マガジン9

憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。

「マガジン9」トップページへ時々お散歩日記:バックナンバーへ

2012-03-14up

時々お散歩日記(鈴木耕)

85

まるで事故などなかったかのように…

 3月11日が来た。そして、過ぎていった。
 新聞もテレビも週刊誌も、「3・11」の大特集を組んでいた。それはそれでいい。けれど「3・11」は、3月11日が過ぎても続いているのだ。「3・11」は終わっていない。事故原発は今も放射能を漏らし続けている。
 辛い記憶は封印する。悲しい思い出は忘れようとする。1日だけの追悼で、あとは日常へ。

 だが、あえて言う。事故を起こした原発が、今もなお放射性物質を垂れ流しているのは、どうしようもない事実。これこそが「真の日常」なのだ。日常という言葉を取り違えてはいけない。いかに封印しようが、忘れようと耳や目を塞ごうが、我々の周囲には放射性物質が今も降ってきている。それによって汚染された食物を、今も我々は食べ続けている。
 これこそが、隠しようのない現実的日常なのだ。

 小出裕章氏や広瀬隆氏、アーニー・ガンダーセン氏らが警告しているように、福島第一原発4号機は、危機的状況にある。飛行制限がやや解除された原発周辺の上空のヘリコプターから4号機を捉えた映像を目にした人は多いだろう。原子炉格納容器の黄色い蓋が、無惨に破壊された建屋の骨組みの間から鮮明に見えていた。実は、その横の「使用済み核燃料プール」こそが、現在もっとも危険だと言われている場所なのだ。
 プールはコンクリート製だが、巨大地震と大津波、それに続く水素爆発によってかなり破壊されている。ひび割れも入り、そうとう脆くなっているはずだ。しかもこのプールは「宙吊り構造」だ。だから、震度5クラスの地震が再びここを襲えば、プールそのものが崩壊する恐れは大きいとされている。
 プールには、他の原子炉の数倍の核燃料棒が保管されている。もしこのプールが壊れて水が漏れ、空焚き状態になれば、これまでの1~3号機からの漏出とは比較にならないほどの放射性物質が飛び出てくる。そうなれば、もはや東京を含む首都圏そのものが、「大汚染地帯」となる可能性は高いという。
 3月7日の「モーニングバード」(テレビ朝日系)で、小出氏がそれを指摘、スタジオ中が凍りつくというシーンがあった。それこそが実は現在の「真の日常」なのだ、ということを知らされれば、普通の人なら凍りつくのが当たり前だ。だが、凍りつかない人たちもいる。
 むろん、東電もそれは知っている。だから懸命にプールの補強作業を急いでいる。しかし、危険性の度合いについては、記者会見でもまったく明らかにしていない。「補強工事が進展中なので、問題はないと考える」の一点張りだ。凍らない心を持った人たち…。

 凍らない心を持った人たちがもっとも多く住む場所は、やはり永田町らしい。少し古いけれど、まず、枝野経産相は次のように語った(毎日新聞2月25日付)。

 枝野幸男経済産業相は24日、BS朝日の番組の収録で(略)「原発を使わず、その分火力をやれば、コストはものすごくかかるので電気料金は大きく上がる」と強調。原発を使わない場合、電気料金の大幅値上げは「必然的だ」と述べた。
 また、原発の再稼働問題については(略)「安全が確認でき、地元の理解が得られたら、今の電力需給では稼働させていただく必要がある」と発言。(略)

 ああ、とうとう始まってしまったか、と僕はその記事を読んだときに思った。だが同時に、ほとほと感心したのだ。何にかって? 枝野氏の恐るべき“肝っ玉の太さ”に、である。
 原発爆発事故直後、枝野氏が官房長官だったときの記者会見の様子を思い浮かべてほしい。枝野氏はほとんどまともな情報もない中で「直ちに健康に影響はない」「何らかの爆発的事象」「避難は現在のところ10キロ圏内」「それ以外では避難は不必要」「メルトダウンは現在のところ起こっていない」…などと繰り返した。それは、国民の動揺を抑えようとしての必死の演技だったのかもしれない。
 だが、あの会見で極めて特徴的だったのは、やむを得ずウソ(ないしは不確実な情報)を話さなければならないときの、枝野氏のこめかみあたりに流れる汗だった。たら~りと頬へ伝う汗は、苦悩と恐怖と悔恨の冷たいあぶら汗。僕にはそう見えた。それらの感情の中でも、特に「恐怖」は大きかったはずだ。
 まともな人間ならば、「首都圏壊滅シナリオ」さえ作られ始めた状況の中で、「安全です」「落ち着いて下さい」を繰り返さなければならない立場に置かれれば、恐怖と苦悩を感じないはずはない。
 枝野氏にしても、“究極の恐怖”をあのときに十分に味わったはずではなかったか。
 その枝野氏が、あれからわずか1年足らずで「原発再稼働」を言い出した。恐怖と苦悩の日々を体験したはずの人間が、どうやってそれを克服したのだろう? つい最近まで「原発なしでも今夏は乗り切れる」と発言し、脱原発志向かとも言われていた人間の、この転回をどう考えればいいのだろう? 
 あの恐ろしさをもう一度味わってもかまわない、と思い定めたとすれば、それこそ皮肉抜きで“凄い人間”だと思うしかない。政治家というのはスンゲェ肝っ玉してるんだなあ、とつくづく感心してしまうのだ。

