すでに各国で賞賛されていることも知らず、装丁とあらすじに惹かれて本書を読み始めたところ、その語り口と内容に打ちのめされた。
ロンドンのサッカースタジアムで仕組まれた爆弾テロにより、スコットランドヤード(ロンドン警視庁の通称)の爆弾処理班に勤務する夫と4歳数カ月の息子を失った女性。彼女がテロの首謀者(と思われる)オサマ・ビン=ラディンに書く手紙がこの小説である。
漠然と予想していた展開は、初めはオサマ(文中で彼女は彼をファーストネームで呼ぶ)に憎しみの言葉をぶつける主人公が、やがてテロを生んだ温床や社会的背景を知り、最後にはイスラム社会との共存について考えていくというものだった。
甘かった。そんな陳腐なイメージしか湧かないおのれの想像力の乏しさを思い知らされた。
主人公の女性はきわめて抑えた感情で、テロが起こるまでのロンドンの労働者階級の生活ぶりを淡々と綴っていく。住んでいるアパートメント、好みのテレビ番組や音楽、身につける服、乗っているクルマ、買い物をする店など。まるでオサマに、彼が殺害した人々がどんな日々を過ごしているのかを知らしめるかのように。シティ(ロンドン市内の金融街)を肩で風を切って歩く人間たちとはまったく違う人々なのだと。
その後、彼女のペンは、自分と同じように爆弾テロによって精神が壊れてしまった人間たちとのいびつな関係に及ぶ。そして、その関係を通して、事件の背景が明らかになっていく。
支配階級ではなく、支配される側の人間がどうして殺されなければならなかったのか。政治権力の悪意と打算。否応なく9・11を連想させる。
だが、物語はそれで終わりではない。むしろ、それを引き金にして、物語はスピード感を増していくのだ。
並みのミステリではとても敵わない。どんでんがえしの連続の果て、最終章では一転、これまでの文体が変わり、オサマへの直截なメッセージとなる。これには、さすがのアルカイダのトップといえども、唸らざるをえないのではないか――そう思わせる、静かだが説得力のあるラスト。
すごい小説だ。
(芳地隆之)
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