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2011-09-07up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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野田新首相への6つの疑問

 野田佳彦氏が新しい総理大臣に就任した。
 各マスメディアは、やたらと野田氏の“庶民性”なるものを持ち上げている。自らを「ドジョウ」と称し、相田みつをの詩(?)を引用する。千円バーバーに通い、安い居酒屋で日本酒を傾けながら“天下国家”を論じるのが好きな“松下政経塾”の第1期生だそうだ。
 そんな報道もあってか、各マスコミの内閣支持率調査は軒並み高水準。60~70%と、まるで菅首相の時とは手のひら返しの様変わり。移ろいやすいのが民意だとしても「凄いなあ…」と感心するしかない。

 “菅おろし”が狂騒的な大報道になったのは、どう考えても、菅首相が「浜岡原発停止」「脱原発」「発送電分離」を唱え始めたころからだ。この時期の各紙の社説などはひどいものだった。ほとんど、菅首相がひとりで日本をダメにしているかのごとき書きよう。菅首相さえ辞めれば、原発も何もかもうまく収まるとでも言いたげだった。
 だが、冷静に振り返ってみてほしい。あの荒れ狂う原発を、では誰がいったい収束できたというのか。
 事故直後に菅首相が東電へ直接乗り込み「撤退など絶対に許さん!」と怒鳴りつけたというのは間違っていたか。もしあの時点で東電が総撤退をしていたとしたら、福島原発事故の被害は更に拡大していたに違いない。菅首相が「このまま放置すれば東北が壊れる」とか「原発周辺にはもはや数十年間、住めないだろう」と発言したとして「無責任だ」とマスコミは集中砲火を浴びせたが、それは間違いだったか? 現状は菅氏の言ったとおりに推移しているではないか(9月6日の朝日新聞と東京新聞の両紙が菅氏のインタビューを掲載しているが、この辺の発言のニュアンスは当初報じられたものとは、だいぶ違うようだ)。
 さらに「浜岡停止」では「なぜ浜岡なのか、理由が大地震というだけで停止させていいのか」などと、NHK記者(政治部の山口太一記者だ)が首相会見で詰めよる始末。原発停止に反対する記者たちが会見をリードし、報道を一色に染め上げていたような気がする。
 「菅首相は虎(電力マフィアと産業界)の尾を踏んでしまったので『菅おろし』が始まったのだ」との解説がある。逆にこれを“陰謀論”だと一笑に付す人もいる。だがこれ以降の進み行きは、“虎の尾説”をあてはめてみれば腑に落ちる。
 福島原発事故で、“原子力ムラ”も“原発マフィア”も“御用学者たち”も一時は息をひそめたのだが、彼らは決して「原発推進」の旗を降ろしたわけではなかった。着々と反攻時期を狙っていたのだ。彼らがメディアの動向を利用して(もしくは操って)一気に“菅おろし”の大攻勢を仕掛けたのがあの時期だと考えれば分かりやすい。

 そこへ登場したのが、野田佳彦新総理大臣だ。
 野田首相の9月2日の就任会見での原発に関する発言は、朝日新聞(9月3日付)によれば次のようなものだ。

再稼動の方針を明言  (略)野田首相は菅政権が掲げた「脱原発依存」の方向性は受け継ぐ一方、当面の混乱を回避するため、停止中の原発は安全性を確認したうえで再稼動を認める方針だ。
 野田首相は2日の就任会見で、原発の新規建設について「現実的に困難」と明言し、老朽化した原発についても「寿命がくる。廃炉にする」と語った。一方で「電力は経済の血液」とも強調。停止中の原発について「稼動できると思ったものについては、地元に説明しながら再稼動する」と明言し、電力の安定供給に全力を挙げる考えを示した。(略)

 「いずれは原発を自然消滅させる」ということだけは明言したわけだ。この野田発言をどう捉えればいいのか、難しいところだ。問題点は6項目あると僕は思う。

①建設中の原発
 建設中の青森・大間原発や山口・上関原発等をどうするのか。新規と捉えるか既設と捉えるかで、対応は違ってくる。

②老朽化した原発の寿命
 建設から長期間が過ぎた原発の寿命をどう見積もるのか。原発が運転され始めたころは、一応の目安として30年間というのが稼動期間とされていた。だがいつの間にか、それは40年間となり、最近では60年間まで認めようという傾向にある。電力会社や経産省が勝手に寿命を延ばしている、といっていい。この「寿命」をどう規定するのか?

