舞台は中国内蒙古自治区。井戸掘りの際の事故で下半身不随となった夫、そして息子と娘の三人の家族を養うトゥヤーという女性が主人公である。トゥヤーは馬に乗って数十キロの距離を往復して水を運び、羊の群れを放牧する。女手ひとつでこなすにはあまりに過酷な仕事であり、彼女の身体は限界に達していた。
見るに見かねた夫、バータルは自分は姉の家に厄介になるので、離婚しようと申し出た。トゥヤーが再婚すれば、彼女の負担は減るし、生活も楽になると考えたからだ。
広大だが、人間関係は密な土地柄なのだろう。トゥヤーの再婚話を聞きつけ、多くの男性が彼女のもとを訪れる。しかし、たいていの男たちは求婚を諦めてしまう。というのもトゥヤーの再婚の条件が、バータルを含めた家族全員を引き取るというものだからだ。
この映画が描く世界は、私たちの日常からとても遠い。
内モンゴルの風景からしてそうだ。褐色の大地、遠くに連なる鋭い頂の山々、なだらかな稜線を描く牧草地帯。太陽の光の強さ、乾いた空気、肌につきささる草原の風さえ感じられるような自然の映像に、冒頭から圧倒される。
ところが、そうした風土を見ていくうちに、私は内モンゴルの過酷な自然に自分が近づいていく錯覚を覚え、トゥヤーへの共感を深めていくことに少なからず驚いた。
人間の生活は、その土地の自然や文化に強い影響を受ける。世界には、自分の想像力など足元にも及ばない生活をしている人々が無数にいる――それを実感すると同時に、人間はみんな同じなのだと確信させる力が、この作品にはあると思う。
紆余曲折を経て、トゥヤーは再婚を果たすものの、これから背負っていくだろう彼女の悲しみを暗示して、映画は幕を閉じる。
映画評論家、佐藤忠男氏の『映画で世界を愛せるか』(岩波新書)という著作を読んだ方もおられるだろう。日本で公開される外国映画がいまよりも欧米に偏重していたころ、第三世界と呼ばれた国々の優れた映画を数多く発掘し、私たちに紹介してくれた佐藤氏ならではのタイトルだ。
『トゥヤーの結婚』を見た私は、「映画で世界を愛せる」と思った。
(芳地隆之)
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