘付けされてしまうのは、濃密なストーリーと無駄のないショットが生む緊張感からだろう。
登場人物のなかで、とりわけ異彩を放つのはソフィと前夫との間に生まれた息子、マルティンだ。女装を好み、幼児性愛癖を捨てられないマルティンは、ナチスの優生思想とは対極にある。その彼が最後には母を破滅させ、親衛隊幹部としてエッセンベック財閥を支配下に置くのである。
反ナチス映画というよりも、ファシズムそのものを暴き出すような作品だ。映像美は、観客を破滅への衝動にかきたてるのではないかと思わせるほど。ヴィスコンティ、恐るべし。
(芳地隆之)
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