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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。
第三十六回
夏の農家は、おおいそがしです。特に、朝がいそがしい。
わたしは4時すぎに起きます。玄関の戸をあけると、外で待っていたツバメがさっそく入ってきます。玄関のすぐ上のハリに巣を作っているので、人間が起きるのを今か今かと待っていたようです。なぜ、家の外の軒下あたりに巣を作らないのか? どうも、カラスがヒナを食べようと狙うらしい。ヘビもヒナを狙う。そこで、わざわざ、人間の家の中に巣を作るらしいのです。昔から人間とツバメはこうして共生していたのでしょう。それがDNAとなって、代々伝えられているようです。
でも、わたしはツバメのために早起きをするのではありません。まず、ビニールハウスの作物に水をやります。ハウスの中は雨が降りませんから、作物に水をやる必要があるからです。今年は、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、メロン、トウガラシをハウスで作っています。
露地では、レタス、ダイコン、インゲン、エンドウ、ニンジン、ゴマ、サトイモ、ジャガイモ、トウモロコシ、イチゴ、カボチャなどを育てています。露地栽培でもニンジンなどは、芽が出るまでこまめに水をやる必要があるのです。
田んぼにも出かけ、注水します。野菜も米も、まだ気温が上がらないうちに、水をやることが大切なのです。
草むしりもあります。畑のなかは、機械で草取りというわけには行きませんので、手で雑草を取ってやる。なるべく根っこごと引っこ抜くようにします。でも、とってもとっても、雑草はあとからあとから生えてくるのです。
害虫が作物についていれば、手でつぶして殺します。これも一匹一匹、殺すしかありません。7日おきに(新月、上弦、満月、下弦の日)木酢液を散布しているのですが、殺虫剤ではないので、どうしても虫がつく。その虫は、手で殺すしか方法がないのです。無農薬栽培の手間がかかるゆえんです。
そのほか、トマトやナスやピーマンやキュウリなどの花菜類の整枝もあります。わき芽やムダな葉を切ってやることで、すっきりした樹形になり、風通しがよくなります。病気にもならず、健康で元気なうまい野菜が採れるのです。
そんなわけで、ねこの手も借りたいほど、農家の朝はいそがしい。「朝飯前の仕事」というと、だれでもできる簡単な仕事、というイメージがありますが、とんでもない。「朝飯前の仕事」こそ、農業ではいちばん重要な仕事なのです。
わたしの農学校時代の友人サイトウくんなどは、レタスを収穫するために、10日間も朝3時起きだったそうです。気温が上がらないうちに収穫すれば、野菜の鮮度が保たれるからです。早朝勤務手当てがつくわけではないのですが、新鮮な野菜を出荷するために、そうやって睡眠時間を削って、仕事をする農家もいるのです。
先日、東京の秋葉原で悲惨な事件が起こりましたね。わざわざ、静岡県から東京へやってきて、車で人をひき殺したうえに、ナイフで人を何人も刺している。7人が亡くなったということですね。犯人の青年は、派遣社員で将来に希望もなく心理的に追いつめられていたのでしょうが、どうも暗澹たる気持になります。
時間給1300円で、月収20万円ほどだったとか。年収にすれば、250万円前後、ということでしょうか。
上記のサイトウくんも、おそらくそんなにお金を儲けているわけではない。朝3時から仕事をして野菜を出荷しても、種代や施設や肥料や箱代や運搬のコストがかかっているから、時間給にしたら1300円になるかどうか、というのが実情でしょう。
でも、彼は農業に生きがいを見つけている。IT企業から転職して、実家の農家を継いでいるのですが、自分のいまの仕事を楽しんでいる。こういう青年がいる限り、日本の農業はまだまだ捨てたものじゃない、という気にさせてくれるのです。
アキハバラの青年と、サイトウくんと、どこが違うのか、考えてしまいます。
おそらく、アキハバラ青年には「敵が見えなかった」のだろうと思います。だから「殺すのは誰でもよかった」ということになる。
今の格差社会を作り自分が「負け組」になってしまった原因が、たとえば「構造改革」の小泉元首相にあると信じれば、彼は小泉元首相を狙えばよかった。あるいは、資本家の親玉、経団連の御手洗会長を懲らしめよう、と思えばよかった。ところが彼が狙ったのは「アキハバラ」。敵がアキハバラとはなんなのだ? と思います。
「敵が見えない時代」というのは、若者にとっては生きづらい時代だと思います。コワモテの敵がいたほうが、若者は傷ついたりつらかったりするでしょうが、少なくともはっきりと「こいつをいつかやっつけてやる」という明確な意思は持てる。
いまは、真綿で首を絞められる、といいますか、時代の空気そのものがファッショ化している。だから、誰に向かって自分のルサンチマン(怨念)を投げつけていいのか、わからない。そのベクトルが、自分に向かえば「自殺」ですし、他人に向かえば「誰でもいいから殺したかった」となる。
モノは豊かになったのでしょうが、それに反比例して、ココロは貧しい時代になってしまった、と思います。
その点、農業は「敵が見える」仕事です。敵は、雑草だったり害虫だったりします。あるいは、天候の不順だったり、野菜の鮮度を落としてしまうことだったり、日本政府の農政だったりします。とりあえず、いまこいつと対決しなければ自分の先行きがない、と思える。そして、誰に命令されるわけでもなく、いつクビになるか不安になることもなく、自分の采配で自分の仕事ができる仕事なのです。アキハバラ青年のように「いい人を演じる」必要もない。時間給1300円で働くなら、「敵がはっきり見える」農業の方が生きている実感があるのです。
もし、自分の人生に行きづまってしまった閉塞感をもつ若い方がいるならば、一度農業の門をたたくことをお勧めしたいと思います。
(2008.6.13.)
ねこの手も借りたい、農家の朝ですが・・。
我が家の三匹のねこどもは、ひねもす、なごんでいます。
今回は、〆のことばに代えて、
やまねこ村の辻村さんから編集部にきたメールの一部を、了解を得て紹介いたします。
*
本日、6月14日の午前8時43分、
岩手県南部を震源とするマグニチュード7,2の地震が起こりました。
わたしの住む「奥州市」でも「震度6強」の地震を記録したと報道され、
見舞いの電話を頂戴しました。
ご心配をしていただいた方には、まことにありがとうございました。
おかげをもちまして、私ども夫婦とねこ三匹は、無事でございます。
そのとき、私はニンジンの種を播いていたのですが、
まるで列車が通るガード下のような大きな音がして、
周りがはげしく揺れました。
でも、立っていられないような揺れではなく、地下鉄・丸の内線ぐらいの揺れでした。
私の住む奥州市江刺区梁川地区は、北上高地を構成する花崗岩地帯にありまして、
地形的にはかなり安定した場所です。同じ奥州市でも、こちらは震度5弱程度じゃないかと思います。
おそらく、同じ規模の地震が東京で起こったら、犠牲者は数千人、数万人、だったかもしれません。
震源が、栗駒山近くの山奥で、人跡未踏というと大げさですが、
人口密度が東京に比べたら、1万分の1ぐらいの場所でした。
日本では、地震災害は忘れなくてもやってくる、ということですね。
みなさまも、日々の暮らしを、楽しく安全に過ごしてくださいませ。
まことに、ありがとうございました。
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