戦争放棄をうたった日本国憲法第9条は、しばしばエキセントリックな攻撃にさらされる。
隣国が攻めてきたら、何もせずに両手を挙げて降伏するのか? という問いかけならまだしも、「泥棒を入らせないためには家に施錠するだろう」とか、「女性が強姦されても、黙って見ていろというのか」とか、「防衛」と「防犯」をいっしょくたに語る政治家にいたっては、国政を預かるプロフェッショナルかと疑わしくなる。
こうした反応になるのは、彼らにとって9条が戦後唐突に現れたように見えるからだろう。だから「アメリカに押し付けられた」と感じるのではないか。
本書を読むと、「戦争放棄」の理念は突発的に生まれたのではなく、長い歴史の上に育まれてきたことがわかる。
「戦争は戦争を止めるためだと言います。……しかしながら戦争は実際戦争を止めません。否、戦争は戦争を作ります。……戦争によって兵備は少しも減ぜられません。否、戦争が終わるごとに軍備はますます拡張されます」
こう語ったのは内村鑑三だ。1861年生まれのキリスト教哲学者は、日本が大陸進出への足場を固めた日清、日露戦争の結末をみて、こう述懐した。
「戦争によらなくても紛争解決が可能となる方法を探り出すことを国民一人ひとりが自ら追及し、国民の抗しがたい要求の結果として戦争を廃絶していかないかぎり戦争は廃絶されることはない」と考えたのは、20世紀前半に多くの著作を発表したアメリカのジョン・デューイである。彼は「戦争を終えるための戦争」という大義の下、未曾有の犠牲者を出した第一次世界大戦の教訓から、戦争非合法化運動を展開した。
国家による戦争をいかにくいとめるか――18世紀のヨーロッパの哲学者たちから生まれた非戦思想には、国家間の兵力の均衡という「力による平和」は永続しないという確信があった。
「戦争を起こす主体は政府であり、戦争とは政府の行為であるとの理解に立って、その政府の行為を止めるのは主権をもつ国民以外にない」と著者は指摘する。それを世界史上、初めて明文化したのが日本国憲法であり、「平和の問題が、国境を越えてしか成立しえない以上、その保障も国境を越えてしか意味をもたないのはあまりにも当然である」からこそ、著者は9条を世界史のなかに位置づけたのだと思う。
戦争と平和について考えるとき、政府の言説に拠りがちな発想を、国境の向こう側に飛ばしてみよう。そうすれば違った世界が見えてくるかもしれない。
できれば本書とともに、著者の『日露戦争の世紀』(岩波新書)を併せて読んでほしい。優れた歴史書は、読者の想像力を膨らませてくれる。
(芳地隆之)
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