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2013-04-24up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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反原発運動は
ほんとうに「下火」か?

 僕は、時間が許せばほぼ毎週金曜日、国会前の抗議行動に参加している。もう何度出かけただろうか。この行動、すでに50回を超えたという。すごい持続力だ。
 日本人は熱しやすく冷めやすい、とよく言われる。確かに、ある問題に対し社会を震撼させるような大きなうねりが起きても、時間の経過とともに、そのうねりは波になり、それもやがて小さな波紋になって消えていく。これまでの日本における社会的運動は、そういう傾向が強かった。
 だが、今回の国会周辺の動きは、明らかにこれまでの運動とは違う。参加者数の増減はあっても、とにかく毎週金曜日、国会周辺は「原発いらな~い!!」という大きなシュプレヒコールに包まれる。それがもう1年以上にわたって繰り返されているのだ。同じテーマで同じ場所で、しかも同じ曜日に確実に繰り返される抗議活動。まったく新しいムーブメントがこの国に生まれたのだ。
 この抗議行動を内側から描いた稀有なノンフィクション『金曜官邸前抗議』(野間易道、河出書房新社、1700円+税)によれば、発端は次のようなものだったという。

(略)金曜日の官邸前抗議は、自然に人が集まっているところに首都圏反原発連合が「後からきて乗っか」ったものではない。首都圏反原発連合またはその構成グループの有志が、3月の末から意志を持って呼びかけ、ほぼ毎週実施してきたものである。さらに、そこにいたるまでには、2011年11月の九州電力東京支社前での抗議行動や、年が明けて経産省経産省前で繰り返された数十人での抗議活動もある。これらを行なってきたごく少人数の主体が首都圏反原発連合の有志であり、その場所を官邸前に移したものが現在の金曜官邸前抗議なのだ。
 現在「金曜官邸前抗議」と呼ばれている反原発運動は、(2012年)3月29日の木曜日に始まった。最初の呼びかけ文は、「NO NUKES MORE HEARTS/TwitNoNukes有志」名義で出されている。(略)

 僕は知らなかったが、最初の抗議行動は木曜日だったのだ。そして記念すべき第1回目の「官邸前抗議」は、参加者300人だったという。この参加者数について、『金曜官邸前抗議』はこう述べる。

 よくマスコミなどで「官邸前デモ」が報道される際に、「最初はたった300人だったデモが……」などと言われるが、この「300人」というのは、小さな市民運動をやる側から見れば大変な数である。我々は当時「300人も集まった!」と喜んでいたのだ。(略)

 この「300人が大変な数である」という感覚は、僕にもよく分かる。かつて僕は、さまざまな集会に顔を出し、デモに寄り添って取材し、時には取材よりもデモ隊の一員となってしまうような経験をしてきた。その多くは、ほんとうに小さな集まりだったし、あまりマスメディアからは注目されないデモであることが多かった。
 しかし、「少数者に理あり」というのが僕の思いだったし、今も変わらない。そして、その「少数者の訴え」が、いつか世の中を変えるかもしれない、という希望もまた捨てずにいる…。
 「それで公正な取材ができるか」と批判されても、それが僕のスタイルだったのだから仕方ない。「中立公正な取材や記事」などというものに、僕はまったく信を置いていないのだ。
 取材者(僕もそうだったが、多くは企業内ジャーナリストたち)が、真性の「中立公正な立場」など採れるものだろうか。それは「神の立場」ではないか。いつから企業ジャーナリストたちは「神」になったのか。取材者が自分の考えを捨てて取材するのであれば、それはすでにジャーナリストではない。テレビレポーターたちの「現場から○○がお伝えしました」式のただの現場報告にすぎない。

 たくさんの人数が集まること、それが一定のインパクトを社会に与え、そしてそれがこの国の未来への新しい動きにつながればいいと、僕は思っている。
 むろん、それがすべて正しいと言うつもりはないし、時として間違った方向へ流れる危険性も孕んでいることは承知して言うのだ。だが、「持続する志」(大江健三郎さんの評論集のタイトルでもある)が社会を動かす、原発を止める。それは、誰がどう言おうが圧倒的に正しいと、僕はやはり強く信じている。
 だから、この国会周辺の抗議行動に、僕はできる限り参加し続けようと思うのだ。

 マスメディアは飽きっぽい。反原発抗議行動の報道に、もう飽きてしまったらしい。紙面や画面での扱いは、どんどん小さくなってきているし、まったく報じなくなったマスメディアだってある。そのことを問われれば「毎週金曜日の抗議行動は、どんどん参加者が減ってきているではないか。原発はもう大きな争点ではなくなったんだ」と、彼らは答える。だが、ほんとうにそうか?
 僕は、金曜日抗議に参加するたびに、国会周辺をぐるぐる歩き回ってみる。多分、マスメディアはいわゆる「官邸前」しか見ていない。実はいまや、「官邸前」は、金曜抗議行動のごく一部になっているのだ。
 確かにあの部分だけを見れば、「参加者は減っている」という印象はあるだろう。それだって、このところの暖かさもあってか、また次第に人数を増やしつつあるのが事実だ。こんなこと、少し歩いてみればすぐ分かるはずなのに、取材して回っているのは、いまや東京新聞と赤旗くらいしか目に付かない。
 だったら僕が報告しよう。
(ただし、写真は僕が携帯で撮ったものだし、夜間なので、ボケボケが多いですが、ま、雰囲気ということで、大目に見てください)

