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2011-04-27up
時々お散歩日記(鈴木耕)
44子どもたちを「原発疎開」へ
このところ、新聞もテレビも危機的な福島原発の現況については、あまり報道しなくなった。代わって「美談」の洪水である。
「有名人、芸能人たちが避難所へ被災者たちの激励に入った」
「スターたちの炊き出しに、長蛇の列」
「震災にも挫けず、復興を期して店舗を再開したコンビニ店主」
「避難所にオモチャのプレゼント。子どもたちの笑い声が響く」
「米軍トモダチ作戦に、被災者たちのありがとう」
「逃げ出さなかった外国人たちの、日本への想い」
「ボランティアの人々に、お年寄りたちが涙ながらに感謝」
「自衛隊員たちがお風呂を設置、久しぶりの入浴に笑顔」
「小中学校で入学式。子どもたちの笑顔が並ぶ」…などなど。
もちろん、そのひとつひとつは素晴らしいことだ。それらを伝えるのは、大災害の中のかすかな希望の光として、大切なことかもしれない。しかしその陰で、危機的状況にある原子炉についての報道が、次第に薄れつつあるような気がしてならない。
そして、こういう報道の中で、僕がもっとも気がかりなのは「学校再開」のニュースだ。特に福島県内、原発に近い市町村での「学校再開」が心配なのだ。この状況の中で「学校を再開」していいのか? 「学校再開」をまるで「美談」のように報道していいのか?
手許に1通の文書がある。原発問題を追い続けている方から提供してもらったものだ。こんなタイトルの文書だ。
「放射能を正しく理解するために 教育現場の皆様へ」
文部科学省 平成23年4月20日
※本資料は日本小児心身医学会のご指導・ご協力を得て作成しています
なかなかの中身だ。テレビで「ただちに影響はありません」とコメントする人たちの言い分を、そのままなぞったような文言が続く。たとえば、こんな文章。
"放射線から身を守る"という立場で、必要のない放射線をできるだけ受けないようにすることは、大切です。しかし、過剰な対策は、生活に支障をきたしたり、偏見を産み出したりすることにもつながります。何事もバランスが大事です。
「過剰な対策」とは、どういうことなのだろう。そして、「学校生活における留意点」として、さまざまな注意が示されている。
国際放射線防護委員会(ICRP)は、3月21日に「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1~20ミリシーベルト/年の範囲で考えることも可能」とする声明を出しています。
学校生活においては、1~20ミリシーベルト(=1,000~20,000マイクロシーベルト)を暫定的な目安とし、今後できる限り、受ける線量を減らしていくことが適切です。
1年間で蓄積される放射線量が20ミリシーベルト(=20,000マイクロシーベルト)を越えないようにすることとしました。
これは、1日あたり平均55マイクロシーベルト以下、1時間当たり平均2.2マイクロシーベルトいかであることに対応します。
また、1日の生活を、原子力安全委員会が示した考え方に基づき、8時間の屋外、16時間の屋内活動とすると、毎時3.8マイクロシーベルトとなります。
●毎時3.8マイクロシーベルト以上の区域
水溜りや、砂場、草木、建物の屋根など、万が一ですが、放射性物質がたまっている場所があるかもしれません。そうしたところを触った手で食べ物を口にすれば、放射性物質が体内に入るおそれもあります。お子さんには、念のため、手洗いやうがいなどを十分に意識させてください。放射線量に応じて、校庭や外で遊ぶ時間を制限してください。
●毎時3.8マイクロシーベルト未満の区域
普通に生活して支障はありません。
●毎時2.2マイクロシーベルト以上3.8マイクロシーベルト未満の区域
(一日平均8時間程度の屋外活動であれば、1年間の積算で20ミリシーベルト(=20,000マイクロシーベルト)以下となります。これまで通り、普通に生活しても支障ありません。)
●毎時2.2マイクロシ-ベルト未満の区域
(一日24時間屋外で過ごしたとしても、1年間の積算で20ミリシーベルト(=20,000マイクロシーベルト)以下となります。これまで通り、普通に生活しても支障はありません。
読んでいて、なぜか背筋が寒くなる。
国際放射線防護委員会(ICRP)は、あくまで「今回のような非常事態が収束した後の…」と言っているのだ。だが、収束など気が遠くなるほど先の話ではないか。放射性物質は、いまもなお放出され続けているのだ。現在進行形の放射性物質放出中の事態に、いとも簡単に当てはめてしまっていいものか。
これが、テレビ用学者たちの「ただちに健康に影響はない」というコメントの基になっているのだとすれば、文科省の責任は重大だ。
さらに、「原子力安全委員会の示した考え方に基づき」とは畏れ入る。その原子力安全委員会の醜態ぶりは、今回の事故でイヤというほど知らされたではないか。特に、あの班目春樹委員長の顔が浮かぶと、僕は平静ではいられなくなる。そんな連中の「示した考え方」など、絶対に信用できない。
子どもたちが危ない。
今は「戦い」なのだ。放射性物質という恐るべき毒物を撒き散らす「原発」なる敵と、必死の戦闘中なのだ。だとすれば、子どもたちを「疎開」させるべきではないか。
福島県では、「公園の砂で規定以上の放射能汚染が確認された。子どもを砂場では遊ばせないように。遊びから帰ったら、手洗いとうがいを必ずするように指導すること」という通達が出された。公園の砂場が汚染されているということは、近くの学校の校庭も汚染されているのだ。
それを裏付けるように、4月26日には、福島市と郡山市では「一部の学校の校庭の土が放射能汚染されているため、その土を数センチ掘り起こして、別の土と入れ替えることを決定」したという。行政当局が、子どもたちにとって校庭が危険である、と認定したわけだ。
