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2010-12-22up
時々お散歩日記(鈴木耕)
29もう一度、沖縄を
明日(12月22日)は、冬至です。1年で日照時間が1番短い日です。でも、日没がもっとも早い日は、冬至の約2週間前だそうですから、徐々に日は長くなってきているわけです。東京では、4時半ごろには日が暮れます。寒いです。
天気のいい日には、我が散歩コースの多摩川堤防の上から、富士山の影がくっきりと見えます。これも、寒そうです。
日が傾くのがとても早い。私の影が、こんなにも脚の長いシルエットで枯葉の上に写し出されます。寒そうです。
落葉の上の私のシルエットは、こんな足長おじさん
新聞を開いても、テレビを観ても、「この1年」とか「回顧2010年」などといった特集ばかり。もうじき、2010年が終わります。
私は今年、「マガジン9」で、『沖縄に訊く』という特集を書かせてもらいました。このコラムでも、沖縄についてずいぶん触れました。ほかにもいろいろな媒体で、沖縄を書きました。それらをまとめて『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)という本まで出すことができました。だから、私の「この1年」は、「沖縄」です。沖縄から、私たちの国の危うさや淋しさ、そして切なさが見えてくるような気がします。
今年最後のこのコラムも、沖縄について書きたいと思います。最後くらいは、明るい楽しい沖縄を書きたいなあと思っていましたが、残念ながら、そういう文章にはなりそうもありません。
菅直人首相が、12月17~18日に沖縄を訪れました。政府部内では「いま沖縄へ行っても解決策は提示できない。かえって沖縄県民の反発を招きかねない」として、首相の沖縄行きに反対の声も多かったと聞きます。しかし菅首相は「とにかく私の真意を、直接県民のみなさんに伝えたい」と、沖縄行きを決断したということです。
菅首相は「有明海の諫早湾干拓事業における潮受け堤防の常時開門」を、自ら決断しました。福岡高裁で「5年間の常時開門」の判決が出たとはいえ、政府(農水省)は、これを不服として上告する予定でした。
しかし、野党時代に潮受け堤防を“ギロチン”だと激しく批判してきた菅首相は、「私には、この件に関してはそれなりの知見がある」として、上告せずに常時開門することを決断したのです。
「官僚の言いなり」「決断できない首相」「以前に言ったこととブレてばかり」「その時々で言うことが変わる」などと批判され続けている菅首相としては、自らの決断力を示すいい機会だと捉えたのかもしれません。ただ、「パフォーマンスだ」として、干拓地を持つ長崎県知事らからは、激しい反発を浴びています。
しかし、たとえパフォーマンスだとしても、かつて主張していたことを実現するのは、政治家として当然でしょう。私は、菅首相の今回の決断だけは、評価します。
かろうじて農水省官僚や族議員たちの反対を押し切った菅首相、ならばなぜ、沖縄についてはそのような決断ができないのか。
むろん、「九州の一地方の干拓事業の問題と、国家の安全保障問題が絡む問題を同レベルで扱うのはおかしい」という批判は出るでしょう。しかしもともと、普天間飛行場の撤去は、民主党の公約だったではありませんか。それを実行すればいいだけです。
そして、その地で暮らす人間の問題は同じはずです。沖縄米軍基地周辺のすべての住民を、満足できる安全な地域へ、了解の上で移住させることが可能だとでも言うのならともかく、苦しむ人間を放置したままの政治は間違っています。狂っています。
菅首相の沖縄訪問前の12月13日、仙谷由人官房長官は記者会見で「国民に安心を与える安全保障政策を実施していかなければならない。申し訳ないが、沖縄のみなさんには(米軍基地を)甘受していただくしかない」と発言しました。
つまり、「苦しむ人間を放置しておく」という宣言をしたに等しい。「これまでの酷い状態を、他の日本国民のために、これからも我慢しなさい。沖縄はそういう場所なのだから」ということです。沖縄は、この仙谷発言に一斉に反発しました。当然です。
なぜこのような不用意な発言を、この内閣は繰り返すのか。どこかタガが外れているとしか思えない。
そんな反発のさ中、菅首相は沖縄行きを17日に決行しました。行くからには、なんらかの解決策(?)をお持ちのことと思ったのですが、やはりそれはカネでした。なんでもカネの自民党政府と、いったいどこが違うのか?
