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癒しの島・沖縄の深層

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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」

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オカドメノート No.021

唖然とした福田総理辞任表明

 福田総理の突然の辞任表明には、ビックリ仰天、唖然・呆然だった。内閣改造を終えて一ヶ月、12日からの臨時国会開幕が決まった段階での総辞職となれば、福田総理がいくら記者会見で辞任の理由を弁明しても、「もう嫌になった。辞めた!」というのが本音だろう。約一年前の安倍総理の「もう辞めた!」と根本的には同じことであり、国政に対する責任のカケラも感じられない身勝手な行為だ。本人は「先を見る目」とか「これが一番いい時期」だと語っていたが、政治能力から言っても洞爺湖サミットでの勇退が一番よかったのだ。色気を出して内閣改造をやってみたものの支持率はさっぱり上がらず、太田誠一農水大臣の事務所経費疑惑も発覚。総理としての任命責任を問われかねない「身体検査」の調査不足の露呈や政権のパートナーである公明党の福田離れによる抵抗姿勢が顕著になり、ようやく自分のリーダーシップのなさ、限界に気がついたということだろう。

 辞任表明の記者会見においても、相変わらず自分の力量のなさを自覚することなく、対決姿勢を打ち出している野党・民主党のせいにするというお得意の他人事発言を記者に突っ込まれて、「自分を客観的に見ることが出来るんです。あなたと違って」とマジ切れ。これには爆笑させられたが、自分は客観的だと思い込んでいるところが、権力亡者たる政治家の所以なのかもしれない。この人物はとにかく愚痴と言い訳が多い。ネジレ国会がすべて悪いようにいうが、そんなことは総理就任時点でわかりきっていたことではないか。記者会見においても、最初から緊張のせいもあってか落ち着きのないソワソワした感じがあったし、最近は少し呆け気味の無気力発言が多かったと聞く。「私は安倍総理と違って病気ではない。目が見えにくくなったが」とギャグっぽく語っていたが、ストレスがたまって心身症ぎみだったのではないか。結局のところ、安倍前総理と一緒ではないかと思えてならない。会見終了時に「どうもお世話のなりました」と語って退席したが、国民の驚き、怒り、不安をよそに本人だけは意外にサバサバしたのではないか。

 しかし、沖縄の視点から見れば、米軍基地問題に大きく関わる防衛大臣や外務大臣が次々と代わることで懸案事項の解決は常に先送りとなり、その政治空白の間に官僚たちはやりたい放題で米国との間で事を進めているという現実を忘れてはなるまい。その意味では、福田総理は当然としても、長期にわたり政権を担ってきた自民党政治家たちは犯罪的ですらある。筆者が沖縄に来て以降、調査報道の見本のような連載記事だと思って読んでいたのが沖縄タイムスの「アメとムチの構図」だった。この連載も第二部がつい最近終了したばかりだが、この連載を読めば「普天間基地移設の内幕」がよく分かる出色の記事だった。

 防衛問題には経験が乏しい林芳正防衛大臣も沖縄に挨拶回りにきたばかりだったが、地元政界から見れば小池百合子防衛大臣辞任の時と同様、突然の出来事に唖然、呆然だろう。いくらお飾り大臣でも、だ。もはや、米国の言いなりでしかない自民党政権に基地問題の根本的解決は不可能なのだから、早いとこ麻生総理でも選んで解散総選挙をやって民意を問うべきではないのか。そういえば、一年足らずの総理大臣在任中、福田が沖縄に来たのは、「慰霊の日」式典のトンボ返り参加だけだったのだはないか。福田にとって沖縄の基地問題はしょせん他人事だったということだろう。むろん、麻生総理になっても、沖縄の基地問題に対する姿勢はまったく変わらないだろうが。

まるでゲームか何かのように繰り返される辞任劇・交代劇に、
翻弄され続けてきた沖縄の現実。
岡留さんの言うように、自民党政権下での根本的解決がもはやあり得ないのなら、
解散・総選挙によって何らかの変化がもたらされることを望みます。
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