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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」
オカドメノート No.023
自民党総裁選、真っ只中。5人の候補が連日のようにテレビで聞こえのいい言葉を並べた演説を繰り返しても、イマイチ盛り上がりに欠けているのは、国民の側がその茶番劇の本質を見抜いているのではないか。もはや自民党の耐用年数が切れているのは明らかだが、それでも権力の座にしがみつこうという自民党は、生き残りをかけて全国各地で最後の街頭パフォーマンスを仕掛けている。
しかし、問題は自民党総理が二人続けて政権を放り投げたという異常事態である。その原因は、霞が関が完全な制度疲労を起こし次々と不祥事を起こしているにもかかわらず、政治家が官僚をコントロールする能力を発揮できないということに尽きる。福田総理が愚痴ったような、国会のネジレでも、民主党など野党の責任でもない。長い間霞ヶ関との二人三脚でやってきた自民党に、霞ヶ関官僚の独断専行、モラルハザードなどのチェックはもはや不可能なのだ。日本を覆うあらゆる閉塞状況の諸悪の根源は、霞ヶ関官僚機構の腐敗なのだ。
そのことは、経済を含めた対米関係や米軍基地問題から見ても歴然としている。米国原子力潜水艦「ヒューストン」の冷却水漏れ事故が佐世保や沖縄のホワイトビーチで発覚した。当然ながら、佐世保も沖縄も事故の原因究明と安全性が確認されるまで原子力潜水艦の寄港を拒否する姿勢を打ち出したものの、米軍側は完全無視で平然と原潜の寄港を繰り返している。01年の米国の要請によって原潜の日本寄港の際の事前公表が中止になったが、この取り決めの解除を求めても米軍側は知らんふり。原潜寄港の際、発表される文部科学省の放射能測定調査の数値も怪しいと思ったほうがいい。
こうした米国側の、日本に対する我が物顔の対応に何らの改善も見られないのは、結局のところ、外務省と防衛省の無為無策が最大の癌なのだ。米国側に対してまともな交渉をやらないのは、敗戦以降の外務省においては言わずもがなの「内規」となっているからだ。米国に意見具申や反論する人物は外務省にいらない、辞めろという不文律ともいうべき空気があるからだ。その結果、米国の言うことは基本的に丸呑みせよ、という外交しかできないのだ。地元紙「琉球新報」に、1968年5月、佐世保において平常と異なる放射能値が検出された時も、冷却水放出に関して米国側に黙殺された経緯が米国電報文書によって明らかになった経過が記述されていた。この時の日本政府の曖昧な妥協に、今回のヒューストンの放射能漏れ問題の原点があるのではないかというわけだ。第一次冷却水放出問題に限らず、日米地位協定の運用や思いやり予算執行においても、政府の対米追従ぶりは度し難いものがあるのだ。
こうした中、ホワイトビーチ内にある土地を反戦地主が取得するという出来事があった。ホワイトビーチでは初めての反戦地主の登場で、基地そのものの返還につなげる運動を目指すという。このホワイトビーチへの原潜寄港は今年になって激増している。治外法権のような米軍の傍若無人ぶりがいっこうに改まる気配がない以上、この沖縄の絶望的状況を打破するには、こうした反戦運動とともに、民主党が主張するような霞ヶ関の革命的改革を断行するしかない。外務省、防衛省は自民党とともに、いったん解体しなければ、沖縄の将来の展望は開けないということを、総裁選で浮かれるメディアに向かって強く提言しておきたい。
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