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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」
オカドメノート No.022
元毎日新聞記者・西山太吉氏が国を相手どって名誉毀損で謝罪と損害賠償を求めた裁判は、遂に最高裁でも上告棄却が決定した。西山氏の主張や立証内容を門前払いした最高裁の上告棄却は、政府や外務省の権力犯罪を徹底擁護する立場で一貫していた。改めて、この国では、司法・行政・立法という三権分立が確実に形骸化している実態を広く知らしめてくれた。もはや、裁判によって真実の究明が為され正義の判決が出されるというシステムは、この国の司法においては幻想にすぎないことを明らかにした最高裁の判断だった。自民党=政府と、裁判所の長期にわたる馴れ合いの必然的帰結である。
判決当日の夕方、地元・沖縄タイムスからこの判決に対するコメントを求められた。ちょうど、詩人・Kさんとの待ち合わせの時間が迫っていた時だったので、10分程度ならと電話取材に応じたが、十分に言いたいことが伝わらなかったと思うので、再度ここに書いておこうと思う。西山氏の事件はご存知だろうが、簡単に説明すれば、1972年の沖縄返還協定において、日本政府と米国政府の間で米軍基地の原状回復補償費用400万ドルを日本政府が肩代りするという密約が交わされたのである。その交渉経過を示す外務省の極秘の機密文書を入手してスクープ記事を書いたのが、当時の毎日新聞・西山記者だった。佐藤内閣の憲法違反とも言える密約の存在がスッパ抜かれたことで、日本政府はこの致命的スキャンダルで政権崩壊の危機に瀕するところであった。ところが、政府側はこのスクープ記事をつぶすために、西山記者に機密文書を渡した外務省の事務官女性ともども、国家公務員法違反罪で逮捕し、有罪判決を下したのである、世紀のスクープは「情を通じて文書を入手した」という権力が仕掛けたマスコミ捜査により、完全に闇に葬られたのである。そして、悪の張本人・佐藤栄作は、ノーベル平和賞を獲得したのである(偽善!!)
しかし、歴史の真実は覆い隠せるものではない。このスクープ記事の正しさが30年後に、米国の公文書や当時の外務省アメリカ局長・吉野文六氏の証言によって明確になる。そのことを知った西山氏は自らの名誉回復と外務省の謝罪を求めて民事訴訟を提起したのである。しかし、歴代の外務大臣は一様に口をそろえて、密約はなかったとシラを切り嘘の見解に固執し続けたのである。その結果、国際的な日本の信用に関わるという判断で、日本の最高裁は密約の有無の判断を回避して、国策判決を下したのである。
そんなバカな話があるか、と思うはずだが、長く日本の司法の実態をウォッチしてきた筆者から見れば、さもありなんである。筆者は、西山氏に対して東京地裁段階から、国が密約の存在を認めることはありえないだろうし、裁判所もその核心部分に関しては司法判断を回避するだろうという見解を語ってきた。西山氏もそのことは理解しつつも、裁判によって国=外務省の虚偽性を白日の下にさらすことじたいに意味があるという立場で公判に臨んできた。結果は、周知のような「門前払い」である。
しかし、この最高裁の上告棄却が決定された日、ジャーナリストの原寿雄、筑紫哲也、憲法学者・奥平康弘氏ら36人が連名で、沖縄返還に至る過程で日本の政府高官が交わした「秘密合意議事録」など三通の行政文書について、外務省と財務省に情報公開を求めることになった。原則として、30日以内に回答することになっているが、おそらく、外務省はこれまで通り、「文書は存在しない」と木で鼻をくくったような回答を寄せてくる可能性が高い。嘘で固めた外務省の体質が、今日の対米関係においても遺憾なく発揮されていることを思えば、この国家犯罪は政権交代を含めたあらゆる手段を行使してでも、とことん追及すべき事案であることだけは、間違いない!
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