③地元へ説明しながら再稼動
 野田首相は再稼動は地元の意向を十分に聞いてから、と言う。しかし、地元とはどの範囲を指すのか? たとえば、玄海原発が立地する佐賀県玄海町は周囲を唐津市に囲まれているし、焼き物で有名な伊万里市も原発から至近距離にある。前述の大間原発は、海を隔てて北海道函館まで30キロ圏内だ。これらの隣接自治体には何の説明もしなくていいのか?

④廃炉後の原発の処理
 これは難問中の難問だ。たとえば、東海第一原発(日本原子力発電株式会社)は1966年運転開始で日本最古の原発だったが、1997年度(98年3月)で運転終了、現在廃炉作業中だ。しかし、まだ原子炉領域解体前工程で、これは98~2013年の16年間かかるという。この後、原子炉領域解体撤去、原子炉建屋解体撤去、原子炉領域外の撤去と続き(2020年まで)、放射性廃棄物の短期処理も2020年までかかる予定。そして、原発廃止後の高レベル放射性廃棄物の恒久処理・隔離・管理については、数万年間(?)かかるかもしれないとして、未定とされている。
 なお、電事連(電気事業連合会)の「長期試算」として、朝日新聞(2002年3月31日付)が報じているところによれば、原発1基あたりの処分費用は約5300億円とされている。

⑤使用済み核燃料の処理
 当然、④と関連してくることなのだが、野田首相は高レベル放射性廃棄物処理については、まったく触れていない。「停止中の原発は安全審査が終わり次第、順次運転を再開したい」としているが、とすれば核廃棄物はこれ以降も増え続けることになる。その処理方法は確立していない。世界中のどんな科学者も技術者も、いまだにそんな技術は発見できていないのだ。フィンランドではなんと「10万年間保管」のための深地層処分に乗り出したという(映画『100,000年後の安全』参照)。こんなバカなことを日本もやるつもりなのか。処理不能の危険極まりないプルトニウム等の猛毒物質を、どれだけ蓄積すれば気がすむのか。その対処法を明らかにしないままでの原発再稼動は、凄まじい欺瞞でしかない。

⑥そして、いちばん大切なこと
 人間(ことに子どもや妊婦)の被曝をどう考えるか、どういう対策を打ち出すのか。残念ながら、野田首相はこの点については何も触れていない。ドジョウは泥に潜り込めば助かるかもしれないが、地上で生きている子どもたちは、そうはいかないのだ!

 これらの疑問に明確な答えがない限り、僕は野田新首相誕生に「おめでとう」など、まったく言う気はない。

 さて、上の6つの問題はどれも深刻だが、野田首相が「寿命が来る、廃炉にする」と言う、②の原発の“寿命”が問題なのである。
 現在、日本にある原発は54基(問題点④で指摘した東海第一はここには含まれていない)。この54基のうちで最も古いのは、1970年3月運転開始の福井県の敦賀原発1号機で、すでに41年も経過している老朽原発だ。同じ福井県の美浜原発1号機も1970年11月運転開始、これも40年を超えている。30年以上経過している原発にいたっては、なんと21基に達する。原子炉鋼の経年による脆性劣化が危険視されている佐賀県の玄海原発1号機は1975年10月開始だから、これも既に36年に近い。
 逆に、最も新しい原発は、新潟県の柏崎刈羽原発7号機(1997年7月)だ。野田首相が言う“寿命”とはいったい何年経過のことなのか。かつては30年が目処といわれ、それがいつの間にか40年になり、最近では60年までは運転可能などと、いつの間にか原発の寿命はズルズルと延びてしまっている。
 もし野田首相が「寿命は30年」だと言うのであれば、新規の原発建設がない場合、日本の原発の終焉は2027年、つまり今から16年後、「40年」であれば26年後、「60年」ということならなんと46年後というとんでもない計算になる。つまり、経産省や電力会社の設定する“原発寿命”で、運転期間はいくらでも変えられるということになる。最長の46年後の場合、野田首相とて生きてはいまい。むろん、僕だってこの世にはいない。僕の悲願でもある「原発のない日本」を、僕は生きているうちには見ることができない…。

