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2010-10-13up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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「石敢當」を知っていますか?

 最近、散歩していると、とてもいい香りが漂ってきます。これこそ秋の匂い。そうです、金木犀の花の香りです。
 私の家のお隣の庭にも、大きな金木犀の木があります。もう樹齢数十年にもなるでしょうか、丈が7~8メートルはありそうな立派な木です。これがその名の通り、金色の花をびっしりと咲かせています。そして、私の家の庭までも、その素敵な香りで満たしてくれるのです。
 他の景色を自宅のものに取り入れることを「借景」と言いますが、これは「借香」とでも呼びたくなります。
 それにしても、ご近所にこんなにたくさん金木犀があったとは気づきませんでしたね。私の散歩は、なるべく人気(ひとけ)のない路地を選んで徘徊(?)するのが普通ですが、路地の角を曲がるとふいに鼻をくすぐるのが、いまは金木犀の香りなのです。秋ですねえ。これが意外なほど多くて、驚いてしまうのです。
 私が住んでいる街は、東京とはいえ、まだ畑や雑木林も残る静かな場所も多いのです。散歩にはなかなか適した街です。

 前の市長さんは、こんな田舎っぽい街に芸術の意識を植えつけようとでも思ったのでしょうか。街のいろんな場所にたくさんの彫刻や銅像が鎮座しています。前市長の施策だったらしいのです。
 中にはギョッとするようなものもありますよ。街なかのコンビニのまん前に、両手を広げて背伸びする若い女性の裸像が屹立しているのは、ちょっとどうかと思いますが、それは別として、それなりに楽しめるものも多いのです。
 そこでお散歩の途中で、いろんな銅像の写真を撮ってみました。いつもは気づかずに通り過ぎている道筋や公園に、こんなにたくさんの銅像が立っているとは思いませんでしたが。

 中でいちばん気に入っているのは、近所の公園の小さな丘の上にある少女ふたりの像です。ふたりがベンチに座って何かを話しているようです。しかし、少しだけふたりの間には距離がある。うーん、この微妙な距離が、話の中身を暗示しているようで、私は話の中身を想像しながら、しばらくぼんやりと眺めていたりもします。時折、ふたりの間に公園散歩の誰かが腰掛けています。触れられる芸術というのは、なかなかいいものだと思います。

 ほかには、鬼ごっこする子鬼たち、とか、サックス吹きのデブおじさんと猫、フルートを奏でる女性と猫、麦藁帽子を持ち上げる少女など、その数はいったいどれくらいになるのか分かりません。

 この街のいちばん大きな公園の真ん中には、なんと「ティラノサウルス」の巨大な像(?)まであって、子どもたちには大人気のようです。
 これらの彫刻にかなりの費用がかかったとは思いますが、まあ、ずっと残るものだし、そんなにメンテナンス費用はかからないし、それなりにいいアイディアだったのかもしれません。

 “街角にたくさんあるもの”で連想するのは、沖縄の「石敢當(いしがんとう)」です。石造りの小さなものですが、多くは街の三叉路やT字路の角などにひっそりと置かれています。
 これは、沖縄の魔物の「マジムン」が、三叉路やT字路の突き当たりの家に侵入してくるのを防ぐ、という意味があるのだそうです。あまり大きくはなく、せいぜい50センチ~1メートルほどの石造り。ほとんどは何の飾り気もなく、ただ「石敢當」と文字が刻まれているだけ。知らない人は気づかずに行き過ぎてしまいます。
 私は沖縄へ行くたびに、角々の石敢當を探します。それぞれに違う相貌をしていて、なかなか楽しい散策になります。
 そういえば、普天間飛行場そばにも、たしかに自然石で造られたような「石敢當」がありました。
 でも、沖縄がもっとも防ぎたい“魔物”こそ、米軍基地でしょう。ならば、基地の周りを「石敢當」で囲んでしまう、という夢想…。

 沖縄知事選が近づいています。11月11日告示、同28日投開票です。仲井真弘多現知事と伊波洋一現宜野湾市長との一騎打ちになりそうな気配です。この知事選について、朝日新聞(10月11日付)の「時時刻刻」というコラムが次のように書いています。

<見出し> 
沖縄知事選 動けぬ政権
普天間 消えた「容認」 日米関係に影響 必至
民主、独自候補は困難 党本部と小沢G・地元に溝

 まあ、見出しだけでだいたい記事の内容は分かるでしょうが、少しだけ記事を引用します。

(立候補を表明している伊波洋一宜野湾市長は、決起集会で次のように語った)「私が知事になれば普天間飛行場の問題はより早く解決する」
 市長として米議会にも働きかけ、7年間基地問題に取り組んだ。普天間飛行場については米国への移転は可能というのが持論で、県内移設を容認してきた、現職の仲井真弘多氏との違いを鮮明にする戦略を描いてきた。7日の会見では、辺野古移設について「現実的でない。だから普天間が固定化する」と批判。自分が勝てば日米両政府は移設をあきらめる一方、「世界一危険な普天間飛行場」を放置できず、米国移設を検討せざるをえないと持論を展開した。(後略)

 記事からも読み取れますが、伊波氏の決意は相当なものです。県民の支持も、名護市長選や名護市議選での移設反対派の大勝に見られるように、伊波氏に有利に推移していました。
 危機感を抱いた仲井真氏側は戦略を転換、県民の想いを読んでこれまでは明確にして来なかった「県外移設」を主張し始めました。主要な2候補とも「普天間飛行場は県外へ」ということで一致したわけです。
 仲井真陣営は、「普天間問題を知事選の争点から外し、不況や雇用などの経済問題を主な争点にしてしまおう」という考えのようです。しかし、仲井真氏は「県外移設」は言い始めたのですが、なぜかいまだに「県内反対」とまでは踏み込んでいない。つまり、「現在の情勢では県外移設を求めるが、いつか状況が変わったら県内移設もありうる」ということなのかもしれません。これは、争点隠しです。

