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2010-08-04up

時々お散歩日記(鈴木耕)

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異国に死す、ということ

 久しぶりに、近所の都立多磨霊園を散歩して来ました。ほんとうに暑い毎日ですが、霊園の中はわりと涼しいのです。私のかっこうの散歩コースのひとつなのです。それに、少しは運動しないと、どうもビールがお腹のお肉に悪影響を及ぼしそうですから。

 正門から入ると、正面は「名誉霊域」という名称の広い大通りです。その名のごとく、東郷平八郎、山本五十六などの、超有名人たちの巨大な墓が並んでいます。まさに「名誉霊域」です。
 その大通りの右側の道を進むとすぐ右手が「外人墓地」です。
 「外人墓地」といえば、横浜が有名ですね。古い歴史があり、歌謡曲の歌詞にも出てきますし、観光地にもなっています。その丘の上の美しさと「外人墓地」という言葉が、何かエキゾチックな感傷を誘うから人気があるのでしょう。
 しかし、ここ多磨霊園の「外人墓地」は、なんとも寂しい墓域です。30メートル×50メートルほどの狭さですし、忘れられたような暗さが漂っています。訪れる人も少なそうです。

 「東京都からのお知らせ」として、連絡がないので無縁墓地に移します、という意味の立て看板がそこここに掲示されています。異国の地で生を終えここに眠った人たちが、係累も途絶えて次第に忘れ去られていった、ということなのでしょう。それを見ているだけで、なにやら切ない気持ちになります。

 墓域を見て回ると、十字架も多いのですが、それ以上に中国名の墓碑やアラビア文字らしき文字が彫り込まれた墓標が目立ちます。
 第2次大戦中に、日本に何らかの理由で逃げてきて、そのまま祖国への帰還がかなわなかったのか、それとも自ら祖国を捨てて日本でその生を終えたのか。
 むろん、成功をおさめて幸せな生涯を閉じた外国人も多くいたでしょうが、いずれにしろ、なにか背景を感じさせる墓標の数々です。

 異国の地で命を落とす…。
 それは、たとえどんなシチュエーションであるにせよ、祖国への望郷の念を抑え切れない終幕でしょう。しかし、こうして墓を作ってもらえた人は、それでもまだ幸せな生涯だったのかもしれません。

 戦争で斃れた人たちの中には、いまだに祖国へ還れない遺骨さえもたくさんあるといいます。菅直人首相は、激戦地硫黄島で、いまだに収集されていない戦死者の遺骨を早急に調査、収集するように厚労省に命じたということです。それこそ戦争の後始末。丁重に葬るべき責任が国家にはあるはずです。
 しかし、丁重に葬る責任の前に、自国の兵士が異国の地で戦死するような事態を引き起こさないこと、それこそがもっとも重要な国家の責任ではないでしょうか。

 朝日新聞(7月31日付)に、こんな記事が載っていました。

見出し
<アフガン米兵 死者最悪
 今月66人 増派戦略で急増
 自殺者も最悪 昨年>


記事
 <AP通信によると、アフガニスタンでの米兵の今月の死者数が30日までに66人になり、2001年10月の戦争開始以来、過去最悪を記録した。アフガン駐留米軍の死者数は先月、初めて60人に達し、2ヵ月続けて記録を更新した。戦死者の増加で、厭戦的な米世論がさらに強まる可能性がある。(中略)
 9年近くに及ぶ戦争では、オバマ政権が増派とタリバーン掃討を本格化させた昨年半ば以降、死者数が大幅に増加。昨年は初めて300人を超えたが、今年はすでに260人。戦争を「戦う価値がある」とする世論は約4割に低迷。米議会の与党民主党からも、オバマ政権の戦略を疑問視する声が高まっている。>
 <米陸軍は29日、増え続ける兵士の自殺について分析した報告書を発表した。自殺者は2004年以降、毎年増加し、09年は162人と過去最悪を記録。自殺未遂も約1700件。(中略)
 報告書によると、自殺者の6割は入隊間もない兵士。離婚など私生活上の問題に区切りをつけようと入隊した兵士らが自殺するケースが多く、20代後半で入隊した兵士の自殺率は、18~20歳で入隊した兵士の3倍という。(中略) 
 報告書は「約10年にわたって前例のない作戦のテンポの元で働く影響をだれもが自覚している」とし、イラクとアフガンでの戦争への「繰り返し派遣」による兵士や家族のストレスに言及している。>