「普天間基地の辺野古への移設が、ベストではないかもしれないがベターだと思う。普天間基地の危険性除去のためにも、ぜひご協力いただきたい。ついては、沖縄県を別枠とする“地方一括交付金”の優遇措置を講じる用意があるし、来年度で期限が切れる沖縄振興特別措置法に代わる新法制定にも、積極的に取り組む」
これが、仲井真弘多沖縄県知事との会談で菅首相が述べたことの、ほぼ全容です。そして、一括交付金として250億円以上を用意する、との具体的な金額も提示したということです。「日米合意の見直し」には、まったく触れませんでした。沖縄が最も望んでいることなど、菅首相の頭の中の片隅にさえ存在しなかったようです。
カネをやるから痛みは我慢しろ。まさに「アメとムチ」の典型です。露骨です。
自民党政府がやったことと、いったいどこが違うのか。いや、沖縄県民に期待を抱かせた分、自民党より酷い。
沖縄県庁での仲井真知事との会談場所には、県庁前に詰めかけた抗議団の「菅、帰れーっ!」「辺野古移設、撤回っ!」「日米合意を見直せーっ!」などの怒号やシュプレヒコールが響いてきていました。菅首相、それをどのように聞いたのでしょう。それとも、聞く耳など持ってはいなかったのでしょうか。
翌18日、菅首相はヘリコプターで、普天間飛行場や辺野古地区を“空中”から視察。普天間では沖縄米軍トップのロブリング4軍調整官と会い、騒音の軽減や米兵犯罪の取締りなどを要請したそうです。
米軍トップには会ったのです。当然、沖縄の人たちとも直接会って意見を聞く時間もたっぷり取った、と普通の感覚の人なら思うはずです。ところが、そんな予定は最初からまったく組み込まれていなかった…。
これが、我が「日本国の首相」なのです。「米軍」には会う。意見を聞き、要請もする。しかし、「日本国民」には会わない。意見も聞かないし、要求も受け付けない。「菅よ、帰れ!」と叫びたくなる人たちの気持ちが、痛いほど分かります。
しかも、かつては辺野古基地容認派だった仲井真知事でさえ、いまや「県外移設派」に変わらざるを得ないような沖縄の状況の中で、平然と「辺野古が“ベター”です」と言い放つ感覚。もはや、怒りを通り越して呆れるしかない。
さすがに、“ベター発言”への沖縄県民の激しい反発に驚いた菅首相は、「ベターというのは、我が国を取り巻く緊迫する国際情勢を考えると、辺野古案は実現性もあり、普天間の危険除去にもなり、基地負担軽減にもつながると思う。その点を、ぜひ沖縄のみなさんにも考えていただきたい、との趣旨で言ったのです」と、19日の記者会見で必死に弁解した。まったく何度弁解すれば気が済むのだろう、この内閣は。
沖縄をめぐる民主党政府の動きは、これだけに止まりません。もっと前のめりなのです。
これからの政府の防衛政策と、自衛隊の方向を定める「防衛大綱」が発表されました。
これは、「動的防衛力」なるものの構築が主眼となっています。これまでの防衛路線からの転換です。
批判を承知で簡単に言えば、自国を守ることを主眼とする「専守防衛論」から、「敵基地攻撃論」への傾斜の路線に入ったといっていいでしょう。つまり、自国内への侵略侵攻に対応することが主眼だった「専守防衛」から一歩踏み込んで、有事の際には敵基地へも攻撃できるような機動力を持った「軍隊」にしよう、という動きの第一歩です。そのために、沖縄の与那国島などの南西諸島へ、自衛隊を配備する意向を示しています。これを、自民党ではなく、民主党が決めたのです。
東京新聞の「本音のコラム」(12月19日付)で、北海道大学の山口二郎教授は次のように書いています。
(略)最近本欄では菅直人首相の批判を繰り返すばかりで、私も残念である。しかし、志操を捨て去ろうとする政治家は批判し続けなければならない。武器輸出三原則の廃止は先送りになると思ったら、今度は防衛大綱の見直しで、専守防衛の理念を捨てようという動きになった。これは憲法改正に準じる暴挙である。 一九九二年、PKO法審議をめぐり徹夜国会となった時、当時社民連の若手議員だった菅氏は同法の反対討論に立ち、所定時間を超えて海外派兵反対の演説を続けた。最後は衛視に排除されたが、演壇にしがみついて演説を続けようとした菅氏の姿勢はまぶたに焼き付いている。(以下略)
そうでした。私もその光景を鮮明に憶えています。
演壇を両腕で抱え込んで衛視の実力排除に抵抗しながら、必死に「我が国の戦後初の海外派兵は憲法違反ですっ!」と絶叫する菅氏は、平和憲法擁護派の若き闘士でした。その人がいま総理大臣です。だから、平和への道筋を、世界の先頭に立って示してくれるものとの期待も、かすかながらあったのです。
しかし、人は変わるのですねえ。
自民党政権がやろうとしてもできなかったことを、次々と形にしていきます。この防衛大綱の見直しが、アジア地域の危機増幅への始まりでないことを、心から願うばかりです。
「結局、誰が政治を担当しても同じじゃないか」という醒めた(というより諦めた)人たちが、どんどん政治に興味を失っています。さまざまな選挙戦の呆れるほど低い投票率が、それを如実に示しています。
数年前に沖縄で撮ったガマ(自然にできた壕)
最後に、数年前に沖縄を訪れたときに携帯で写したガマ(壕)の写真を掲載します。ここで何人の人が亡くなったか、いまだに確定していない、と案内してくれた方が言っていました。
菅首相も、せめてそんな場所を訪れればよかったのです。
来年が、いい年でありますように。
鈴木耕さんプロフィール
すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
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