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2012-06-06up

時々お散歩日記(鈴木耕)

95

野田執事「お帰りなさいませ、原発様」

 いつの間にか、6月に入っていた。東京は天候が安定しない。
 6月1日。その日も妙な天気だった。
 新宿の「マガジン9」事務所で打ち合わせがあった。そこへ向かっている途中、突然の雷鳴と激しい雨。コンビニでビニール傘を買おうと思ったが、こんなときに限ってコンビニが見つからない。約束の時間は迫る。えいっ、仕方ない。雨の中を走り出す。ずぶ濡れ…。
 2件の打ち合わせを終えたのが、午後6時近く。濡れていた薄手のジャンパーはなんとか生乾き。それを着て飛び出す。
 行き先は、国会議事堂前。その2日前から、僕は腹が立って腹が立って仕方なかった。だから、いても立ってもいられず、首相官邸前の「再稼働抗議」の集会に駆けつけたのだ。

 まず野田首相の「大飯原発再稼働は、私の責任で判断する」という表明に、心底怒っていた。さまざまな人たちがこの野田発言を強く批判しているし、そのほとんどが当然過ぎるほど当然だから、ここでそれを繰り返しはしない。だが、ほんとうに多くの人たちは再稼働に反対している、という事実だけは書いておこう。
 最近(5月)の世論調査では、大飯原発再稼働については、反対が過半数だ。なぜか新聞によってずいぶん差はあるものの、傾向だけは読み取れるだろう。

毎日新聞 反対63%、賛成31%
日経新聞 反対50%、賛成34%
朝日新聞 反対54%、賛成29%

 なお、産経新聞の6月1日配信に、こんな記事があった。

 関西電力大飯原発3,4号機(福井県おおい町)の再稼働の賛否について、滋賀県が300人近い「県政モニター」対象に実施したアンケート結果を発表した。「再稼働すべきだ」と答えたのは16.7%にとどまり、「条件が整うまですべきでない」と「今後もすべきでない」を合わせると80.6%に上がった。(略)

 つまり、どの調査を見ても明らかに世論は「再稼働待った!」を示している。だが、野田首相は「私の責任で再稼働」と言う。あの福島原発事故で、いったい誰がどんな責任を取ったというのか。
 安全性を無視して原子力政策を推し進め、あげく悲惨な事故を起こし、いまだに16万人もの避難者の落着き先さえ決定できずにいることの責任は、誰が取ったか。放射能に脅え、将来の暮らしに絶望して自ら命を絶った多くの人たちへの責任はどこにあるのか。
 誰も責任を取らない「総無責任体制」が、この国の現状ではないか。であるなら、野田首相は「もし事故が起きたら、私は全財産を投げ出し、政界を引退する」でも「事故の責任は、私の命であがなう」でもいいが、その約束だけは絶対に守るという誓約書(?)を書いて、その上で「政治判断」するべきだろう。むろん、それだって信用することなどできないけれど。
 だが野田首相の言い草は「安全性の確認ができた原発から、地元のご理解をいただいて再稼働していく」の一点張り。どこの組織がどのようなプロセスを経て「安全性の確認」をするのか。その具体的な内容は、まったく明らかにしない。というより、具体的な考えなど何もないから、明らかになどできないのだ。野田首相の頭の中は、ひたすら財界にお仕え申し上げる召使い。メイド喫茶のメイドよろしく「お帰りなさいませ、ご主人様」「お帰りなさいませ、原発様」…。

 さらに腹立たしいのは、野田発言に続く関西広域連合の「暫定的な再稼働の容認」だ。今夏の関西電力管内の電力不足が14.9%に達する、という関電と政府の言い分を鵜呑みにして、それなら「この夏だけに限り、暫定的に再稼働を認める。夏を越え電力使用のピーク時が過ぎたら、また停止する」という意味“らしい”。
 ここで僕が、“らしい”と曖昧な表現をしたのは、またもやグッチャグチャの妥協案であって、そんな文言など関西広域連合の声明には盛り込まれていないからだ。文言はこうだ。
 「(再稼働は)限定的なものとして適切な判断をされるように強く求める」。
 さて、この文言のどこから「今夏以降の再停止」が読み取れるのか。結局は、政府の言い分を丸呑みしただけ。
 橋下大阪市長が自ら依拠した「大阪府市エネルギー戦略会議」では、さまざまな委員たちが、関西電力の提供データの不備を指摘し、「関電の電力不足キャンペーン」に対して大きな疑問を投げかけていたし、委員らが提示した電力需給見通しでは、節電その他で十分に賄えるという試算さえ提示していたではないか。
 それらの努力を無視して、結局は政府と関電の言いなりになってしまった…。それが、名前も大仰な「関西広域連合」だった(この名称について、「まるで広域暴力団みたい」とツイートしている人がいたが、なんだか僕にもそう思えてきたゾ)。

