点を取れないと、お決まりのように「得点力不足」と嘆く報道陣には、「ならば聞くが、あなたはこの試合をどう見たのか」と問い質す闘将といえども、66才の身体にサッカー日本代表監督は激務だったに違いない。11月16日に脳梗塞で倒れたイビツァ・オシム監督の回復を願うばかりだ。
オシムは折にふれて、「人生の最後は故郷のサラエボで迎えたい」と言っていたという。彼はそこでサッカーのキャリアをスタートした。そして1990年のイタリア・ワールドカップで、最後のユーゴスラヴィア代表監督を務めた。
多民族国家ユーゴを解体した内戦以降、サラエボを題材にした映画は数多くつくられたが、オシムの故郷のイメージとしては、この作品が最も近いのではないかと思う。
1950年のサラエボ――第二次世界大戦中、東欧で唯一、自力でナチスドイツの支配を打ち倒したユーゴはスターリンのソ連と厳しく対立していた。
『パパは、出張中!』は、他愛もない一言が「スターリン擁護」ととられ、サラエボの北の鉱山へ強制労働に送られる男とその家族の物語である。家を出ていく父親を不安そうに見つめる二人の息子に対し、母親は「お父さんは長い出張に行くだけだから」と言った。
これは“ユーゴ建国の父”チトーの独裁体制を告発するといった類の作品ではない。東欧の反体制映画と呼ぶには、全体のトーンがどことなく、とぼけた感じなのだ。
語り部がドジで愛嬌のある次男坊、マリクだからだろう。サッカーが大好きで、ユーゴ・ナショナルチームに憧れる彼の夢は、本物のサッカーボールを手に入れること。マリクはちょうどオシムと同じ世代に当たる。
映画の終盤、反スターリンの熱狂が収まりつつあった一九五二年のサラエボで、ラジオからヘルシンキ・オリンピックのサッカー実況中継が流れる。試合はユーゴ対ソ連で、アナウンサーはユーゴ・チームの優勢を興奮して伝えるが、大人たちは、まるでよその国同士の試合を聞いているかのように無表情だった。
建国から3年。戦時中、ファシズム勢力に祖国を分断され、隣人に銃を向けたこともあった人々のなかに、ユーゴ国民の意識は育っていなかったのだろう。いま見るとユーゴ解体を予感させるようなシーンだが、クストリッツァ監督は、この映画で若い世代にユーゴの将来を託したのではないか。
ユーゴ代表に憧れるマリクには夢遊病の気があった。彼はときにベッドを離れ、夜中のサラエボの街をとことこと徘徊する。ラストシーンでも夢遊病のマリクが登場し、カメラは彼の背中を追うのだが、やがてマリクの身体は宙に浮き、私たち観客の方に振り向くと、にっこり笑う。
「歴史的にあの地域(サラエボ)の人間はアイデアを持ち合わせていないと生きていけない。……今日は生きた。でも明日になれば何が起こるか分からない。そんな場所では人々は問題解決のアイデアを持たなければならなくなるのは当然だ」(木村元彦著『オシムの言葉』集英社インターナショナル)。
オシムのいう「アイデア」とは、戦争を回避するための「知恵」と言えるのかもしれない。
マリクの笑顔とオシムの言葉は、どこかでつながっている気がする。
(芳地隆之)
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