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2011-04-20up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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「原発電力3割」という"洗脳"

 電話があった。編集者の先輩のAさん。かつての上司で、なぜか気が合ってよく一緒に飲んだ仲だ。先日、某所でバッタリ会って、ちょっと酒を飲んだ。久しぶりで嬉しかった。
 そのAさんとの、電話での会話。

「おう、この前は楽しかったな。ところでおめえ、山岸涼子さんっていうマンガ家を知っているか?」。べらんめえ口調である。

「はあ、名前ぐらいなら。でも、読んだことはないですよ。そっち方面は詳しくないもんで…」

「おう、そうか。おめえは少女マンガ向きじゃねえもんな。オレは昔な、少女マンガの編集でな、山岸さんの担当だったんだよ。デビューからずっと編集として付き合ったわけだ」

「はあ、そうでしたね。でも少女マンガ、Aさんにだって、まるっきり似合いませんが」

「うっせえな。とにかくよ、オレは担当だったんだよ、山岸さんの」

「はあ、それで、どういう?…」

「16日の朝日新聞の夕刊、見たか?」

「はあ、突然そう言われても…」

「とにかくそこにな、山岸さんの記事が載ってんだよ。それ、読んでくれって話よ」

「はあ、でも、話の筋が見えないんですが…」

「おめえ、毎週『ブラブラ日記』っての書いてるよな。そこで紹介したらどうかな、と思ったんだよ」

「はあ、『お散歩日記』ですけど。でもあんなもの、読んでくれてるんですか、ありがとうございます。で、それとどうつながるんでしょう?」

「あのな、その山岸さんの『パエトーン』って作品が、ネットで無料配信されて、大人気になってるってことよ」

「はあ、『パエトーン』ですか…」

「おおよ、チェルノブイリの原発事故を扱ったマンガでな、凄いんだよこれが。よく調べてるし、面白いし、コワイし」

「はあ、じゃあさっそくネットで見てみます」

「おお、そうしてくれ。その『ブラブラ日記』でも広めてくれよ。山岸さんの心意気をな」

「はあ、『お散歩日記』なんですけど…」

 というわけで、僕はさっそくネットでこの『パエトーン』を読んだ。そして、すぐにアマゾンで3冊注文した。ふたりの娘に贈るつもりだ。こちらを参照してほしい。
最初のページに、著者・山岸涼子さんからの挨拶文が掲載されている。

東北関東大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
そして、福島原発の最前線で命を賭して従事している皆様に、深い感謝と尊敬の念を禁じえません。
勇気ある彼らのためにも25年ほど前の作品ですが、全国の皆様に読んでいただき、今一度原発の是非を考えてもらえたらと思っております。
では『パエトーン』をどうぞごらん下さいませ。
2011年3月22日 山岸涼子

 無料配信で、全ページ掲載。ぜひ読んでほしいという著者の想いが伝わってくる。それに値する作品だ。描かれたのは1988年。まさに、チェルノブイリ原発事故の2年後である。
 政府や電力会社、それに原発推進派の学者(と称する人)たちの「あれはソ連だから起きた事故だ。日本の原発の安全性はソ連なんかと比べものにならない」という大合唱に、「そうか、日本の原発は安全なんだ」と国民が思い込まされていた時期に、これほど明確に原発の危険性をマンガで描くという、マンガ家としての職業生命を賭けた人がいたなんて知らなかった。驚いた。
 電力会社の強大な圧力は、ひとりのマンガ家の発表の場を奪うことぐらい簡単にやりかねない時代だった。その危険を冒してまで、山岸さんは描いたのだ。
 僕に、そのことを教えてくれたAさんに、感謝する。

 こんな素晴らしい人がいる一方で、首を傾げたくなるような報道もある。たとえば、例の「世論調査」だ。
 朝日新聞(4月18日付)では、こうだ。

◆原子力発電を利用することに賛成ですか。反対ですか。
  賛成 50%(男性62%、女性38%)
  反対 32%(男性27%、女性37%)
◆日本の原子力発電は、今後、どうしたらよいと思いますか。(択一)
  増やすほうがよい 5%
  現状程度にとどめる 51%
  減らすほうがよい 30%
  やめるべきだ 11%

 福島原発の惨状を連日の報道で知りながら、なお「現状維持」「増設」が計56%という数字。
 放射能など、見えないから怖くないというのか。未来の子どもたちに、どんな影響が出るか分からないという恐怖など、感じないというのか。そんな恐怖を承知の上で、なお「原発の電気」が欲しいというのか。
 これがこの国の民意なのか、ほんとうにそうなのか。
 僕がおかしいのか、この数字の人たちがヘンなのか?

