本書は2004年に刊行された。この間、著者が指摘する問題点は改善に向かうどころか、ずぶずぶと深みに嵌る一方に見える。
本書の一説がその理由を端的に表していると思う。
「高度成長時代にはいつでも高度成長が続くと思い、そのような理論を発表する。そして石油危機が来ると、今度は日本経済は沈没するというようなことを言う。バブル時代になると、株価はまだまだ上がるとアメリカのポートフォリオ理論を導入して主張する。インターネットが普及しはじめると、IT革命がこれからずっと永続すると言う。そしてバブルが崩壊すると、今度は長期不況論を唱える。現状がたえず続くと思っているから判断する必要がない」
これはいわゆる「御用学者」に対する批判だが、昨今の歴代総理大臣の言動を連想させる。リーダーシップ=決断する人と早合点するあまり、状況に応じた判断をすっ飛ばし、あげく迷走と混乱を繰り返すパターンが多すぎるのだ。定額給付金の支払対象とその方法、地方交付税額をめぐる麻生発言の二転三転ぶりは、「初めに選挙ありき」の判断停止が招いた結果だろう。
イラクへの自衛隊派遣を「決断」した小泉元首相が「自衛隊がいる地域が非戦闘地域」といった珍答弁を重ねたのは、イラク戦争に関して、それを遂行したアメリカに事の判断を委ねてしまったからであった。
判断を他者に任せてしまう最大の罪は、結果責任を負わないことだ。2003年11月、日本の外交官がイラクで殺害された際、イラクでの任務を命じた当時の外務大臣、さらに、その上の総理大臣が何らかの責任をとっただろうか。
「現状がたえず続く」という思考では、いま世界で起こっている変化に対応することはできない。100年に一度といわれる金融危機のなか、第44代アメリカ大統領に初の黒人候補者が選ばれたことへのコメントを「どなたがなっても日米関係は不変」(麻生総理大臣)とまとめてしまうセンスは、かなりヤバイのではないか。
本書は「Ⅰ なぜ判断をあやまるのか」「Ⅱ判断力のない人」「Ⅲ 判断力をつけるために」の3部構成で、Ⅲではマスコミについても言及している。
「ニューヨーク・タイムズ」や「ル・モンド」など、先進国のクオリティ・ペーパーと違って、数百万部もの発行部数を誇る日本の新聞社は大企業である。社員記者は数年毎の人事異動の対象となるため、政治や経済など、その道の専門家となる記者がなかなか育ちにくいという。
巨大化した会社をダウンサイジングし、専門記者を育てる。そして、足りないマンパワーは社外のフリー・ジャーナリストと契約してはどうかと著者は言う。
戦後から続く支配体制は「政-官-財」という鉄の三角形を基本にしてきた。そのトライアングルは、ときに学者やジャーナリストを取り込むことで、自らを補強し、存続を図る。著者の提案は、その一見不変な現状に風穴を開ける可能性を感じさせた。
(芳地隆之)
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