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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。
第四十二回
(臨時便)
データー① 地球人口の増加
世界人口は、19世紀初頭(1800年頃)、およそ9億人でした。
20世紀初頭(1900年頃)には、100年間で7億人増えて16億人になりました。
20世紀の末には、とうとう60億人を突破し、21世紀初頭の人口は、61億人になりました。20世紀の100年間で、45億人増えたことになります。
そして、2008年には世界人口は67億人を越え、2009年には68億人を突破するのは確実です。
世界人口は、今後も毎年7000万人から8000万人増え続けて、21世紀半ばには、90億人~100億人になる、と予想されています。
この人たちに、必要十分な食料を今後も提供できるのか、大きな問題になってくると思います。2008年現在でも、食料危機や飢餓に苦しむ人々は、10億人いると推計されているのです。
データー② 世界の耕作可能農地の頭打ち等による、食料の逼迫
地球温暖化によって、オーストラリアや中国西北部、中央アジア、アフリカなど干ばつの被害が広がっています。いわゆる砂漠化です。
一方で、異常降雨や洪水も世界各地で起こっています。バングラディッシュなどでの洪水の被害は、記憶にあたらしいところです。
人類が農耕文明を築いてから数千年たっていますが、その数千年にわたって農業を支えていた地球の気候パターンが、明らかに変調をみせている、ということでしょう。
さらに、化学肥料や農薬の多投によって、農地が荒廃している。つまり、土地が本来持っていた健康さ(生産力)を失い、病んだ土地になってしまっています。クスリ漬けで、やっと生命を保っている病人と同じです。クスリの投与がされなくなったとたん病人が死んでしまうように、化学肥料や農薬なしには、作物が育たない農地になっています。
くわえて、水の枯渇問題があります。麦1キロを生産するためには500リットルの水が必要なのです。水稲ならその5倍、2500リットルの水が必要なのです。作物を育てるためには絶対必要な、その大切な水が、世界的に枯渇し始めています。農業用どころか、人間が飲む清潔な水さえ、不足してきているのが、現状です。
また、トウモロコシなどが食料ではなく、バイオ燃料として大量消費されていることも、食料不足の不安をかきたてています。
これらの要因が複合的にからみあって、世界レベルでは、これまで農地として利用できた耕作可能地が頭打ちになり、その結果、世界の食糧生産量も停滞、もしくは減少の可能性が高くなっています。一時的な豊作や生産過剰はあるでしょうが、もう世界的な食料の逼迫が見えてきています。
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日本農業は衰退し、
都市では飽食階級と飢餓階級が出現する
麻生総理になって、国はこれまでの食料自給率の「目標」を45%から、10年後に50%にするとしました。現状は40%ですから、あと10%、どうやってあげるのか。農水省が発表した自給率アップの「工程表」なるものがありますが、どうもよくわからない。日本の農民は年をとらない、病気にならない、そのうえ儲からなくても百姓を続ける、と思っているのでしょうか。
なぜ、日本の農業の現場に若者が残らないのか? 農業だけでは、家庭を持ち子どもを育てるだけの収入がないからです。
昔(1970年ぐらいまで)でしたら、水田を1町(1ヘクタール)ぐらい経営すれば、なんとか一家がやっていけるだけの収入があったのです。今じゃ、「1~2町歩水田をやってもよぉ、まるでやっていけねえべぇ」というのが、ほとんどの百姓のホンネです。
それだけ、農産物(特に米)の代金が、安くなってしまったのです。
WTOの説く自由貿易のためでしょうか、これまで日本は自動車やパソコンなど工業製品を輸出するために、外国から「安い」食料を輸入することを「余儀なく」されてきました。その典型が、いっぽうで米があまるから米を作るな、と指示しておきながら、いっぽうで1年に77万トンも米を輸入する義務を負うミニマムアクセス米なのです。その挙句に「汚染米事件」も、起こりました。
