先日、沖縄での米軍海兵隊員による女子中学生暴行事件の報を聞いて、その数週間前、マガジン9条の発起人、上原公子さんが「どうしてこうした事件が絶えないのか」について話していたことを思い出した。
ベトナム戦争中、在日米軍基地に配属された新兵はまずここで本格的な軍事教練を受けた。そしてここから戦地に送られ、人を殺し、あるいは自らが傷を負い、仲間を失って、ここに帰ってくる。つまり厳しい訓練を受けるところも、凄惨な戦場から最初に戻るところも日本なのである。心身ともに多大なストレスを負った兵士が、はたして異国での厳しい軍規に従えるのだろうか。その難しさは現在のイラク戦争でも変わらないのではないか。
彼女の話を聞いて、真っ先に思い浮かべたのがこの映画だった。『大脱走』や『史上最大の作戦』といった往年のヒーローものの戦争映画はもちろんのこと、ベトナム戦争後につくられた傷つくアメリカ兵を描く厭戦的な作品とも違う。
圧巻は前半の軍事教練シーンだ。頭を丸めた兵士予備軍の若者が、上官の命令に対してすべて「○○、サー」と絶叫して服従の意思を示す。キューブリック監督が、実際に教練を行った経験のあるリー・アーメイに鬼軍曹を演じさせたのは、そこの部分を最もリアルに描きたかったからだろう。
鬼軍曹は自分が育てた兵士に射殺される。愚鈍ゆえ、いつも軍曹に怒鳴りつけられ、仲間からいじめにあっていたレナードは、やがて完璧な殺人マシーンとして、“フルメタル・ジャケット”(金属でできた鎧)を身につけるのだが、精神に異常をきたして上官を撃った後、自らに向けても引き金を引く。戦慄のシーンだ。自分はいままで、スクリーンで戦争の何を見てきたのか――そう思わずにはいられない。
後半は一転、戦地ベトナムに移る。そこで若き米兵たちは、ベトナム人少女のスナイパーの狙い撃ちに遭うのだが、そのとき彼らが浮べる恐怖の表情に、前半には見られなかった人間性を垣間見て、ほッとする。そして、そう感じる自分に矛盾を覚える。
キューブリックの音楽の使い方は相変わらずだ。
冒頭、電気バリカンで兵士たちの頭髪が次々と切り落とされるシーンでは甘いメロディの「ハローベトナム」、最後の兵士の行軍のそれには「ミッキーマウスマーチ」、そしてエンドロールではローリングストーンズの「黒く塗れ」がぶっきらぼうに挿入される。
起承転結を期待する者は、あっさりと突き放され、戸惑うことだろう。それがキューブリック作品の魅力でもあるのだが。
(芳地隆之)
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