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2012-10-03up
時々お散歩日記(鈴木耕)
108憂鬱な夏は逝ったけれど、
危ない秋がやって来て…
気づいたら10月。ああ、今年の夏はほんとうに最悪の夏だったなあと、なんともやるせない溜め息が漏れた。さまざまな出来事が身辺に重なって、一泊旅行さえできなかった。ようやく、そんな夏が逝った。
近所の僕のいちばん好きな公園を散歩した。かなり樹木の多い公園、逝き遅れたセミが鳴いていた。ツクツク法師だ。こいつの声は「ツクヅクオシイ、つくづく惜しい」と聞こえるという。そう思えば、そう聞こえないこともない。
でも、何が「つくづく惜しい」のだろう。いまのこの国に、"つくづく惜しいもの"なんてあるだろうか。考えれば落ち込む。
野田は本性を現して、もはや民主党には"リベラル"の気配さえない。自民党の極右復活に煽られて、「集団的自衛権の議論も必要」などと口走っている。だが、今回の尖閣諸島や竹島の大騒ぎで、アメリカにおんぶしようというだけの"集団的自衛権"などというものが、ほとんど意味をなさないということが露呈した。
いかに日本が中国や韓国と揉めたとて、アメリカは「中立的態度を堅持」すると明言したではないか。日本が望みをかける「アメリカを念頭に置いた集団的自衛権」は、結局、日本がアメリカの戦争の片棒を担がされるだけに終わる。アメリカが日本側に立って援けてくれる、などというのはほとんど幻想に過ぎない。
その幻想に国ごと引きずり込もうというのが、安倍晋三・自民党新総裁だ。だが、どこが新総裁なんだ? 1年ももたず政権を投げ出しちまった"旧総裁"じゃないか。古証文を持ち出して、またも「戦後レジームの打破」とか「毅然とした強い日本」とか言い出しているが、本気で中国と武力で渡り合おうとでも言うのか。
鳩山由紀夫元首相に「自民党野田派」とまで揶揄された野田は、その安倍氏と競るほどの右旋回。
まんまと石原慎太郎都知事に乗せられて、何の展望もなく尖閣諸島国有化に踏み切った。それも、APEC(アジア太平洋経済協力)会議で中国の胡錦濤主席と"立ち話"をしたわずか2日後に国有化を宣言してしまったのだから、メンツを重んじる中国が「国家主席が蔑ろにされた」と怒ったのも道理だ。拙劣な外交だったというしかない。
この件について、僕が知人のフリージャーナリストから聞いた話を書いておく。
石原都知事は、これほどの中国側の反発は予想していなかったようだ。いつものパフォーマンスのつもりで、拍手喝采を浴びたいだけだったのだろう。アメリカでこの計画を言い出したことをみても、国際的な反響が大好きな彼一流のやり方だ。
しかし、日本政府は焦った。もし石原知事が都有化して、尖閣諸島に妙な建築物でも拵えてしまったら、中国側の反発は予想もつかないほどひどいことになるだろう。そうなる前に、どうにか石原知事の思惑を阻止できないものか。
そこへ「国が買い取って何も建てず、今までと同じようにひっそりとしておけば、中国側も納得するだろう」と具申したのは外務省幹部だったらしい。中国と事を構えたくない野田政府は、深く情勢分析もせずにそれに乗ってしまった。
「中国に極右と見られている石原都知事の思うままにされるよりは、国家管理でそっとしておくほうが中国を刺激しないだろう。そう伝えれば、中国側もそれほど反発しないはず」というわけだ。
けれど、その時期を野田首相は見誤った。胡錦濤主席と立ち話したたった2日後というのは、あまりに拙速だった。中国側へ日本政府の真意を伝える努力も時間もないままに、国有化に踏み切った。相手を見くびっていたとしか言いようがない。
実は、そこにも妙なアドヴァイスがあったという情報もある。「韓国との間で竹島問題がこじれてきているとき、尖閣を放って置くとますますひどいことになる。ここは盛り上がっている日本人の愛国心を大事にしたほうがいい。早く決断すべきです」とある人物が進言したという。愛国心という言葉に野田はコロリ。これが事実なら、まったく野田首相のブレーンにはろくな人物がいない。
つまり、野田首相は中国との摩擦を避けようとして、逆に対立感情を煽ってしまう結果になった。それも、排外主義的ナショナリズムを味方にしようとした拙劣な外交政策だったからだ。
結局、石原知事に振り回されて、深刻な日中対立を招いてしまった。それにしても、あの都知事は何を考えているのか。彼がこの事態を招いたことは明らかだが、ほとんどのマスコミは沈黙したまま。もし戦争でも起こったら、石原知事はどう責任を取るつもりなのか。それを批判もせずに放置しておくマスコミも同罪だと思う。
僕は、この解説に納得した。なるほど腑に落ちる。野田自身は決して中国と事を構えようとしたのではないだろう。だが、考える力も情勢を読む力もなかった。要するに、政治家として失格だった、ということでしかない。
政治家というのは、もう少し将来を見通す目を持った人たちのことだと思っていた。だが、どれもひどいもんだ。
ここにもう一人、そんな政治家がいる。
