イラク開戦の直前、作家の池澤夏樹氏と写真家の本橋成一氏が『イラクの小さな橋を渡って』という本を上梓した。大量破壊兵器があるとか、サダム・フセインが国民を弾圧しているとか、アメリカはイラク攻撃の理由をいろいろと列挙しているが、爆撃の対象とされているイラク国民はどんな人たちで、どんな日常を送っているのだろう。そんな問いかけから現地へ向かった池澤氏と本橋氏が、イラク人の素顔を文章と写真に収めた本である。読者の心に、戦争の残酷さや不条理を静かに深く刻む作品だった。
この映画の冒頭にも、バクダッドの市場で働く大人や、ボール遊びに興じる子供たちが登場する。彼らの屈託のない笑顔を見れば、どんな理由であれ、人間の頭上に爆弾を落してはいけないと、人間としての真っ当な感覚が反応するだろう。
残念ながら、平和な日常は2003年3月19日の米英軍による爆撃開始で破壊されるのだが、綿井監督のカメラは、これまでマスメディアで見てきたどんな映像とも違う動きをする。
バクダッドに入城する米軍戦車に向かって「何の罪もない子供たちを殺す卑怯者!」と絶叫するNPOの女性、爆撃にやられ、脳みそが出てしまった娘の頭を包帯でおさえる父親、クラスター爆弾によって腕や足をもぎ取られた少年……。市民と同じ目線で戦火の町を歩く者の映像だ。
綿井監督は米軍兵士にもカメラを向ける。彼らに「これ以上、罪のない人や子供を殺すのはやめてくれ」と訴え、「大量破壊兵器はどこにあるんだ、この戦争の理由は何なんだ」と問いかけながら。
テレビの報道でカメラをもった者が取材対象に向かって何かを言えば、そのシーンは、公平性に欠くといった理由でカットされるだろう。しかし、綿井監督の言葉は、耳をつんざく爆音と鼻腔を突き刺す硝煙、ハエが群がる死体、飛び散った脳漿、通りに広がる血糊の現場に身を置いた者にしか口にできない、心底リアルなものだ。
一方、自衛隊駐屯地、サマーワに集まった日本のマスメディアの現実離れしたシーン。駐屯地入り口に並べられた自衛隊員用の食事メニューにシャッターを押し続ける取材者たちは、被写体の隊員に向かって「カメラ目線で食べてみてくださーい」と声をかける。
こんな様子を綿井監督は、今度は黙ってカメラに収める。この映像にコメントはいらない。奇妙な現場そのものが、イラク戦争の是非、そして自衛隊派遣について、まともな検証を行おうとしない日本政府の頽廃を雄弁に物語っているのだから。
(芳地隆之)
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