私たち日本人がアメリカを見る目は、ニューヨークやワシントンなど金融と政治の中心である東海岸、あるいはロスアンゼルスやサンフランシスコといった太平洋を挟んで向き合う西海岸の都市に偏重し、その間に広がる内陸部への視線が欠落している。こう指摘するのは、世界における日本の立ち位置について鋭い発言を続ける寺島実郎氏だが、確かに「パスポート保有率が10%に満たない」といわれるアメリカの内陸部や南西部に私たちはあまり目を向けない。
時代背景が1964年、しかもフィクションということを差し引いても、この作品に描かれるミシシッピーの田舎町は、私たちが普段メディアで接するアメリカとは異質の、リアルな匂いを感じさせる。
冒頭、公民権運動家3人が乗る乗用車が深夜、何者かに追われる。彼らが仕方なく停車し、窓を開けると、「お前らはユダヤ人か? ニガーの匂いがするぜ」と聞くに堪えない罵声とともに銃弾が浴びせられる。被害者は、黒人の選挙権を求める運動を始めたことからクー・クラックス・クラン(KKK=白人至上主義者の秘密結社)に命を狙われた黒人青年と、彼を助けようとした2人の白人青年だった。
事件解決のため、ワシントンからFBIの若きエリート捜査官、ウォードと叩き上げのアンダーソンが現地に派遣される。そして、彼らが事件の解明を進めていく過程で、アメリカ南部に巣食う人種差別の現実が明らかになっていくのである。
北部からやってきたエリートたちに俺たちの何がわかる? 町長や保安官をはじめ、地元の人間はFBIに激しく反発する。そこには、プアホワイトがさらに弱い立場の黒人たちを不満解消のはけ口にするという歪んだ構造もあった。黒人たちは町の白人たちの報復を恐れて、FBIに何も語ろうとはしない。
生真面目なウォードは正攻法で捜査を進めようとし、アンダーソンは法律に抵触しかねないやり方で突破口を探る。そのため両者は捜査方法でことごとく反目するのだが、黒人の家への放火など、次々に起こるKKKの無法行為を前に、ウォードはアンダーソンの流儀に合わせるのだった。
この映画の公開当時、ウォード役のウイリアム・デフォーの、それまでのアクの強いキャラクターから一皮向けた、知性的な正義漢ぶりが新鮮だった。アンダーソン役のジーン・ハックマンは、アカデミー主演男優賞を受賞した『フレンチコネクション』の刑事ポパイを彷彿とさせる痛快かつ奥深い演技を見せる。
アメリカ映画特有の勧善懲悪スタイルが気になる向きもあると思うが、ここは2人の活躍に手に汗握って、エールを送りたい。
(芳地隆之)
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