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2011-06-22up

時々お散歩日記(鈴木耕)

51

原発さえなければ…

 福島県相馬市で酪農家が自殺したことは、ニュースで知っていた。でも、こんな切ない書置きを遺していたとは、知らなかった。

 かつて東京オリンピック(1964年)のマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉さんは、走ることへの重圧と家族への感謝を書き遺して自死した。その遺書は、凄絶な美しさと、哀切さに満ちていた。
 「父上様母上様 三日とろろ美味しゅうございました。干し柿 もちも美味しゅうございました。敏雄兄姉上様 おすし 美味しゅうございました。…」と始まり、たくさんの兄弟姉妹や親族にまで「○○美味しゅうございました。」と繰り返されるフレーズは、まるで美しい詩のように、だが、疲れ果てた人間の鬼気迫る心情をあらわして、読む者の胸をかきむしる。
 そしてこの遺書は「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。…幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」で終わる。1968年、彼は27歳の若さで人生を閉じた…。

 同じように哀切な遺書が…。
 6月20日付の朝日新聞によれば、酪農家の男性(54)は、福島第一原発から約50キロ離れた山あいの静かな集落で、フィリピン人の妻とふたりの子どもとともに、約40頭の乳牛を飼っていた。長男の小学校の入学式を楽しみにしていた、真面目で仕事熱心な人だったという。
 その幸せを、原発がぶち壊した。自宅周辺は放射性物質で汚染され、妻子は4月中旬、原発事故を心配したフィリピン政府の要請で帰国。男性も飼っていた牛を知人に託し、遅れてフィリピンに渡ったが、やがてひとりで帰国。言葉の壁が障害になったようだという。帰ってきた自宅に、乳牛たちはいなかった…。
 そして6月初旬。新築したばかりだった堆肥舎で、自殺した。堆肥舎の壁に、チョークで哀切な書置きが遺されていたという。朝日新聞の記事から、その文章を引用する。

 姉ちゃんには大変おせわになりました。原発さえなければと思ます。残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい。仕事をする気力をなくしました。(妻と子ども2人の名前)、ごめんなさい。なにもできない父親でした。仏様の両親にもうしわけございません(一部省略、原文のまま)

 似ている。
 円谷幸吉さんは「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書き遺した。この男性は「仕事をする気力をなくしました」と、呟くように書いて去った。ふたりとも、疲れ果てて気力を失ったのだ。父母に詫び、家族に詫びて、逝った。
 だが、ふたつの遺書のもっとも大きな違いは「原発さえなければ…」というフレーズだ。自分の力ではどうすることもできないもの、目に見えぬ悪魔、ようやく築いた家族の幸せを奪った放射能…。
 円谷さんの死の陰には、国家や国民の"期待という重圧"が見え隠れする。しかし、この酪農家の死は明らかに「国策」の犠牲だ。原発さえなければ、死ぬことはなかったのだ。家も牧場も堆肥舎も地震で壊れはしなかったし、妻子も異国へ去ることはなかったはず。原発がこの人を殺したのだ。それは間違いない。
 多分、このような死は、これからも続くだろうと僕は思う。立ち上がる気力を奪う放射能。目に見えぬだけに、その危険性や恐怖感は、他の何物にも比べられない。美しい古里がありながら、そこへ戻れない。ただ朽ち果てていく我が家を、遠くから見る(想像する)しか、すべはない。こんな辛さ、切なさがあるだろうか。
 僕の推測を裏付けるような記事が、毎日新聞(21日夕刊)に載っていた。

 今年5月の全国の自殺者が3329人(暫定数)で、昨年5月の2782人(確定数)に比べて547人、19.7%増えていたことが警察庁の調べで分かった。昨年12月から今年3月までは4カ月連続で前年を下回った減少傾向から一転したうえ、月別の自殺者数が3月と9、10月にピークを迎えることが多い近年とは傾向が異なる。内閣府は「東日本大震災による生活環境や経済状況の変化が影響している可能性がある」として、震災後の自殺者の性別や年代、出身地など、警察庁の統計を詳しく分析する。

 「原発さえなければ」死ななくてもいい人たちが、この中にはたくさん含まれていただろう。そして残念ながら、これからも自殺者は増え続けるだろう。自分の力ではどうにも抗えない状況。
 政治屋どもが、見るも阿呆な「菅おろし」とやらで騒いでいる間にも、追いつめられて、死を選択せざるを得ない人たちは、増え続けているのだ。永田町でアドレナリン出しっぱなしで走り回る政治屋ども、恥ずかしいとは思わないのか。「国家は、国民の程度に応じた政治家しか持てない」と誰かが言っていたけれど、果たしてこの国の人たちは、あれほどひどい政治屋どもと同じ程度の低さなのだろうか。
 政争をやる前に、震災復興や原発事故処理など、人間の命に関わる重要な仕事が目の前に山積しているではないか。
 国民がほとほと呆れ返っていることに気づかないのは、国会という「石棺」の中で暮している政治屋たちたちだけだ。こんな連中は、「石棺」に詰めて核廃棄物と一緒に地中深く埋めてしまいたい。

