著者は経済問題を語る際、しばしば絶妙の比喩を使う。今年初めに出版された「グローバル恐慌――金融暴走時代の果てに」(岩波新書)では、サブプライムローンを「飲み屋の親父がツケで飲む客の請求書の山を束ねたり、分割したりして福袋を作り、それをご近所に売り歩いた」と表現した。本書では、世界恐慌の前夜の私たちは欠陥商品型ホットプレートの上にいたという。
そのホットプレートは全体にうまく熱がいきわたらない。BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)などの新興国が位置する場所は熱気で満ち溢れていても、成熟経済のいるところは冷え冷えとしている。なかでも冷え切ったスポットは下方柔軟な賃金に甘んじるワーキングプアの人々だ。足下は冷え切っていながら、物価だけは上がるので、喉には焼け焦げた食べ物を入れられている。そんな状態だ。
「目の前にはいないインド人たちの活躍によって、中国人たちの仕事ぶりによって、ベトナム人たちの熱気によって、日本人たちの雇用機会が奪われていく」ような「グローバルジャングル」で、大手企業は人件費に手をつけた。厳しい競争に生き残るための合理的選択かもしれないが、それによって失業者は増える。消費は冷え込む。モノはますます売れなくなる。企業はさらに従業員のクビを切る――自分だけ良ければと思ってとった策が、経済全体をきりもみ状に落下させていくのである。
世界に「自分だけ良ければ病」が蔓延するなか、日本が果たしうる役割はあると著者はいう。資本主義の暴走でも、統制経済の復活でもない第3の道。それを目指すならば、「丸腰で、資源についても圧倒的に他人依存で、自分一人では何もできない。高齢化社会の進展振りはまさにドンキホーテ国家というにふさわしい」日本にこそ可能性があるというのだ。
著者は福田康夫前首相にも期待していた。控えめながら仕切り役に徹し、腰が低くて粘り強く、難題をまるく納める福田氏が「大番頭さん」のように見えたからである。各国がエゴをむき出しにしている国際社会では、著者のいう「バントウ外交」が危機管理の役割を担えるのかもしれない。
しかし、ご存知のとおり、彼はいささかヒステリックな捨て台詞を残して、政権を放り出した。著者は当時、新聞紙上で「福田氏は政権発足当時、自らを“背水の陣内閣”と称していたが、彼は“背水の陣”という言葉の意味がわかっていたのだろうか」と皮肉のコメントを寄せたが、(グローバル)ジャングルがジャングルたりうるためには、共存共栄をめざした説得力と粘り腰をもった国が必要であり、そんなプレーヤーに日本はなりうるのである。
(芳地隆之)
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