 しかし、同じ「世論調査」が毎日新聞(同日付)では、次のようになっている。

◆震災前、日本の電力の約3割が原子力発電によって賄われていました。原発に頼っている日本のエネルギー政策をどう思いますか。
  やむを得ない 40%(男性52%、女性32%)
  原発は減らすべきだ 41%(男性33%、女性46%)
  原発は全て廃止すべきだ 13%(男性12%、女性14%)

 同じ日付の「世論調査」で、なぜこんなにも結果が違うのか? 単純化して言えば、朝日は原発肯定が56%、否定が41%であり、毎日は肯定が40%、否定が54%ということになる。両新聞では結果がほぼ正反対なのだ。「世論調査」というものの信頼性に疑問が湧く。

 さらに、ここで問題なのは、毎日新聞の設問の仕方だ。「日本の電力の3割が原発で賄われてきましたが…」という前提つきなのだ。これは、「3割もの電力がなくなったらどうしますか?」と問いかけているに等しい。まさに、誘導質問ではないか。だが、こんな露骨な誘導にもかかわらず、毎日新聞での世論は、10%以上の差で「脱原発」が優勢だった。
 もしこれが「日本の電力の2割しか原発は賄っていませんが…」という前提だったとしたら、答えはどう変っていただろうか。脱原発の意見はもっと多かったのではないか。

 では、日本の総発電能力に対して原子力発電の占める割合は、実際はどの程度なのか。
 こんなデータを見つけた(作成者に感謝する)。

 この集計によれば、日本の電力会社の総発電能力は22607.65万kW。そのうち、原子力発電は5047.7万kW。つまり、総発電能力に占める原子力の割合は約22.3%である。しかも、この表には「10万kW以下の水力209箇所は含まれず」と注があるから、正確には原子力発電の割合はもっと小さくなるはずだ。
 だとしたら、「世論調査」の設問は「日本の総発電能力に占める原子力発電の割合は約2割ですが、それを踏まえて、これからのエネルギー政策はどう思いますか」としなければおかしいではないか。

 日本の電力需要の最大値は、2001年7月の18200万kWであった。紹介した表によれば、現在の原発を除いた電力供給能力は17560万kW。つまり、わずか640万kWの差しかない。しかも、現在では省エネ技術の普及や不況での需要減少などにより、総需要量は2001年当時より、かなり落ち込んでいる。
 簡単な算数だ。つまり、原発がなくても電気は足りるのだ。

 さらに付け加えておくことがある。
 日本の大企業の大きな工場は、ほとんどが巨大な自家発電装置を備えている。特に製鉄所などの発電能力は、50万kWを超えるものさえある。広瀬隆さんによれば、その総発電能力は5000万kWを超えるという。
 企業の自家発電能力は、自社使用分を除いてもかなり余裕があり、電力会社への売電可能量は相当のものになるという。事実、今回の事故後、東電は各企業から電気を買い付け始めている。この夏の計画停電が中止されたのは、そういう事情にもよる。
 これらを総合して考えてみれば、「日本の電力の3割が原発に頼っている」という前提が崩れてしまう。
 原発がなくても、電力不足には陥らない。

 前にもこのコラムで書いたように、原発は1度停止すると、再稼動にはそうとうな時間がかかる。水力や火力、その他の発電装置とは違って小回りが利かない。だから、それらの発電は原発のバックアップ(つまり、原発停止中のサブ電力)として使われてきたのだ。
 原発が動いているときは、ほかの発電所の多くは停止している。あまり需要のない真夜中でも、原発はひたすら動き続け不必要な電力を作り続けている。
 だから、本来なら不要な夜間電力をムリヤリ使って水を山の上まで汲み上げ、昼にそれを落として発電するという「揚水発電」なるものまで行っている。1の電力を作るためにその数倍の電力を使うという、まるでマンガのような発電は、原発の余った夜間電力をなんとか使うために苦し紛れに編み出された方法だ。
 そうまでして動かし続けなければならない原発の、どこが経済的だというのか。

 それにしても、「原発が日本の電力の3割を占めている」という宣伝は、もはやほとんど洗脳に近い。だから、相変わらずの意見が幅を利かす。
 「3割もの電力がなくなったら、明日からどうするのか」
 「また明治時代の生活水準にまで戻れというのか」
 「代替エネルギーのことも考えずに、脱原発などというのは無責任だ」
 ついには、「脱原発など、科学的じゃない」などと言い募る人さえ出てくる始末だ。