つまり、工業国としての日本を成長させるために、農業を人身御供に差し出してきたのが、日本政府の戦後一貫した政策でした。産業構造として、日本は農業を切り捨ててきたのです。
その結果、現在の日本の農業を支えている人たちの3分の2は、65歳以上の老人たちになってしまいました。10年たてば日本の農業はどうなるのでしょう。「後期高齢者」と名づけられた75歳以上の人たちが農業を支えられますか? その結末を想像するのはむずかしいことではありません。
だが、データー①②で示したように、世界的には食糧が逼迫した時代になっています。2008年には、小麦粉やダイズの生産不足が、穀物の値上がりを呼び、さらにさまざまな食料が値上がりしたのは皆さんご存知のとおりです。世界各地で貧しい人たちによる「食料よこせ」暴動がありました。
この傾向は一時的には緩和するかもしれませんが、大きな動向としては、世界は食料不足の時代に突入した、といえると思います。
だが、日本では、もう食料提供者としての農民は少なくなりつつあるのです。
残るのは「田畑で汗水たらして日がな働いても、まるで金にはならねえ。歳もとったし、これからはオラたちが食うぶんだけ作りゃええだ」という自給するだけの百姓になるでしょう。「都会の食い物? そんなこつ、おらにはカンケーねえべ」というわけです。
つまり、産業としての日本の農業は、もう成り立たない。衰退するしかないところまで、追い込まれている、と思います。
この構造は、現在の医師不足に似ていますね。政府は、かつて「医師が増えると医療費が上がる」ということで、医学部の定員を極力絞りました。その結果、今の医師不足です。いまからあわてて医者を養成しても、医師不足が解消されるまで10年はかかるでしょう。
世界的な食料不足になりそうだから、日本の食料自給率を上げよう、農民を増やそう、と政府があせっても、若い人には儲からないと敬遠され、ベテランだった農民はもう歳をとりすぎているのです。
そのため、農地法の大原則を曲げてまで、株式会社の農地取得を認めようという動きもありますが、効果はどれくらいあるでしょうか。儲からなきゃ撤退、あるいは倒産、となるのが産業界の世の習い。そんな株式会社に、日本の農業を任せるのはかなり危険だと、わたしは思っています。
かくして日本の農業の衰退は、結果として都会の人々を、「飽食階級」と「飢餓階級」に二分してしまうのではないでしょうか。現在でも、「正社員」と「派遣労働者」とか貧富以上の階級化が進んでいるようですが、それが「充分食える階級」と「飢えてしまう階級」にまで、徹底して差別化してしまう可能性が出できそうな気がします。
金持ちはその金で、安全でうまい国産の食べ物をふんだんに手に入れられる。
貧乏人は、安全が保証されない外国産の食料しか入手できず、量も充分でない。
そういう、フランス革命やロシア革命前夜のような状況が、日本にも生まれない保障はない、とわたしは推測するのです。
でも、希望は残されています。日本の産業構造を、もう一度、農業などの1次産業を重視し、若い人が農業で充分に生活していけるように、変えることです。
ありていに言えば「農業は儲かる。農業はカッコイイ。農家にヨメに行きたい」と思わせるような仕事として、日本の世の中全体が認知することです。
「鉄は国家なり」「自動車は国家なり」「石油と原発は国家なり」という価値感から、「農林漁業は国民の暮らしの礎です」という価値感に支えられた産業構造にすることです。
そうなれば、世界環境にもずっと貢献します。世界も平和になります。憲法9条の精神が活かされる時代になるのです。
世界に冠たるトヨタやソニーがリストラをする時代になってしまいました。百姓には、本人のやる気さえあれば、リストラはありません。若い方が、今からでも農業にやってくることを、60歳を過ぎた五反百姓のわたしも期待しております。
(2008.12.10)
農水省は、先日発表された「工程表」について、
その実現に向けての具体策を、来年から本格的に検討するとしていますが…。
長年にわたって積み重ねられてきた「農業切捨て」の産業構造を変革して、
「農業ってカッコイイ」、そう言えるためには、何が必要なのでしょうか?
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