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やまねこムラだよりー岩手の五反百姓からー

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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

第三十七回

「愚直」ということ

タマネギの収穫。「どこへ出してもはずかしくない」出来のものから、
「どこへ出してもはずかしい」出来のものまで、いろいろ。
同じ条件で育てても、こんなにばらつきがでます。
でも、これが本来の自然の姿なのだと思います。

 田植えから、1ヶ月あまり。そろそろ、田んぼの一番除草の季節です。
 田植え直後の苗は、ひょろひょろとして危なっかしかったのに、この1ヶ月でしっかりと根を張って、分けつ(株数を増やす)も始まったようです。人間の赤ん坊も生まれたてはぐにゃぐにゃして危なっかしいのに、半年もすれば首がすわってしっかりしてくるのに似ています。水と太陽そして二酸化炭素のおかげで、稲の苗はすくすく成長しているようです。

 この時季に、わたしは田んぼのなかで除草器を押します。手押し車のような道具で、稲の苗の間を押して歩くことで、雑草を取り除く道具です。エンジン付の「除草機」もあるのですが、わたしのは人力で押す「除草器」のほうです。
 昨年、無農薬でやろうと考えていた田んぼが初期除草に失敗して、収穫のとき稲を刈っているのだか、雑草を刈っているのだか、わからない状態になりました。そこで、今年は田植え直後に、初期除草剤を規定の70%撒きました。農薬を使うのは、この初期除草剤だけにしたいと考えています。
 でも、約1ヶ月でこの初期除草剤の効果がなくなります。そこで、中期除草剤のかわりに、除草器を押して歩くのです。

 一反(300坪)に、どれくらいの稲の苗が植えられているかご存知でしょうか?
 人によって違うのですが、15000株から24000株です。わたしは、収量より病気を出さないほうを大切にしたいと考えていますので、15000株です。密植すれば株が多いぶん、収量も多くなります。でも、病気も出やすいのです。粗植にすれば、風通しがよくなって病気も出にくくなります。
 このへんも、人間社会と似ていますね。都会のような人口密度が高いところのほうが、ストレスも多く犯罪も多い。田舎のような人口密度が少ないところは、ストレスも少なくのんびり暮らせる、というわけです。

 以前にも申し上げましたが、一反は、50メートル×20メートルのプールと同じ広さです。稲の列間は(手で植える以外は)田植え機の規定で30センチと決まっていますので、株と株の間隔を長くとるか短くとるかで、植える密度を変えていくわけです。
 つまり、20メートル幅には、稲の苗が(20÷0.3で)66列植わっている計算になります。それを、20センチ間隔で植えていけば、50メートルで250株、全体で16500株の苗が植えられている、ということになります。密植する人は14~15センチ間隔、わたしの場合は23センチ間隔で植えている、ということになります。

 除草は、この66列の株間をすべてやります。1回で2列ぶん除草しますから、一反の田の除草をするのに、50メートル×33回=1650メートル、歩くことが必要です。
 整備された道を1650メートル歩くのではありません。膝下まで埋まる泥田の中を、除草器を押しながら1650メートルです。それで、やっと一反ぶんです。時速600〜700メートルがやっと。私の田んぼは二枚で一反五畝ですから、合計約2500メートル、ざっと4時間の作業となります。それでも、ひたすら除草器を押すしかないのです。(実際は、正確な長方形の田ばかりではありませんから、効率はもっと悪くなります)。これが、二番除草、三番除草と続くのです・・。
 今年還暦のオジイサン(わたし)には、けっこうな重労働となります。しかしやまねこムラでは、わたしより10歳以上も年寄りの老農夫が、炎天下、この仕事をもっと広い田んぼでしているのです。それが、中山間地のムラの実情ではあります。

 でも、農業から学ぶことはたくさんあります。そのなかでも、とても大切なことを教えられたと思うことは、「愚直」ということです。
 ボタンひとつで、「オールクリア」なんてことは、農業では絶対ありえない。田畑を耕すのも、肥料をまくのも、種を播くのも、苗を植えるのも、雑草を取るのも、害虫を殺すのも、刈り入れするのも、脱穀するのも、それを収蔵するのも、すべて「ひとつひとつ」やっていくしかない。
 農作業も、実人生も、小さなディテールの積み重ねからできているのだなあ、ということが実によくわかる。だから、愚直に一歩一歩あゆんでいくしか方法がないのだ、ということが身につくのです。

 先日の無差別殺傷事件を起こしたアキハバラ青年は、あの事件を引き起こすことで自分のこれまでの「負け組」人生を「オールクリア」したかったのではないかと思うのです。
 ケータイ電話の書きこみサイトに、何百回何千回も自分の不安や怒りを、書き込みしていたということですね。バーチャルな世界と、実人生の区別がつかなくなっていたのでなないでしょうか。そして、それは多少の差はあるものの、今の時代の、多くの若者を侵している病理のような気がします。だから、なにかのきっかけで、自分の人生をすべて「オールクリア」できると思ってしまう。
 でも、実人生で「オールクリア」なんてことは、絶対ありえないのですよ。「愚直」に一歩一歩、やっていくしかない。勝つか負けるかわからないけど、とにかく今自分にできることをひとつひとつやって行くしかない。それが、人間が「生きる」ということのリアリティなのだと思います。

 たしかに、除草剤をまけば「オールクリア」になった気分になれる。実際、わたしは初期除草剤をまきました。しかし、じつはそれと引き換えに、大きなリスクも負うのです。水の汚染や田んぼの生きものの死滅、自分への健康被害、あるいは農薬代というコスト、さらには食べ物の安全性への不安、といういくつものリスクがついてまわる。ですから、初期除草剤1回だけ、というシバリを自分にかけたわけです。農業の現場は絶対に「オールクリア」では成り立たない。基本は「愚直に一歩一歩」なのです。

 憲法9条も、「オールクリア」なんてことはない。「憲法9条を守れ」「憲法改悪反対」とさえ言っておけば、日本の平和が保たれる、なんてことは絶対にないのです。自分の暮らしの中で、自分の「憲法9条」を愚直に一歩一歩、あゆんでいくしかない。それしか、「憲法9条」のリアリティを守る手立てはない、とわたしは思うのです。

 東国原知事の「徴農制」ではありませんが、それに代わる制度は、必要かもしれません。たとえば、農業体験を小学校から高校までの必須科目にするとかです。「いのち」のありがたさを知るとともに、農業の教えてくれる「愚直」が、ニッポンの若者を鍛えてくれるかも知れないからです。「愚直」を忘れた国民は、脆弱になります。それこそ「オールクリア」で、いつか滅ぶしかないように思えるからです。

(2008.6.21.)

「今日は、今年で一番あつかったよ。
昼ねしないと、やってられないよ」
・・・と、ジェイエイは言っております。
バラの花が咲き始めました。

農業でも、毎日の生活そのものでも、そして平和な社会をつくるためにも、
大事なのは「一歩一歩、確実にやっていく」こと。
忙しい毎日の中ではついつい忘れがちだけれど、
心に留めておきたいことばです。

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