パリから離れたカトリックの寄宿学校が舞台である。主人公ジュリアン・クエンティンの心は、転校生ジャン・ボネの存在によって大きく揺さぶられる。
端正な顔立ちをしたジャンは成績優秀で、とりわけ数学とピアノに抜群の才能を見せた。そして、いつも寡黙だった。ジュリアンにはそれが彼の強い意思によるものに見えた。
ある日、ジュリアンとジャンは、宝探し遊びの最中に森に迷い込む。密生した木々のなか、出口を求めて歩き回る二人に友情が芽生え始めるが、夜になってドイツ兵士に保護されたとき、ジャンはひどく怯えるのである。
時代は1944年、ナチス・ドイツ占領下のフランス。ジャンの本名はジャン・キッペルシュタイン、ユダヤ人だった。ジャンは出自を隠してここに身を寄せていた。皆が寝静まった寄宿舎で、彼はベッドの上に座りヘブライ語でユダヤ教の祈りを小さく唱え、その教えが禁じる豚肉の食事は決してとろうとしなかった。
映画のラスト、ドイツ将校が寄宿学校にやってきてジャンや、彼と同様に匿われたユダヤ人生徒、そして彼らを受け入れた神父を連行していく。この映画のタイトルは、残った生徒たちに向けた神父の言葉である。それは「また会おう」と続くのだが、神父は自分が強制収容所に送られ、二度と帰らないことを覚悟しているように見えた。
ジュリアンは先生と親友を黙って見送るしかなかった。
ドイツ占領下におけるフランスでは、少なからぬ国民がユダヤ人を密告し、強制収容所送りの手助けをしていた。戦時中の対独協力は、フランス人にとって現代史の片隅に隠してしまいたい過去だろう。
ルイ・マル監督がこのテーマに取り組んだのは、多くのユダヤ人、あるいは対独レジスタンスを見殺しにしてしまった自分自身とフランス国民に落とし前をつけるためだったように思える。マル監督は1932年生まれ、ジュリアンと同じ世代である。「あのときの自分はまだ10代だった(からどうしようもなかった)」などという弁解はない。「いまこの作品を作らなければ」という切実さが伝わってくるのである。
全編に漂う静謐さは時代の緊張感と対になっている。 だからこそ美しく、悲しい。
(芳地隆之)
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