 では、実際に原子力行政を新たに司る経済産業大臣はどう考えるのか。担当となった鉢呂吉雄経産相について、東京新聞(9月3日付)の記事を見てみる。

 (略)鉢呂氏はもともと農政が専門だが、自分の選挙区に北海道電力・泊原発を抱え、同原発のプルサーマル計画に慎重論を唱えてきた。
 原発に対する考え方は「電力は経済の血」と主張する野田首相よりも脱原発傾向の菅直人前首相に近い存在だ。記者会見では「基本的に脱原発依存だ」と明言した。(略)
 鉢呂氏は二〇〇九年、党北海道代表として北海道版「緑のニューディール」構想を表明。北海道の発電量に占める再生エネルギーの割合を三〇年までに50%に拡大する目標を打ち上げるなど、もともと、原発に替わる再生エネルギーの普及に熱心なのは確かだ。(略)

 ここでは、原発再稼動に熱心だった海江田経産相と、それに待ったをかけた菅首相との逆の関係が、野田首相と鉢呂経産相の間に透けて見えてくる。果たして、原発行政はうまく作動するのだろうか。
 その後、鉢呂経産相は、既に建設に着手している原発の工事中止検討も含め、建設準備中の山口県上関原発も建設中止を示唆、さらに「新規建設がない以上、国内原発は将来的にはゼロになる」とも語った(東京新聞9月6日付)。
 高速増殖炉「もんじゅ」は文科省管轄だが、これについても新任の中川正春文科相が「専門家による検証が必要」と語り、見直しの方向が示唆されている。

 確かにひとつひとつの動きは、(遠い)将来の「脱原発」へ向いているように思える。だが、その「将来」とはいつのことなのか。それが不安なのだ。
 心ある地震学者たちは「もはや、いつ日本のどこを巨大地震が襲ってもおかしくない状況」と、繰り返し警告している。野田首相が言う「原発の寿命による廃炉」が行われる前に大地震が襲来したら、もうこの国は立ち直ることなどできないだろう。少しでも早い「原発の終焉」が望まれるのだ。

 同じ想いの人たちはたくさんいる。
 9月19日(敬老の日)に「さようなら原発大集会」が、午後1時半から、東京・明治公園で開かれる。
 「1000万人が動けば かえられる」をスローガンに、1000万人署名運動にも取り組んでいる。そこへの参加を呼びかける記者会見が6日に行われたので、僕も取材に行ってきた。

「脱原発大集会」の記者会見。取材陣でぎっしり

 呼びかけ人は、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔さんの9人。
 この会見には大江さん、落合さん、鎌田さん、それに賛同人として宇都宮健児さん(日弁連会長)が出席。小さな会場だったが、ぎっしりと取材陣で埋まって(中には外国人のクルーもいた)、ちょっと遅れて到着した僕は、ずっと立ちっぱなしだった。
 4人の方々が、それぞれに自分の言葉で「脱原発」の想いを語った。僕も「賛同人」の片隅に名を連ねている。もちろん19日は参加する。
 もはや、立ち止まっているときではない。子どもたちの周りに、今も放射性物質は漂っている。遅きに失したとは思う。それでも動かなければ、僕らは悔やみつつ生を終えるしかない。

 僕は、行く。
 あなたもぜひ、と呼びかけます。

ついに我が家の「脱原発ポスター展」も五回目

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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