 1998年の沖縄県知事選が思い起こされます。
 このとき、「普天間の県内移設に絶対反対」の立場だった当時の大田昌秀知事を追い落とし、移設容認派の稲嶺恵一氏を当選させるために自民党政府が採った戦略と、今回の仲井真陣営の政策転換は、ほとんど同じといっていいでしょう。
 自民党は当時の野中広務内閣官房長官が、いわゆる“官房機密費”をこの選挙に3億円も投入し、広告代理店を使って大キャンペーンを繰り広げたといわれています。
 ある日突然、県内のあらゆる場所に「9.1%」という文字のみの謎の黒いステッカーが貼りめぐらされたのです。当初は誰が何のために貼ったのか、そして9.1%とはどういう意味なのか、すべて不明でした。
 やがて、それは明らかになります。
 知事選が近づくにしたがって、密かに「県政不況」なる言葉がささやかれ始めました。そして最終的には「大田県知事の政策が沖縄経済を壊滅させた。これこそ『県政不況』だ。『9.1%』とは、日本一最悪の沖縄の失業率だ」という宣伝が、稲嶺陣営によってメディアも使って大々的に繰り広げられます。
 県民は、「9.1%とはそういうことだったのか。なるほど、それは県政不況だ。基地問題より、まず経済だ。大田知事ではもうダメだ」と、次第に刷り込まれていきました。
 すべては、周到な広告戦略に乗っ取って豊富な資金を投入した、自民党政権の作戦だったというわけです。基地問題から県民の目を逸らさせるため「県政不況」なる言葉を作り、凄まじい物量作戦で、資金に乏しい大田陣営を圧倒。県内各地に網の目の如く貼り出されたステッカーは、実に20万枚を超えていた、とも言われています。かくして、ついに8年間にわたった大田“基地反対”県政は幕を閉じたのでした。 ほとんど“謀略選挙”だったのです。

 なお、この官房機密費問題については、1998年当時の官房副長官だった鈴木宗男氏が3億円の沖縄知事選への流用を、テレビや新聞などで暴露しました。これに対し野中広務氏が、それは「虚偽である」として、インタビューを放送したTBSに抗議。TBSは、「一方的な取材だった」と、野中氏に謝罪し訂正するという、メディアにあるまじきあまりにお粗末な対応をして失笑を買いました。
 なぜ謝罪訂正の必要があったのでしょう。野中氏に別途取材して、それはそれで別枠で反論インタビューを流せばよかっただけです。それを、すぐに謝ってしまう。メディアの劣化の一例です。

 では、今回の沖縄知事選はどうなるでしょうか。1998年当時のようには推移しないと、私は思います。
 まず、仲井真氏のバックにはもう政権党はいないし(まさか、いくらなんでも民主党が仲井真氏を担ぐとは思えません)、仲井真氏支持の自民党にはかつての力も資金(官房機密費)もありません。また、政権党である民主党は、まったく腰が定まっていません。つまり、1998年当時とは、まるで状況が違っているのです。
 善し悪しは措くとして、1998年の闘いでは、基地をめぐって賛成派と反対派が激しくせめぎあったのは事実です。それは、自民党という政権の意思が、「辺野古移設」というはっきりとした方向性を持っていたからです。ところが現在の政権党である民主党は、まったくどうしたいのかその意思が見えません。とりあえず決定の先送り、それしか考えていないのでしょう。先送りに展望などありません。

 この朝日新聞の見出しにあるように、<民主、独自候補は困難>な状況でした。党本部と地元民主党沖縄県連の間には、抜きがたい不信が存在していたからです。県連は、県内移設には口が裂けたって賛成できない。もしそんなことに賛成したら、沖縄県民主党は壊滅です。県民の総スカンを食らうのは目に見えているからです。
 ところが、民主党本部にはその危機感は薄いようです。
 琉球新報は、10月11日付で、次のように報じています。

県知事選「独自候補の意向」 民主党本部、県連へ打診
 (民主党県連の喜納昌吉代表は)8日に党本部の渡辺周選対委員長から電話があり、独自候補の擁立に向けて県連と話し合いを進めていく意向を伝えられたと説明した。
 喜納代表は「党本部と県連のねじれの解消で、党側から歩み寄ってきた。(県連が主張する)県外・国外が前進するかもしれない。これまで党本部とけんかしてきたが、交渉のテーブルをつくることが必要だ」と述べ、候補者擁立に向けて政策の一致を調整するため、今週中に党本部と協議を行う方針を示した。(後略)

 告示日まで1ヵ月を切ったこの段階で、まだ独自候補擁立を模索する。どうにも理解できません。党本部と沖縄県連が協議すれば、菅政権の言う「日米合意重視による辺野古移設」の方針が見直される、とでも言うのでしょうか。そんなことが可能なら、もっと早くその方針を打ち出しておいたでしょう。今更そんなことは考えられません。
 菅政権の外交政策の大転換が、そう簡単に行われるはずがない。菅首相がそんなことを考えているとは、とうてい思えないのです。
 またしても、出来ない約束、空手形…。
 そして、もし民主党が独自候補擁立に走ったとしたら、それこそ「県内移設反対候補」の乱立です。もっとも得をするのは、当然のことながら、いずれは県内移設も視野に入れそうな仲井真現知事です。
 最終的には、県内移設派を利するだけの、民主党独自候補擁立論でしかありえません。
 もし、そんなことをマジに考えているのだとしたら、民主党は、まず沖縄から崩壊していくのかもしれません。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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