 まず、本拠(?)の首相官邸前。ここには相変わらずたくさんの人たちが集まっている。たとえば4月19日は、1500~2000人ほどだと僕の目には見えた(写真①②)。
 グミ坂を下れば塀沿いに、ギターやフルートをバックに歌う人たち(写真③)。
 その横には、手書きの風刺漫画を並べて抗議の意志を表明する人がいつもいる(写真④)。
 坂下の交差点でも、大きなシュプレヒコールを響かせる一団。たんぽぽ舎の人たちが主体らしい(写真⑤)。
 交差点を渡って国会方面へ歩くと、忌野清志郎の曲をかけて静かに座る人たちの定位置(ここは暗すぎてうまく写真が撮れなかった)。
 さらに、すぐそばには外国人たちのグループ。キャンドルを灯して、ギターで反戦歌をうたっている(写真⑥)。

 そして国会正門に向かって左側の歩道からは、大きな訴えとシュプレヒコールが聞こえてくる。この「スピーチコーナー」にもかなりの人数が集っている。夜空に浮かぶ国会議事堂が、比喩ではなく「石棺」に見えてくる(写真⑦)。
 周辺を、ピカピカとライトを光らせた「自転車隊」が走り抜ける。毎回ほぼ40~50人ほどはいるようだ(写真⑧)。最近では、「チャリデモ体験試乗」などという催しまで始めた(写真⑨)。アイデアは湧き出る泉の如し、である。
 僕がいちばん好きなエリアが、国会正門に向かって右側歩道で和気藹々の楽しさで展開している「ファミリーエリア」だ。ここには家族連れが多く、高校生や外国からの訪問者も参加する。シャボン玉がいつも流れていて、それも気持ちいい(写真⑩)。

 迫力といえば、「ドラム隊」である。彼らは、30~40人ほどだが、これまで紹介したような各セクションを元気づけながら回っている。そして最後は、定位置で爆発する。今までにはない新しい抗議形態だといっていい(写真⑪)。
 少し歩いて坂を下る。霞ヶ関の官庁街。むろん、経産省「脱原発テント」である。原発推進の総本山・経産省へ突きつけた刃。このテントに、ついに経産省が撤去を求めて損害賠償訴訟という手に打って出た。負けてなんかいられない、と署名とカンパ活動が行われている。僕も行くたびに、小額だけどカンパしている(写真⑫)。
 そして、僕は首相官邸の裏側へも行ってみる。ここでは「官邸裏抗議」と名づけて、ご年配の方々を中心に10~20人ほどが、いつも静かに抗議の声を挙げている(写真⑬)。ただしここは、午後7時には終了する。僕は8時少し前に訪れて「あれ、誰もいないなあ…」と諦めて帰ったことがある(苦笑)。

 どうですか、みなさん!
 これほどの人たちが、思い思いのスタイルを創り出して、独自の抗議行動を繰り広げているのが現状なのだ。統一された集会やデモではない。それぞれが、自らの身幅に合ったやり方で、毎週金曜日、同じ場所で同じ声を挙げている。こんな運動が今まであっただろうか。
 それを、「反原発運動は下火だ」などと、きちんと取材もせずに言い始めたマスメディア→検証もせずそれを鵜呑みにして、ツイッターやフェイスブックなどで「下火だ、再稼働だ」などとしたり顔で呟く連中→さらにそれを信じて(信じたフリをして)ゾロゾロと這い出てきた原子力マフィアたち→大元は安倍晋三。
 こういう構図なのである。

 4月13日の淡路島での大地震からこの数日間、やたらと大きな揺れが、我が小さな列島を襲っている。続いて、中国四川省では100人を超す死者が出るほどの大地震。
 しかも不気味なのは、淡路島を襲った震度6弱の震源が、「未知の活断層」と推測されているということだ。
 日本には知られているだけで約2000の活断層がある。だが、この淡路島大地震の震源は、既知のどの断層でもなかったという。とすれば、日本に現在ある50基(54基のうち福島第一の1~4号機は廃炉決定)の原発付近のどこで大地震が起きてもおかしくはない、ということになる。それを裏付けるように、日本各地でかなり大きな揺れが連日のように続いているではないか。
 自然からの警告だと、なぜ原発推進論者たちは受け取らない(受け取れない)のだろうか? 僕にはそれが不思議でたまらない。

 最近読んでとても面白かったミステリ『卵をめぐる祖父の戦争』(ディヴィッド・ベニオフ、田口俊樹訳、ハヤカワ文庫)にこんな一節があった。

 祖父母は神以外に自分たちを殺せるものなど何もないと思っており、同時に神を信じていない。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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