 僕は橋下市長には期待などしていなかった。機を見るに敏な口舌の徒、どこで変心するか、いずれこうなるだろうと思っていたからだ。だが、ガッカリしたのは嘉田由紀子滋賀県知事だ。環境社会学の研究者である嘉田氏は、関西の水源、生命線である琵琶湖を守るために、最後まで再稼働には反対するだろうと思っていたのだ。しかし、彼女もまた「財界の圧力」とやらに屈してしまった。
 朝日新聞(6月1日付)は、こう書いていた。

 (略)大飯原発に近接する立場から再稼働に異を唱えてきた滋賀県の嘉田由紀子知事も31日、「臨時的な再稼働はやむを得ないという方が、気持ちとしては近い」と発言ぶりを変えた。電力需給に触れて「(不足が)15%で固定したことはある意味つらかった。経済界の『夏を乗り切れない』という悲痛な声も斟酌した」と明かした。(略)

 「経済界の悲痛な声」は斟酌したが、「安全性に疑問を持つ住民の声」は無視した、ということか。さらに疑問なのは、「(電力不足が)15%で固定した」と述べていることだ。繰り返すが、これは関電が出したデータでしかない。これまで関電が情報を隠蔽し続けてきたことや、関電の言う電力不足の割合が30%~5%まで、くるくるめまぐるしく変わってきたことを、なぜ“斟酌”しなかったのか。結局は、関電と政府の言うことを、ろくな検証もせず、そのまま受け入れてしまっただけではないか。
 とても学者の思考法ではない。
 同じように思う人がいた。原発電力のコストについて、データ解析から関電や電力会社の言い分を、厳しく批判してきた立命館大学教授の大島堅一氏だ。大島氏は、6月1日の自分のツイッターで、次のように嘉田知事を批判している。

 嘉田氏は、環境社会学者と名乗る資格はなくなった。福井で事故が起これば、関西の水源、琵琶湖とその周辺は完全に取り返しがつかなくなるというのに→「臨時的、やむを得ない」大飯原発再稼働で嘉田知事。
 嘉田氏の2003年の研究。「水害記憶をいかに記録し、若い世代に伝えるのか、その手法開発に関する予備的研究」を行ったそうだ。なのに、1年でなぜ福島の被害を忘却してしまうのか。もはや環境学者の良心を持っているとは言えない。

 この厳しい指摘に、嘉田知事はどう答えるのだろう。
 一方、東京電力の柏崎刈羽原発7基を抱える新潟県の泉田裕彦知事は、「週刊金曜日」(6月1日号)で、「原発の再稼働は容認できない」と、はっきり述べている。なぜこうも違うのか? 泉田知事の発言を少し引用する。

 現在、原発の再稼働が問題になっていますが、これについての知事としての見解は、まず福島第一原発事故の原因究明が先決だということです。確かに国会では東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)が設置されていますが、全部究明されるかどうかわかりません。近く「報告書」も出されるようですがそれは形式的であって、いったい誰が事故を防ぐために準備するべきことを事前に怠ったのかをまず明らかにしなければ、再び事故は起きます。
 原因を知って対策を立てるというのが、まともな人間のやることでしょう。(略)そうしたプロセスも踏まずに、現在、再稼働をするための議論をしている人たちの神経が、私にはまったく理解できません。(略)

 どうしてこんな普通の感覚を、野田首相も関西広域連合の首長たちも持てないのだろうか。泉田知事は、決して脱原発を主張しているわけではない。
 「あれほどの過酷事故が起きたのだ。まずその事故原因をきちんと明らかにして、それへの対策が完全にできたところで判断すべきだ。それをせずに再稼働を議論するのは、プロセスが間違っている」と言っているに過ぎない。まったく当然のことではないか。
 どうしてこんな当然のことが通じないのか。そこに、僕は激しく腹が立ってしょうがない。

 だから、国会前へ出かけたのだ。僕が着いたのは午後6時少し過ぎ。残念ながら人はまだ500人ほど。ああ、怒りを共有できる人はこんなものか。ま、ウィークデーだし、ほとんどがツイッターでの呼びかけだから仕方ないか…。少しガッカリしながら、僕は立ち尽くした。
 でも、それは嬉しく裏切られた。続々と人が集まる。多分、仕事を終えて駆けつけたのだろう、仕事用のスーツ姿の男女もかなり目立った。若い人たちも、杖を付いた高齢者も、車椅子の方も見かけた。
 7時過ぎには、歩道はぎっしりと人で埋まった。最終的には、2700人に達したという。この怒りは、白石草さんたちの中継によって、ネット上で共有された。だから、実際の参加者はもっと多数だったと言ってもいいと思う。

 声を限りに首相官邸へ向けて「再稼働ハンターイ!」を叫ぶ。警官隊に遮られて、首相官邸には近づけない。通りを挟んで声を上げるしかない。それでも僕は、叫んでいた…。

 大飯原発再稼働反対っ!!

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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