馳星周の小説を読んだことのある方ならお分かりだろうが、彼の描く世界は暴力、裏切り、セックスが渦巻き、呪詛に満ちている。1960年代末、日本への返還を前にした沖縄を舞台にしたこの作品に、読者を癒すような碧い海やさんご礁の描写はない。場所はほとんどが裏通りであり、自然といえば、やんばるの森くらいだ。しかし、そこで主人公、伊波尚友は生涯唯一愛した人の屍を埋め、彼を追う者を殺すのである。
沖縄市がまだ「コザ」と呼ばれていた米軍占領期。伊波はアメリカのグリーンカード(永住権)を手に入れるため、CIAのスパイとして沖縄の反戦運動家の動向を追っていた。しかし、彼の心情は次第に、孤児院施設にいたときからの馴染みである比嘉政信、そして、アシバー(沖縄の方言で「遊び人」を意味するが、ここでは「やくざ」として使われる)の親分(通称マルコウ)に傾き、彼らとともに武装して米軍基地へ突入する意志を固めていく。
CIA、反戦運動家、アシバーの間を行き来し、猟犬のように情報を嗅ぎ回る二重スパイ、伊波尚友を追う馳星周の筆致は、あいかわらずスピーディだ。始めのうちはそのテンポに遅れがちで違和感を覚えるが、こちらの読むスピードが追いつくにしたがって、アルコールとドラッグで酩酊したGIの運転するクルマが住民を轢き殺しても無罪放免とする駐留米軍、沖縄より米軍に目を向けている「やまとーんちゅ」日本政府に対する怒りが伝播する。伊波の怒りは、あまたの不条理を最後には受け入れてしまう(受け入れざるをえない)沖縄の「うちなーんちゅ」にも向けられ、物語はさらに加速していく。
馳星周の小説に登場する多くの主人公がそうであるように、伊波もまた狂気への一線を越えてしまう。それでも作品がリアルな肌触りを失わないのは、島を覆う突然の雨や熱帯夜、GIがたむろし、クスリでラリっているバー、彼らを相手にする胡散臭いライブハウス、あるいは反戦活動家の生真面目さなどを描くペンから、湿気や体臭までが漂ってくるからだろう。
馳星周はかつて「ヒューマニストはノンフィクションを書き、リアリストは小説を書く」というようなことを言った。彼の描く現実は、ときに目を背けたくなる。それでも読み続けると、読書の快感とともに、自らのざらついた感覚が喚起されるおそれがあるので、注意されたし。
(芳地隆之)
ご意見募集