政治家は本来、熱い心と冷めた頭をもっていなければならないのに、冷たい心に熱い頭をもった人間が多すぎる。そういう人たちが戦争を起こす。でも、そんな人間を選ぶのは私たちなのだ――本書を読みながら、著者のかつての言葉を思い出した。
熱い気持ちと冷静な頭、そして驚くべき記憶力によって綴られた自叙伝である。なかでも、生まれ故郷の長崎で過ごした少年時代は濃く、重い。
1935年に長崎で生れた著者は10才のときに被爆した。
「マグネシュウムを焚いたような白い光が、窓の外を、一瞬、写真の陰画と陽画が逆さまになった世界に変えました」
自宅で絵を描いていた著者は、その瞬間、椅子をずらして立ち上がり、二~三歩下がったので、閃光の直撃を免れた。しかし、家から一歩外へ出た世界は地獄絵だった。
男か女かさえわからない、何かの下敷きになった人の手が著者の腕をつかむ。その恐怖から夢中でその手を振り払う。すると、その人の手や腕の肉がずるりと抜け飛ぶ。しかし、それは著者の手首を握ったまま離れない。著者は半狂乱になって走り出す……。いまも戦争の不条理を強く批判する著者のルーツと思わせる場面だ。
あの戦争から5年後、著者は上京して国立音楽大学付属校に進学するが、中退。17歳のときに銀座の「銀巴里」でシャンソン歌手としてデビューを果たす。
それ以降の数々の男たちとの恋の遍歴は、生半可な恋愛小説よりもスリリングだ。出会いと別れ、駆け引きや嫉妬、感情のもつれやぶつかり合いが、人間の強さ、弱さ、ずるさ、優しさなど、あらゆる面を露わにする。
そんななかでも、著者は長崎の家族に送金し、弟たちの進学費用を工面し続け、そうした経験をすべてひっくるめて生れたのが名曲『ヨイトマケの歌』だ。
長崎時代の貧しい、いじめられっ子の同級生の思い出。着飾った母親たちが互いに値踏みするような授業参観の日、男の子の母親は、もんぺ姿で、さっきまで姉さんかぶりをしていた手ぬぐいを手に握り締めて、やってくる。母親は家計を支えるため、ヨイトマケ(女性の土木作業員)として日々、汗を流しているのだった。そんな記憶が著者のなかでよみがえり、「父ちゃんのためなら エンヤコラ 子どものためなら エンヤコラ」という歌詞が生まれたのである。
本書の終盤には寺山修司と三島由紀夫が登場する。寺山は美輪明宏を想定して、戯曲『毛皮のマリー』を書き、三島は自作『黒蜥蜴』の映画化で美輪と競演した。2人の芸術家は、美輪の才能の背景にある、尋常でない半生に畏怖を感じたのではないだろうか。
本書は1968(昭和43)年の初版から2007年に新装版が出されるまで、40年近くにわたって読まれ続けている。一度聞いたら忘れられないタイトルだ。
(芳地隆之)
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