 原発さえなければ…。
 それが、避難せざるを得なかった人たちの、どうしようもない嘆き、怒り、憎しみ。だが彼らも、その感情を声高に言えない後ろめたさを背負っている。
 「あなたたちも、原発でいい目を見てきたじゃないか。いっぱい金を貰ってきたじゃないか」という批判があるからだ。まるでその弱みにつけ込むように、政府は動き始めた。毎日新聞夕刊(6月18日付)の記事だ。

 海江田万里経済産業相は18日、東京電力福島第1原発事故のような設計基準を上回るシビアアクシデント(過酷事故)対策について、各原発への立ち入り検査を実施した結果、「水素爆発などへの措置は適切に実施されている」と評価した結果を公表した。海江田経産相は「これにより、運転停止中の原発についても再稼動は可能」との見解を示した。しかし、原発立地の自治体では慎重姿勢が強く、定期検査などで停止している原発の再稼動までには時間がかかる見通しだ。海江田経産相は結果の説明と再稼動の要請のため、来週末にも立地自治体を訪問する方針を明らかにした。

 こんなデタラメな話があるものか。
 その調査は、例の原子力安全・保安院が6月7日に電力会社などに状況報告を指示したもので、①原発の中央制御室の作業環境の確保、②停電時の原発構内での通信手段の確保、③放射線管理の体制整備、④水素爆発の防止対策、⑤がれき撤去の重機配備、の5項目。各電力会社からの報告を受けて、保安院は全原発に立ち入り検査を行った。その結果、すべての安全措置が確認された、というのだ。
 “あの保安院”の調査・検査なのですよ。あなたは、その結果を素直に信じられますか?

 福島原発からは、悲観的な情報しか聞こえてこない。高濃度汚染水の処理は設備の不具合が重なって遅々として進まず、作業員たちの限度超えの被曝が次々に明らかになり、メルトスルーした核燃料の処理など遠い彼方、核燃料はいまだに高温で推移し、4号機からは高濃度の放射線量を含んだ水蒸気が放出され続けている画像がネット上で流布している。
 放射能汚染が関東地方から西日本へまで拡がりつつあるというこの時期に、「安全が確認されたので、停止中の原発の再稼動を促す」とは、言葉は悪いけれど「狂気の沙汰」としか思えない。
 海江田経産相だけではない。自然エネルギー導入に前向きと自ら発信していた菅首相さえ、海江田経産相に同調。「私も(考え方は)まったく同じ。きちんと安全性が確認されたものは、稼動していく」と述べた。"呆れる"の2乗である。
 菅首相がこのところ主張する「電力固定価格買い取り法案」や「再生可能エネルギーへのシフトチェンジ」も、首相の座を維持するためのポーズにすぎないのか。

 海江田経産相や菅首相が依拠した「保安院の検査」のデタラメさは、すぐに暴露された。
 東京新聞コラム「こちら特報部」(6月21日付)がこう書いている。

 (略)点検項目は水素爆発対策など、福島の事故に関する五項目の短期対策だけ。内容も地域ごとの特性を一切ふまえていない。今回分かった地震や津波の影響を耐震安全性評価に反映させるなど、地元自治体が求めていた中長期的対策については「今後の課題」(保安院)と先送りされた。現地の立ち入り検査もたった二日間ですべてを終えたという。
 こうして点検開始からわずか十一日後、海江田氏は「各原発ではシビアアクシデント対策が適切にとられた」と安全宣言した。菅首相も翌十九日、「私も(考えは)まったく同じ。すべての原発を停止するとは言ってない」と賛同した。(略)

 たった2日間の立ち入り検査で何が分かるというのか。「シビアアクシデント(過酷事故)対策は適切」とは、どういう根拠での発言か。
 さらに問題なのは保安院の発表だ。大地震や津波対策などは「今後の課題」だというのだ。地震や津波対策こそ、今回のシビアアクシデントへの最も重要な対策課題ではないのか。それを「今後」に引き伸ばす。「今後」とは、いつのことか。「今後」が来る前にまたも大地震が襲ったら、いったいどういうことになるのか。
 こんなデタラメな保安院の報告に従って、原発再稼動を求める政府。福島原発事故の検証もすんでいない段階で、というより、福島原発をどう収束できるのかがまったく分からない段階でこんな結論を下す人たちを、僕はとても"政治家"などと呼ぶ気にはなれない。官僚や財界という傀儡師に操られた木偶人形(でくにんぎょう)にしか見えない。

 梅雨だ。
 近所の公園の、雨に濡れたアジサイがきれいだ。ハナショウブも美しい。でも、あの雫も放射能に汚染されているのかも…。
 せめてもの僕の抵抗。家の塀の、極小「脱原発ポスター・ギャラリー」を更新した。第2回。来週も…。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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