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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」
オカドメノート No.030
沖縄から見ていると、霞ヶ関や永田町は一体どうなっているんだ、日本は大丈夫かと思うことが多い。防衛省の田母神俊雄航空幕僚長が更迭された後、定年退職の形で辞職に追い込まれた件もそのタグイだ。この空幕長は中国や朝鮮半島に対する侵略や植民地支配の歴史を「わが国が侵略国家だったというのは濡れ衣」だと主張し、集団的自衛権の行使や攻撃的兵器の保有・解禁を主張するという憲法無視の論文を発表したのである。論文のタイトルは「日本は侵略国家であったのか」というもので、過去の中国や朝鮮半島への軍事行動に対して「相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」「条約に基づいたもの」と強弁し、太平洋戦争の開戦に対しても、「日本はルーズベルトの仕掛けた罠に嵌り、真珠湾攻撃を決行することになる」として正当化。ご多分にもれず極東軍事裁判批判も出てくる論文で賞をもらったのだという。「アパ」グループ側の企業体質もあるのだろうが、現役の自衛隊トップということで賞としての話題性を狙ったのかもしれない。
相変わらず右派論壇で跋扈する、古くて新しい大東亜戦争肯定論ともいうべき戦争史観のタグイである。しかし、「日本空軍」のトップともいえる立場の人物がこうした国家観・戦争史観を公表したことに驚かされる。日本には憲法9条があり、一応文民統制のシステムがあるのでこの幕僚長が自衛隊を率いて暴走する事態は考えにくい。しかし、この幕僚長は退職の際の記者会見においても、自説に信念を持っていることを堂々と述べていた。いくらマイナーの懸賞論文であったとしても、世間の目に触れた場合には立場上批判を受けることは分かりきっていることではないか。国内世論だけではなく、対韓、対中関係に悪影響を及ぼすという外交上の判断すらしなかったのだろうか。
ま、防衛省のトップだった守屋武昌事務次官があのざまなのだから、上が上なら下も下ということかもしれない。この航空幕僚長はかねてからこうしたタカ派言動の持ち主だったことは省内でも知られていたというから、これは防衛省全体の綱紀粛正の問題だろう。当然、歴代の防衛大臣の任命責任、チェック能力が問われてしかるべき問題である。それを察知した麻生総理が野党による国会での追求に先手を打ったのだろうが、クビにすればそれでオシマイという問題ではないはずだ。幕僚長本人も国会での喚問にも応じると答えているところを見れば、クビになることじたい大いに不満だったのだろう。このバカげた人物を説得できる事務次官も防衛大臣や政治家もいなかったということじたい、もはやわが国の文民統制もタテマエにすぎないということなのかもしれない。
実質的なクビとはいえ、懲戒免職ではないので退職金は規定どおりもらえるはずだ。しかし、これっておかしくはないか。自衛隊の最高幹部が憲法違反の論文を公表することは、倫理規定違反は当然としても国家公務員違反にならないのか。野党側は、国会証人喚問をやって、国民が納得いくようにとことん解明してくれ!この幕僚長のような発言は今回に限ったことではなく、過去にも自民党タカ派議員や自衛隊の幹部の間から何回も繰り返し発信されてきた。おそらく、麻生総理もホンネはこの幕僚長と変わらないはずだ。ま、そのうち放言癖が災いしてホンネをさらすかもしれないが(苦笑)。
しかし、麻生総理だけではなく、戦前の国家体制を志向する政治勢力は自民党内にも確実に存在する。憲法を改正して米国とともに戦争のできる国づくりを目指す連中である。そのホープだったはずの安倍総理が一年でコケたことで、今は表だった動きは見られない。だが、今回の航空幕僚長のような憲法9条を敵視する思想の持ち主は自衛隊の幹部の中にはたくさんいるはずだ。今回の発言は、そうした中でマグマが噴出したようなものではないのか。その意味では、火山脈が厳然と存在する限り、今後とも折を見て噴火は繰り返されるに違いない。
最後に、幕僚長の記者会見を見ての筆者の感想だが、この人物は軍と圧倒的な近代装備の兵器に囲まれて軍事行動・演習ばかり長年やっているうちに、軍人気取りの妄想がだんだんと広がり、組織内ストレスも蓄積され、それが爆発した結果ではないかいう気がしてならない。いくら個人の信念に基づく発言だと力説しても、自分の立場をわきまえる理性的判断力が決定的に欠如している。いくら階級絶対社会の渦中にいたとはいえ、幕僚長トップまで登りつめた人物が自分の理性をコントロールできなかったとすれば、それは国を思う熱意の溢れるあまりというよりも、病んでいたとしか思えない。こうした発想に陥ることが仮に軍隊組織の持つ宿命であるとしても、平和憲法下の幕僚長としては大失格である。むろん、歴代の防衛大臣だって利権漁りの面々ばかりで、大失格であることは紛れもないが(苦笑)。
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