 極めつけは野田首相である。どうもこのドジョウの肝は“きもすい”にもできるほどデカイらしい。原発再稼働への前のめり。どうあっても、どんなに怖くても、いや、怖いところには目をつぶって「原発、動かすぞーっ!」。東京新聞(3月12日付)ではこうだ。

 野田佳彦首相は(略)定期検査中の原発再稼働に関する地元への対応について「政府を挙げて説明し、理解を得る。私も先頭に立たなければならない」と述べ、再稼働を妥当と判断した場合、みずから地元の説得に乗り出す意向を表明した。
 首相は、再稼働を判断する手順について、まずは自身と藤村修官房長官、枝野幸男経済産業相、細野豪志原発事故担当相の四人が国の原子力安全委員会による安全評価(ストレステスト)の一次評価の妥当性を確認すると説明。「(原発再稼働の)安全性と地元の理解をどう進めるかを確認する」と述べた。(略)

 首相自ら、原発再稼働へ「先頭に立つ」のだと言う。ほんとうに、冗談も“飛び石連休(休み休み)”にしてほしい。「安全委員会による安全評価の妥当性」だと? 原子力専門家の第一人者であると自負していた班目春樹安全委委員長が率いる安全委員会がどんな組織だったのか、知らないとは言わせない。
 すでに朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」で、班目委員長ら専門家と称する学者連中のひどさは白日の下にさらされたが、こんなインタビューもあるのだ。東京新聞(3月11日付)の前内閣審議官・下村健一氏の証言である。下村氏は菅直人首相の側近として、原発事故直後の首相官邸の様子をつぶさに見ていた人物だ。

 (略)専門家の人たちに(菅さんが)「これってどうなってるの」と聞いても、「はい」って返事はするけど、固まって動かない。
 仕方ないから僕が近くに行って「あなたの持っている携帯電話を左手に持って、右手でボタンを押して相手にかけてください」と言うと、動きだした。これ、本当の話。(略)
 1号機の爆発は、テレビをつけたらあの映像です。「爆発しないって言ったじゃないですか!」って、菅さんが班目さんに言ったら、これは映画かって思うくらい頭を抱えて。人生で一番ショックなシーンでした。この人が日本の最高権威なのかと。
 専門家は何を聞いても、ふにゃふにゃしか言わない。菅さんから目をそらす。そんな中で唯一、明言していたのが「爆発は起きません」だったんです。(略)

 これが、日本の原子力規制の総元締め、原子力安全委員会の実態だったのだ。その安全委の「ストレステストの一次評価の妥当性を確認する」のが再稼働への第一歩だと、野田首相は言うのだ。安全委の評価書は“ふにゃふにゃ”していないのだろう、多分。
 これだけ徹底的に学問的知見を疑われている組織の評価を、いったいどういう神経をしていれば確認できるというのか。呆れ果てて言葉もない。信じてはならない組織、信じることなど到底できない人物らの「評価報告書」を信じたフリをして、動かしてはならない危険なものを動かそうとする。それほど「原発」を信奉するのはなぜ? もはや宗教の域か? 僕にはやっぱり理解できない。
 信じてはいけないのだ。それくらいは野田首相だって分かっているはずだ。もし分かっていないのだとすれば、政治家などやっている資格はない。政治家以前に人間失格だろう。

 まるで原発事故などなかったかのように、もはや誰も信じていない「安全神話」をもう一度でっち上げ、せっかく止まっている原発を再稼動させようという。それが残念ながら、この国の最高責任者なのだ。「もう一度事故が起きたら、いったい誰がどういうふうに責任を取るのか」と野田首相に詰め寄りたいけれど、それも虚しい。
 今回の事故の責任すら、まだひとりも取っていないし、認めてさえいない。だから、事故がまた起きたとしても、責任などとる必要もいないと、高を括っているのか。
 これほど国民をバカにした政治家もいない。

 口を開けば「石油や天然ガス輸入増大で、電気料金の大幅値上げをせざるを得ない。それを抑制するためには原発再稼働しかない」と、この首相は言う。だがそれは真実か。
 実は、輸入原価に大きなカラクリがあるようだし、その価格についての電力会社の企業努力には大きな疑問があるのだけれど、きちんと調べるにはさすがに時間が足りない。
 それについては、回を改めて書いてみたいと思う。

googleサイト内検索
カスタム検索
鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

「時々お散歩日記」最新10title

バックナンバー一覧へ→