そんな学校で、校庭での活動を1日1時間以内に制限したとしても、体に「ただちに影響はない」などと言えるのか。
僕は、子どもたちを「疎開」させるべきだと思う。
現在は「戦い」の最中ではないか。かつての戦争のとき、爆撃から子どもたちを守るために、米軍機が狙わないような田舎へ子どもたちを避難させた。それが「疎開」だ。
我が義母は90歳。疎開に「つきそいのおばさん」として福島県の白河へ、子どもたちと一緒に逃げたという。それも戦争の一断面だった。
いまは、ほとんど「戦中」だ。放射能という「最悪の敵」との、終わりの見えない戦いの日々だ。その「敵」から子どもたちを守るのが大人の役目ではないか。
大人たちにはさまざまな事情がある。危険を感じながらも、放射線量の高い地域から離れられない人も多いだろう。ならばせめて、子どもたちだけでも安全な場所へ移すべきだと思うのだ。
幼い子どもほど、放射線の影響は受けやすい。その影響がいつ表面化するかは、誰にも分からない。専門家と称する人たちにさえ、その詳しい予測などできない。
影響が出てからでは遅い。
子どもたちが放射線を浴びないうちに(いや、もう浴びている可能性は高いのだが)、安全な地域へ「疎開」させるべきなのだ。経済的事情で子どもを疎開させられない親も多いだろう。ならば親に代わって政府が責任を持って行うべきだ。
幼い子どもから引き離される親の気持ちは、痛いほど分かる。僕だって親だ。しかし、子どもを守る義務を、大人たちは果たさなければならない。それこそが、日本政府の最大の義務ではないか。
なぜ、子どもたちを政府の責任で「疎開」させないのか。この国の未来を背負う子どもたちを守れないで、なにが政府か。
東京電力が4月17日に「福島第一原発事故収束へ向けた工程表」なるものを発表した。3ヵ月で一応のメドをつけ、その後6ヵ月で収束へ向かう、としている。ただし、その工程については、当の東京電力自身が「9項目の危険」を付記しているほどだ。その中には、恐怖の「水素爆発」の再度の可能性すら書かれている。
つまり、この工程表どおりに事態が進むとは、東京電力さえも確信できていないということだ。 事故は継続中だ。それもそうとうな危機的状況の中で、事態は深刻度を増しつつある。
ではなぜ、そんな確度の低い工程表を東電は発表したのか。それは、政府から強く「収束の道筋を示せ」と要求されたからだ。原発事故に関しては、政府にはもうほとんど打つ手がない。だから、ムリヤリにでも東電に事故収束の絵図面を描かせて、高まる被災者や国民の不安・不満を鎮めなければならないという理由があったのだ。
その政府の思惑に、マスメディアはまんまと乗せられてしまった。いや、意図して乗ったのか。報道は、事故の深刻さから目を逸らすように、「美談報道」へと流れ始めた。僕にはそう思えてならない。
現在も、高濃度汚染水は垂れ流し状態にあり、放射線量はほとんど低下してはいないにもかかわらず、それらの情報はあまり流れなくなってしまった。これも一種の情報統制ではないのか。
しかも、放射線への感受性が高い子どもたちを、危険な地域の学校へ縛り付けておくことを、まるで「美談」のように報道する。僕には、どうにも納得できない。
そして、「数十倍の放射性物質が検出された」と聞かされても、「ああ、そんなに大した量じゃないな」などと思ってしまう我々は、この危機に飼い馴らされてしまっている。それを、子どもたちへまで押し付けてはいけない。子どもたちは、逃がすべきだ。
福島へ取材で入ったあるライターさんから、次のようなメールが届いた。
福島の人たちに取材すると、若い方もお年寄りも、支持政党に関わりなく「今更、県知事が何をいっとる」と佐藤雄平知事を批判します。「お前が原発もプルサーマルも認めたくせに、今になって何をいっとる。東電に会わない、などともったいぶっとるが、ポーズとるな! 知事がいちばん悪いのじゃ」
福島市内では、新聞の折込みチラシ、地元市民団体のビラなどが、知事批判を繰り広げています。ところが東京へ戻ってみると、テレビも新聞も、佐藤知事を「福島を救うために東電に立ち向かっている」といった扱いをしています。福島の人たちの思いと、首都圏はじめ福島以外の人たちの受け止め方には、とても大きな「温度差」があります。
このライターさんからは、数通のビラやチラシも届いた。なるほど、かなり激越な佐藤知事批判が展開されている。この批判と、僕らが目にする「東電の社長に、原発の再稼動はありえませんからね、と詰め寄る知事」という報道との間には、かなりの乖離がある。
報道には、気をつけて接しなければならない。
外はすでに初夏の匂いの風が吹いている。近くの公園の藤棚では紫色の花が満開だし、子どもの健やかな成長を願う鯉のぼりが、青空に勢いよく泳いでいる。でも、その鯉のぼりの小さな鯉が、哀しい。
僕は、自宅の壁に「原発はいらない」というポスターを貼り付けた。先日のデモで、誰かにいただいたものだ。こんなところで2度目の役目を果たしている。
原発ばかりに目を奪われていた。
沖縄から、辛いメールが届いた。いつの間にか、辺野古の浜辺に堅固な「壁」が造られた。むろん、キャンプ・シュワブを人々の目から遮蔽するための「壁」だ。そんな金があるのなら、浜岡原発の「壁」でも造ったらどうなのか!
米軍の「トモダチ作戦」に拍手している国民の隙を狙ったかのように、沖縄の浜は分断されたのだ。
これをみてほしい。「辺野古浜通信」
僕たちは、そして僕たちの国は、いったいどこへ向かおうとしているのか…。
鈴木耕さんプロフィール
すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
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