幕末の品川が舞台である。当時、吉原と並ぶ遊郭があったそこには、女郎、町人、幕府の役人、欧米列強の圧力に憤る志士らの姿があった。
「ちょいと都合が悪けりゃ、こら町人、命はもらったとくらあ。どうせ、ダンナがた、百姓、町人から絞り上げたお上の金で、やれ攘夷の勤皇のと騒ぎまわっていれば、それですむんだろうが、こちとら町人はそうはいかねえんでぃ」
異人館の焼き討ち計画を知ったお前を生かしてはおけんと刀を抜く高杉晋作に対して、丸腰の佐平次は啖呵を切る。海に浮かぶ小船の上。どうしても自分を切るというなら、あんたも道連れだとばかり船の栓を抜こうとする佐平次。あわてて止める高杉。尊王攘夷で倒幕を目指す志士らも、所詮は藩閥政治に凝り固まった連中ではないのか。佐平次のセリフは志士たちの限界をついたようにも聞こえた。
とはいえ、この映画は幕末の歴史を描いた作品ではない。「居残り佐平次」や「品川心中」など、落語の噺を下敷きにしたフィクションである。
無一文で朝までどんちゃん騒ぎをした後、そのまま遊郭で働き始め、持ち前の機転のよさで仕事を切り盛りしながら、ちゃっかり小金も稼ぐ佐平次をフランキー堺が飄々と演じる。脇を固める俳優たち――たとえば山岡久乃、菅井きん、小沢昭一らも芸達者ぶりを発揮(晩年とぜんぜん変わらない。むかしから老け役が多かったのだろうか)。高杉役・石原裕次郎の大根役者ぶりさえ、川島監督があえてそう演じさせたのではないかと思えるほど、演出は冴えわたっている。
舞台となる相模屋を縦横無尽に動く登場人物たちを絶妙の距離感で画面に収めるカメラ、随所に散りばめられた笑い、そして観客を飽きさせないスピーディな物語の展開は、落語の世界の見事な映像化といえるだろう。だが、終盤が近づくに連れ、持病の労咳(肺結核)を悪くさせる佐平次には凄みが増してくる。
ちなみに先に引用した佐平次のセリフはこう続く。
「てめえ1人の才覚で世渡りするからには、首が飛んでも歩いてみせまさあ」
そこには、"筋萎縮性側索硬化症" 筋萎縮性側索硬化症という難病を抱え、本作完成から6年後、45才の若さで亡くなった川島監督の意地が投影されているように思えた。
(芳地隆之)
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