封切前と後の反響の落差がこれほど大きい作品も珍しい。
自民党の稲田朋美議員が中心となって要求した国会議員向けの試写会、それに反応した右翼の上映予定館への抗議、そして映画館の『靖国』上映自粛の発表と、政治家の事前検閲や映画館の自主規制の問題に関する議論が沸き起こったのは2008年春だった。その後、上映に手を挙げる映画館が現れ、こうしてDVDもリリースされた。ところが、一般の人々の目に触れたとたん、周囲の騒ぎが嘘のように収まった感がある。
監督の李纓氏は封切前、週刊「エコノミスト」誌(2008年4月8日付)のインタビューでこう述べている。
「……靖国神社は、日本にとってのシンボルです。一方では戦争で犠牲となった軍人たちの霊を祀り、一方では戦争犯罪者を祀っている。すごく矛盾している。その矛盾は何を語っているのか。……とにかくそれを知りたかった」
旧日本陸軍の軍服を着て参拝する男性、「(靖国を参拝する)小泉支持」と書いたダンボール紙と星条旗を掲げて境内に立つアメリカ人、合祀を取り下げるため、宮司に激しく抗議する台湾の遺族、小泉首相の参拝反対を表明し、参拝者から袋叩きに遭い、警察官に連行される若者――カメラはすべての対象を等間隔でとらえる。
映画はいずれの立場を代弁するわけでもない。90歳になる靖国刀の刀匠、刈谷直治氏が刀を鋳造していく姿を中心に据えた映像は静けささえ漂う。
しかし全編につきまとう違和感は何だろう。
たとえば小泉元首相の「二度と戦争を起こすまいと誓い、先の戦争で国のために命を落とした英霊を追悼するために参拝するのである。どうして、中国や韓国に気兼ねする必要があるのか」という意見を支持した人々がこの作品を観たら、一国の総理大臣による参拝が「外国に気兼ねするな」の一言で済むような行為でないことに気づくだろう。兄を戦争で失った浄土真宗の住職が「英霊として国に祀られたために、遺族の悲しみや悔しさをどこへぶつけていいのかわからない」として、靖国神社に合祀取り下げを求める姿には考え込まざるをえないはずだ。
ラストの空撮では、東京都千代田区という首都の中心部の森に閉じ込められるように存在する靖国神社の特異性が浮び上がる。
「首相の参拝の有無」が毎夏メディアの恒例行事になるような状況は尋常ではない。この映画にメッセージがあるとすれば、よりオープンな場で議論をすることによって、靖国問題に終止符を打とうということだろう。封切後の沈黙は、それを私たちが真正面から受けとめるための準備のようにも思えた。
(芳地隆之)
ご意見募集