 いつも冷静な姜尚中さんも、『AERA』(4月25日号)で、こんなことを書いている。

 (略)原発事故が長引けば、電力供給に対する国の統制は更に強くなりそうな雲行きです。春先でさえこのパニックですから、夏には「電力の国有化」に近い事態になりかねません。日本の電力供給の3割が原子力発電です。電気に頼らない生活に大転換しないかぎり、その「3割」を安定かつ確実に減らすためには、国家がわたしたちの生活に介入せざるをえません。不安をあおるつもりはありませんが、電力制限の影響で工業製品を減産するようなことが起きれば、生活必需品に配給制が敷かれるようなことも最悪のケースとして覚悟しておいたほうがいいでしょう。(略)

 むろん、姜さんは「国家統制」への危惧を説いているのだし、その論旨に僕は賛成だ。そして姜さんは、注意深く「電力供給の3割が原発」と書いている。しかし、現実の供給量と供給可能量は違うのだ。
 つまり、前述したように、原子力発電の「現実の供給量に占める割合は3割」だが、「実際の供給可能量は2割」だということをきちんと説明しなければ、ほとんどの国民が電力会社や原発推進派学者(と称する人)たちに"洗脳"されたように、「電力の3割の原発がなくなれば、日本の産業は大変なことになる」などと思い込まされてしまう。
 原発などなくても、日本は明治時代へ戻りはしないのだ!

 たとえば、現在もっとも「危険な原発」と呼ばれているのが、静岡県御前崎市にある中部電力の「浜岡原発」だ。
 浜岡原発は、現在2機が稼働中。その出力は240万kW。中部電力の総発電容量は3400万kWだから、浜岡原発は10%以下の発電量だ。どの電力会社も、需要量を20~30%上回る発電容量を準備している。
 中部電力は、浜岡原発をもし停止させたとしても、まったく電力不足には陥らない。

 何度でも繰り返すけれど、浜岡原発は、次に確実に起こるだろうと予測されている(政府機関さえ警告している)東海地震、東南海地震という巨大地震の震源域の真上にある。
 福島原発は、この先どうなるか分からない危機を抱えたままだ。そこへもし、東海大地震が襲って浜岡原発が被災することになったら、日本は決定的に壊滅する。なぜ、そんな自明のことが理解できないのか!
 浜松や名古屋という中部きっての工業地帯が現在の東北と同じような事態に直面したら、いったいどうやってこの国を立て直すというのか。それでもまだ「原発の電力が必要」と言うのか。
まず、浜岡原発を止めよ!  と、僕は太ゴシック大文字で、何度でも呼びかける。

 4月18日の国会審議で、菅首相は「原子力発電政策については、これまでの計画をそのまま続けることにはならない」と述べて、原発の新増設計画の凍結もあり得るともとれる発言をした。しかし、それでも「浜岡原発の停止」を求める福島瑞穂議員へは、「福島原発の収束が来たときに、白紙からの検証をしなければならない」と答えるにとどめ、明確な「浜岡停止」にはついに踏み込まなかった。
 総理大臣が「停止」を求めれば、中部電力とてそれに応じざるを得ないはずだ。なぜ、それを求めないのか。
 そこには、やはり「原子力村」と呼ばれる強力で巨大な利権構造が蠢いているのだろう。民主党内にも巣食うその「原子力村」を解体しなければ、何も始められないということか。

 自民党は威丈高に「菅首相の責任」を攻め立てる。それに一理はあるものの、しかし現在の原発政策を採り続け、この惨事を招いた責任の大半は、自民党よ、あなた方にあるのではないか。
 まず自らの「原発政策の過ちを国民に深く謝罪」することから始めるべきではないか、自民党よ。そして、なにはともあれすべての叡智(そんなものがあればの話だが)を傾けて、福島原発の危機脱出へ全力を傾注すべきではないのか、自民党よ。
 今、政局ごっこをしている場合か。

 原発を考えていると、頭に靄がかかって重くなる。ほんの少しだけ、気晴らしの散歩に出た。
 近所の神社の前に、石灯籠がある。そこに「村内安全」と彫られていることに、初めて気づいた。
 今は「市」だが、ここはかつて「村」だったのだ。「平和な村」だったのだろう。
 そういえば、僕の好きだった『DASH村』は、もうテレビから消えてしまったようだ。放射性物質が降っているのか…。
 「村内安全」の文字が寂しい。

*こちらで「原発停止」を求める署名ができます
 → 「STOP! 浜岡原発」

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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