お金がもったいないのでどうしようかと思ったが、ま、読まずに文句を言ってもフェアじゃないので、仕方なしに買って来た本がある。『叩かれても言わねばならないこと。』(枝野幸男、東洋経済新報社、1300円+税)。この本の一節に、こんなことが書かれていた。
私は1日でも早く原発を廃絶したいと考えている。その思いは、直接被害を受けた福島などの人たちを除けば、誰よりも強いと自負している。それが脱原発依存に向けた私の率直な立ち位置だ。(略)
原発はやめなければいけない。しかし他方で、やめ方を間違えてはいけない。ただ、危ないから早くやめようと言うだけなら、それは政治ではない。
どうやったら確実にやめられるのか。それを考えて、そこに一歩でも近づけるのが政治の責任であり義務である。(略)
この本は[10月11日発行]と奥付にある。単行本の発行日がかなり前倒しされることはよくあるので、店頭には9月末から並んだ。単行本の編集過程を考えれば、枝野がこれを書いていた(もしくはライターに喋っていた)のは、多分、2~3ヵ月前のはずだ。つまり、6~7月ころの執筆だということになる。そのころは、この文章のように考えていたのかもしれない。前のことだから、少しは考えが変わっていてもいいだろう、とでも言うのか。そうは問屋が卸さない。
枝野は「建設中の原発は継続」と、とんでもないことを言い出したのだ。東京新聞(9月16日付)によれば、こうだ。
政府が自ら掲げた「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」が早くも迷走を始めている。青森県の三村申吾知事らと青森市内で十五日に会談し、電源開発大間原発(同県大間町)など建設中の三原発について、建設継続を容認する考えを示した枝野幸男経済産業相。これらの稼働が認められれば、運転から四十年で廃炉にする政府原則を適用しても、五〇年代までは原発が稼働し続けることになる。
枝野氏は会談で「経産省としてはすでに建設許可が与えられた原発について、変更することは考えていない」と明言。枝野発言は新しい原発の稼働に事実上のお墨付きを与えたといえる。(略)
腹が立つだけなので、これ以上の引用はしないが、前出の著書で「やめ方を間違えてはいけない」と書いてあることの真意は、実は「50年代まではやめませんよ」ということであり、「どうやったら確実にやめられるのか」というのは、「要らなくなるまでは動かそう」ということの言い替えに過ぎなかった。
本心がどこにあろうと、実際に政治家が行う政策が、自ら発した言葉を裏切るのなら、それこそ彼の言うように「それは政治ではない」。
そして、もっとひどいことが…。
ついにオスプレイが沖縄・普天間飛行場へ降り立った。それも、抗議して基地ゲート前に座り込む人々を、機動隊を使って強制排除した上での暴挙だっ! これが、野田や森本敏防衛相らの言う「沖縄の住民のみなさんの十分なご理解を得た上で」のことか。十分な理解とは、機動隊の力ずくの強制排除のことか。
多分、警官隊の多くも沖縄の人たちだろう。彼らとて、心のうちではオスプレイ配備には反対だろうと思う。その人たちを、暴力的に対峙させているのは、日本政府だ。
野田は内閣改造だそーだ。まあ、勝手にやるがいい。誰も、少しも期待していない、ドジョウが率いる雑魚(ざこ)内閣。せめてものこの内閣の"売り"が田中真紀子文科相なんだってさ。「もんじゅ」なんかどーでもいいってわけか。
この内閣改造記者会見(10月1日)で、野田は「オスプレイの配備に関しては、普天間基地の移設実現に向けて、負担を全国で分かち合ってもらうために、飛行訓練を本土でも行う」と述べた。危険なものをやめるのではなく、全国へ広げようというのだ。言葉は悪いが、もはや正気の沙汰とは思えない。
安倍晋三・自民党新(旧)総裁は、とうとう「憲法改正発議に反対と思っているような横柄な国会議員には次の選挙で退場してもらいたい」と語った(朝日新聞10月1日付)。自分たちがこれまで進めてきた「原子力政策」には、まったく何の反省の言葉もないままに、ただただ右方向への突進である。
米有力紙のワシントンポスト紙までが、「日本は右傾化への重要な変化の途上にある」と論評。世界中が冷えた視線で日本を見ている。
確かに、竹島や尖閣問題で煽られたナショナリズムに対し、政治家たちが沈静化を呼びかけるどころか、「毅然たる国家」「強い日本」「絶対に引かぬ態度」などと、まるで武力衝突さえ辞さないともいえる言辞を吐き散らす状況。「日本は右傾化への重要な変化の途上」だ。
さまざまな事象を挙げていくだけで、ほんとうに憂鬱になる。
この国はいま、どこへ行こうとしているのだろう。行き着くところは強権国家。そして、かつて僕が書いた本のタイトルのように『目覚めたら、戦争。』(コモンズ刊)か。
ちなみに、この本のサブタイトルは「過去(いま)を忘れないための現在(かこ)」というものだった。
僕らは、忘れすぎていないか…?
鈴木耕さんプロフィール
すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
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