 戦闘で戦死する以外にも、兵士自らが若い命を自ら絶っていく。人を殺すということは、自分のある部分をも殺す、ということ。そう考えなければ、自殺する兵士の増加の理由に説明がつきません。
 この記事も触れているように、アフガンやイラクでの戦争が、「戦う価値がある」と答える米国民は減少の一途です。それでもオバマ政権は、「戦力増派によって一気に決着をつけ、その後に速やかに撤退する」という戦略に固執したままです。とすれば、アフガンでの若き米兵たちの戦死は、これからも増えこそすれ減ることはないでしょう。

 「戦うことに価値がある戦争」などというものを、私は認めません。こう書けば、またぞろ皮肉や批判を浴びせられることは承知の上です。しかし、一方に「戦う価値がある」とすれば、相手側にだって「反撃する権利はある」ことになります。どちらの立場に立つかによって、大義名分などどうにでも付けられます。
 アメリカ政府は、「古い戦争観は捨てて、対テロ戦争という新しい概念の戦争を戦わなければならない時代になった」と、繰り返し述べています。本来ならば「対テロ戦争」とは、テロ組織もしくはテロリスト個人との戦いでなければ、言葉としての意味を失います。ところが、アメリカは別の論理を組み立てました。
 「テロリストやテロ組織の陰には、テロ国家が存在する」という理屈です。かくして、アメリカの戦争は「フセインが支配したテロ国家イラク」や、「タリバーン支配下のアフガニスタン政府」に対するものとなったわけです。しかし、フセインが殺されタリバーンが駆逐されてもなお、戦闘は収まりません。
 イラクではほぼ5千人、アフガンでも1千人を超える米兵がこれまでに戦死しました。しかしその数十倍のイラクやアフガンの人々が、米軍(及び同盟軍)によって殺されているのです。
 NGO(非政府機関)「イラク・ボディー・カウント」の調査によれば、少なくともイラクでの米側の誤爆等による一般人の死者は、イラク戦争の3年間で約5万人、世界保健機関(WHO)の調査ではその約3倍、15万人に達したといいます。これは2006年の調査ですが、ほかの団体が発表している数字では、数十万人から多いものでは百万人を超えるという報告まであります。
 アフガンでは今も主に米軍による誤爆や誤殺が続いており、アフガンでの民間人の死者数については、概算すら立てられない状況だといいます。なにしろ、無人爆撃機をアメリカ国内から遠隔操作して爆弾をばら撒くことまでやるのですから、誤爆がないわけがない。

 イラクやアフガンに、米兵の墓はない。
 その遺骸や遺骨はアメリカ本国へ送り返され、祖国の英雄として、葬送ラッパの音と共に丁重に葬られたことでしょう。だからといって、彼らが幸せだったとは、私にはとうてい思えない。
 異国で、「戦う価値のない戦争」で、命を落とす。それ以上の不幸があるでしょうか。
 祖国のために戦う。
 言葉は美しい。けれど、命はひとつしかないのです。
 米兵の死者数がどれほどになれば、アメリカは戦争を止めるのでしょうか。ベトナムでは、それは約5万8千人。ベトナム国内での米兵の事故死も1万人を超えていたといいますから、約7万人の犠牲者が出て、ようやくアメリカは撤退に踏み切ったのでした。
 では、イラク、アフガンでは?

 重い話題になってしまいました。8月が、戦争を思い起こさせる季節だからかもしれません。

 ところで……。
 今年も家の庭に日除けに植えたゴーヤーが、見事に実りました。ほら、どうですか、すごいでしょう? 
 一説によると、今の東京は沖縄より暑い。だから東京でのゴーヤーの成長がとても早いのだそうです。でもそのおかげで、このところ我が家のメニューにゴーヤーチャンプルーが続くのが、ちょっとツライ。
 そこで知り合いや近所の方に、ゴーヤーをムリヤリおすそ分けしています。「沖縄の匂いがしますよ」との言葉を添えて。

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鈴木耕さんプロフィール

すずき こう1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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