本書は、井上ひさし氏が長年抱き続けてきたボローニャへの思いを結実させた紀行文である。
イタリア中央部よりやや北に位置する町、ボローニャは第2次世界大戦での敗戦後、市民総出の都市づくりを始めた。きっかけは、戦後初の選挙で、ボローニャ市長および市会議員すべてを革新側(社会党と共産党)が握ったことだった。
アメリカが、戦争で荒廃したヨーロッパに対する復興資金を供与するマーシャル・プランを立ち上げた際、保守中道(キリスト教民主党)が政権を握るイタリア中央政府の首相は、「マーシャル・プランは社会主義を防ぐ資金でもあるから、すでに社会主義になっている市への復興資金は出さない」と言った。これに対してボローニャ市民は、「市の体制を決めたのはわれわれだ。そういうなら、金は一文もいらない」と反発。以下の4つの取り決めをした。
その1 働き手となる女性が安心して働けるよう保育所をつくる。
その2 県の土地や建物を利益目的で売買することを禁止する。
その3 ローマ時代以前からある古い建物を保存する。
その4 町を建て直すために、戦前から盛んであった機械工業をより活発にする。
ボローニャ経済の中心となったのは、1924年に設立された包装機械製作会社ACMA。世界で初めてチョコレート自動包装機械をつくったメーカーである。
同社からは優秀な社員が次々と独立、分社化していくのだが、その際、ACMAは「親会社(ACMA)の技術は持ち出してもいいが、同じ機械をつくってはいけない」という条件をつけた。その結果、自動ティーバッグ包装システムやコンドーム(これも包装品)製作機械など、様々な技術を開発する50社以上のグループ企業が生まれた。ちなみに自動ティーバッグ包装システムは伊藤園、コンドームは岡本理研が発注元である。
ボローニャ経済に、限られたパイを取り合うような競争はない。むしろ、共存の思想が、世界市場で競争力を発揮する企業を生んだといえる。
こうした思想は演劇や映画といった文化、また障害のある人たちの就労支援などを行う社会的共同組合も育てていくのだが、そうした活動を支えるのは、市民の自分たちの町に対する愛情だ。
井上氏は、ボローニャ市民にとって、平和を守るとは、自分たちの日常を守っていくことに等しいのではないかという。愛すべき風土や、そこに住む人々の顔を思い浮かべられないと、人は愛国心といった、天下国家の抽象論に傾きやすくなるのではないか。
ちなみにイタリア憲法は「労働に基礎を置く民主的共和国であり(第一条)、手工業の保護および発展を図る(第四五条)」と自らを定める職人国家である。なるほど、フェラーリやブルガリなど、世界に名だたるブランドが育った背景には、この国の憲法があるのかもしれない。
(芳地隆之)
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