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癒しの島・沖縄の深層

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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」

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オカドメノート No.025

タカ派大臣の言動と歴史認識

 発足した麻生政権の組閣直後の支持率は、「日経」を除く各メディアともに軒並み50パーセントを切った。これは、途中で政権を放り投げた安倍、福田政権の発足時と比べてもかなり低い数字だ。この意外な数字に対しては、麻生本人が一番がっかりしたのではないか。麻生内閣成立直後の第一弾パフォーマンスとして準備した国連でのトンボ帰り演説も支持率アップには繋がらなかった。自民党総裁選挙で5人の候補が約二週間メディアに出まくって支持率アップを画策したが、結局ミエミエの出来レースであることが有権者に見透かされたということだろう。新閣僚の顔ぶれも、麻生一人が目立てばいいという見事なまでの「俺様」布陣だったせいか、34歳の小渕優子を大臣に起用するというサプライズ人事もかすんでしまい、組閣効果はまったくなかった。

 そんな中、国土交通大臣に就任した中山成彬がとんでもない確信犯的放言で、就任5日目にして辞任するという予定外のハプニングもあった。成田空港がお上の都合だけで理不尽に決定されて三里塚の農民が如何にひどい仕打ちを受けたのかという過去の経過や、アイヌ民族の存在も認識せずに「単一民族」などと口走るのだから、ひどい知的レベルの国会議員がいたものである。確信犯ともいえる日教組攻撃にしても、事実の確認すら怠った中山の偏見と思い込みの産物では説得力がない。「頭になって日教組をぶっ壊す」というならば、当初指名された行革大臣を引き受けて、霞が関をぶっ壊す方が、よほど日本の将来のためになるはずだが、妻も息子も含めて大蔵官僚一家だからという理由で断ったのだ。情けない大臣である。

 しかし、問題は、この中山を大臣に押し込んだのは、文教族のドンにして、麻生内閣の黒幕である森喜朗だという点だ。森は、「日本は神の国」というトンデモ発言で、最終的に支持率を10パーセント以下に落として辞任した過去を持つ歴代の総理の中でもサイテーの人物。その森の操りロボットになっているのが、同じくタカ派の麻生太郎総理であるという関係性を見落としてはなるまい。麻生が悲願の総理になれたのは、森のおかげであり、逆らうわけにはいかない天皇のような存在なのだ。

 中山も、森の影響かどうかは知らないが、文部科学省の大臣を務めたことのあるタカ派だ。ちょうど、一年前の9月29は、沖縄で11万人を集めた県民大集会が開かれた日である。戦時中、渡嘉敷島や座間味島で起こった集団自決は軍が手りゅう弾を住民に配り、米軍が上陸する前に自決を強制したことは、高校の歴史教科書でも明記されてきた事実だ。国内で唯一地上戦を強いられた沖縄戦の悲惨さを物語る、この象徴的な歴史的事実まで削除したのは、タカ派政治家や文化人の意向を受けた文部科学省の調査官の政治的な圧力・操作だったことが明らかになっている。にもかかわらず、文部科学省は削除した記述の復活に関してはこれまでの修正でことたれりとして、いまだに完全黙殺の姿勢を貫いている。

 中山にしてみれば、沖縄の平和教育を煽動しているのはおそらく高教組とでも言いたいのだろうが、公人中の公人が歴史的事実を抜きに思い込みだけで語るのは実に危険であり、辞任は当然である。しかし、大蔵省のエリートから政治家に転身した中山成彬だけではなく、この手の戦前回帰型の日の丸・国家教育制度を狙う新国家主義を指向し、米国とともに戦争が出来る日本を目指す改憲主義者たちが、森や麻生の周辺にうろうろいることだけは、しっかりと認識しておきたいものだ。

あまりのとんでもなさに、言葉を失ってしまった中山元大臣の「失言」。
総選挙もおそらく間近、他の政治家たちの発言も、
聞き流すことなくしっかりとチェックしておきたいものです。
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