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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」
オカドメノート No.056
「沖縄の未来を語る」という対談が沖縄大学で開催された。ゲストは佐藤優氏と大田昌秀元沖縄県知事。司会役は沖縄大学地域研究所の緒方修教授。佐藤氏はいうまでもなく、外務省の「起訴休職外務事務官」という肩書きで雑誌連載40本近いという驚異的な執筆活動を続けている大宅賞作家。この佐藤氏は鈴木宗男衆議院議員とともに東京地検特捜部に逮捕されたものの、いまだに公判が続いているため、外務省としても解雇という処分が下せない状態が続いている。給料も全額ではないが、いまでも外務省から保障されている。しかも、届けさえ出せば、執筆活動や講演活動などのバイト活動は自由というから、国策捜査の被害者としては十分に同情すべき余地があるとはいえ、表現者としては実に恵まれた立場にいるといえなくもない。
言い方を変えれば、外務省は鈴木宗男議員とともにやっかいものの佐藤優氏を外務省から「追放」したつもりだった。しかし、佐藤氏はこれまで外務省で培ったインテリジェンスをすべからく活字や言論で公開し、結果的に外務省にとっては大きなダメージを受けることになった。外務省にすれば、飼い犬に手を咬まれたようなものだろう。しかし、佐藤氏にすれば、長期拘留をよぎなくされたことで、読書三昧とそれまでの外務事務官としての人生をじっくりと総括する機会を得たことになる。こうした人物が外務省に叛旗を翻してくれたおかげで、外務省役人の知られざる実態からヤリクチまで広く国民も知る機会を得ることができた。ロシア通としての佐藤氏は外務省にいいように使われたものの、いったん不要となれば、国家によって無惨に切り捨てられたのだから、人間としてのプライドと魂を賭けた戦いにならざるを得なかったはずだ。佐藤氏の「一人情報公開」の精神には拍手パチパチである。
それでなくとも、外務省というのは嘘つきで鼻持ちならないエリート意識にまみれた歴史を持つ役所である。それは、元・毎日新聞西山太記者がスクープした沖縄返還密約を見れば十分だろう。沖縄が日本に返還されるにあたり、米軍基地の現状復帰にかかわる費用の日本側が負担を極秘で支払い、「核抜き本土並み」という約束も例外規定適用ということで黙殺してきた。外務省がいくら国際外交を担う部署とはいえ、国民の意思も情報公開もほとんど無視してきたのだ。時には、政治家に対してすら報告せずに独断で進めてきたこともある。こうした外務省による反国民的な事実を列挙すれば、まさに国家犯罪的集団といっていいくらいだ。
一方の大田氏も戦時中には鉄血勤皇隊の一員として戦争に駆り出された体験を持つ。琉球大学教授から沖縄県知事となり、二期8年つとめあげた。その後は、社民党の参議院議員も務めた。大田氏は単なる学者でも行政マンでもない。県知事時代には、自民党が政権をとり、外務省は対米追従というよりも「米国批判完全タブー」という雰囲気の役所である。反戦・反基地派の大田氏が、沖縄行政の責任者として、中央政府に対して一筋縄ではいかないしたたかな苦労を強いられた事は容易に想像できる。そうした、県知事としての霞ヶ関交渉の体験と、内部の人間だった佐藤氏の経験談が対論として相乗効果を発揮できれば、来るべき政権交代において霞ヶ関の革命的改革のためにどれだけのバイタリティやインテリジェンスが必要かという問題提起になるはずである。
沖縄には、外務省沖縄事務所がある。そこに、大使が配置されている。一年9ヶ月赴任していた今井正氏がこの6月8日の退任の挨拶でこう述べていた。地元の声が東京に伝わっていないとの記者の指摘に対して,今井大使は「要請が実現していないとの不満は感じているが、沖縄事務所も東京も真剣に取り組んでいる」と述べている。嘘付け!である。つまり、自民党にも外務省にも沖縄の過重な基地負担解消、辺野古新基地の国外・県外移転、日米地位協定の抜本的改正もまったく眼中にないのだ。だとすれば、政権交代によって、外務省の対米一辺倒から対等な国家間交渉のできる新しい政府をつくるしかない。まずは、手始めに外務省の局長や大使クラスには全員辞表を出してもらい、政治主導で民間の有識者登用を含めたインテリジェンスを総結集してもらいたいものだ。それこそが沖縄県民の悲願の民意なのだから。
冒頭で紹介された対談「沖縄の未来を語る」については
琉球新報のサイトでレポートが読めます。
「会場に入りきれないほどの超満員」ぶりは、
そのまま「地元の声が東京に伝わっていない」ことへの、
沖縄の人々の不満と不安の表れなのかもしれません。
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