著者は「歴史のイフ」を語ることに躊躇しない。
第一次世界大戦後、戦勝国がドイツに過大な賠償責任を負わせるヴェルサイユ条約を締結させなければ、ヒトラーの台頭は避けられたはずだと彼は言う。借金で首が回らず、経済的困窮がますますひどくなった結果、ドイツ国民はヒトラーを救世主とみなしたのである。
また、1939年9月のドイツによるポーランド侵攻後、ドイツ国防軍がヒトラーから政権を奪っていれば、第二次世界大戦は起こらず、ひいては当時の領土を保持できただろうとも指摘する。対ポーランド戦争を始めたドイツに英仏両国は宣戦布告したが、彼らの基本はヒトラーへの宥和政策だった。ヒトラーがソ連に攻め入ったとき、ドイツの崩壊は始まったのである。
戦後ドイツは東西分裂という状態から出発し、やがてEU(欧州連合)において確固たる地位を占めるにいたる。その過程で、西ドイツの基本法は大きな役割を果たすのだが、それが「憲法」ではなく、「基本法」と呼ばれた背景を著者はこう説明する。
「起草者たちはただためらいながら、なかばいやいやながら、占領軍のゆるやかな強制のもとで、あらかじめ与えられた枠組み(すなわちデモクラシー、連邦主義、基本的人権という枠組み)に従って、部分国家西ドイツの憲法を制定したのである」
第一次大戦後のドイツでは、当時、最も民主的といわれたワイマール憲法が生まれた。著者は同憲法と基本法を比較し、「有権者の理性と責任に対してかぎりない信頼をおいた」前者よりも、「過去に受けた損失を通して賢くなろう」とする姿勢をもった後者を高く評価する。きわめて謙虚な基本法こそが、西ドイツの奇蹟の復興を支えたと認識しているからだ。
第二次大戦後のヨーロッパに勝者はいなかった。参戦国はいずれも多大な被害を受け、首都が敵に占領された。ドイツによる占領を免れた英国でさえ、表向きの勝利とは裏腹に、戦後は次々と植民地を失っていく。
ナショナリズムがヨーロッパを廃墟にしたという欧州の人々の認識は、私たちが想像する以上に強い。
本書は、軍国主義のイメージが強いプロイセンが、実際には宗教難民を受け入れるなど、偏見のない、現実的で、公明正大な国家だったことを強調し、プロイセンとナチスを安易に結びつけることも戒めている。「目からうろこ」の指摘がたくさんだ。
(芳地隆之)
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