今年の初めに省昇格を果たし、その栄えある初代防衛大臣となった人物が「原爆投下は仕方がなかった」と言った。
自分の考えが日本の良識、何より、いまも原子爆弾の後遺症に苦しめられている人々の感情といかにかけ離れたものであるか、想像が及ばなかったのだろう。久間大臣は就任後わずか半年で辞任した。
日本国の防衛大臣がペンタゴン(アメリカ国防総省)の職員のようなことを言う。その救いがたさを頭の片隅に置きながら、この映画を観た。
ヒロシマ・ナガサキから約20年後に完成した作品である。物語は、頭のいかれた米空軍司令官が哨戒警戒中の爆撃機B52にソ連への核攻撃指令を出すところから始まる。この命令権は本来、アメリカ大統領にしか与えられていないものだが、敵が核ミサイルを撃ち込んできた場合に限り、司令官にも認められる。
しかし、ソ連からミサイルは発射されていなかった。先制攻撃をもくろんだ司令官の独断によって、34機のB25は標的へと向かったのである。
アメリカ大統領は攻撃を中止させるべく、ペンタゴンに閣僚を招集するが、空軍司令官の部下である将軍は「この際、敵を殲滅してしまえば」と進言。原水爆の専門家として出席した“ドクター・ストレンジラブ”なる科学者は、ソ連が発明した、核攻撃に対して自動的に核で反撃する装置(通称“皆殺し装置”)と同様のものを開発したので、地下1000メートルに選ばれた人間を集めて、優生人種をつくりましょうとうそぶく。
彼は戦争中、ナチスドイツで原子爆弾の開発を目指していた人物らしく、いまも右手を前方に伸ばすヒトラー式挨拶の癖が抜けない。戦後、アメリカがソ連との軍拡競争のために必要な人材として、過去に目をつむって、“ドクター・ストレンジラブ”に米国市民権を与えたのだった。
皮肉と矛盾と挑発に満ちた映画である。
主演のピーター・セラーズはアメリカ大統領、ドクター・ストレンジラブ、英空軍大佐の3役をこなす。初めて観た二十数年前は、セラーズの芸達者ぶりに舌を巻くばかりだったが、あらためて見直すと、1人3役は、どんな人間でも状況次第で狂気に陥りかねないことを示すためだったのではないかと思えた。
世界を終末へ導いていくラスト――当時は毒々しいブラック・ユーモアと感じられたが、今では何だか「リアル」に見える。
(芳地隆之)
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