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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。
第三十五回
福田康夫内閣の支持率が、どんどん下がっているようですね。詳しい数字が手元にないのですが、20%台になってしまったとか。これは、内閣支持率としては末期症状というか、政権としては危険領域だということを聞きました。
「後期高齢者医療制度」とか、評判が悪いですものね。国家のリーダーとして、なんにも決断できないような優柔不断な態度に、愛想をつかす国民も多いのでしょう。
そんな読みがあるせいか、民主党も福田首相の問責決議案を近々、参議院に提出するかまえ、とか。アメリカのブッシュ大統領と同じように、福田首相もレイムダック化しつつある、というのが客観的な状況のようですね。
でも、わたしはここであえて「福田康夫総理を支持する」ことを、表明したいと思います。それはわたしのへそ曲がりで、アマノジャク根性のせいばかりではありません。
その理由は、彼が6月3日、ローマで開催された食糧サミットで、「日本国内の農業改革を進め、食料自給率の向上を通じ、世界の食糧需給の安定化に貢献できるようあらゆる努力を払う」と、宣言したからです。
やたらまわりもった言い方ですが、ともかく日本の総理大臣が、「日本の食料自給率をあげたい」と言及したことは、これまで記憶にないことです。はじめて、食料自給率の大切さを説く総理大臣が現れた、とわたしはカンシンしたのです。自民党は嫌いなのですが、この発言はダンコ支持したい、と思います。
(注・「食料」とは、食べ物全体をさして使われます。それに対して「食糧」とは、お米や小麦大豆などの主要穀物をさして使われるようです)
百姓として、これまでわたしは、「マガジン9条」の場をお借りして、馬鹿の一つ覚えのように、なんども日本の食料自給率をあげることの大切さを申し上げてきました。
食料自給率が39%、逆に言えば外国に依存する食料が61%もある、ということの危うさを、くどいくらいに繰り返し、申し上げてきました。
だが、暖簾に腕押しというのでしょうか、どうもその主張がみなさまに届いていないような歯がゆさを感じてもいたのです。
そこに、今回の福田総理の発言。おお、あんたは総理大臣にしておくにはもったいない?! という心境になったのです。(そう思うわたしも、かなり単細胞的な人間なのですが)
歴代の内閣をみると、その内閣を象徴するようなキャッチフレーズが出てきますね。古くは、池田勇人内閣の「所得倍増」。岸信介内閣の「日米安保」。田中角栄内閣の「日本改造」。近くは小泉純一郎内閣の「構造改革」。安倍晋三内閣の「戦後レジームからの脱却」などです。
その意味で、「食料自給と環境」を是非、福田康夫内閣のキャッチフレーズとしてほしい、と思います。もう、手遅れかもしれませんが、後世の国民に「福田康夫? ああ、食料自給率を上げ(ようとし)た人ね」といわれるよう、いまからでも真剣に取り組んでほしい。
繰り返しになりますが、現在の世界的な食糧逼迫の原因を整理しておきたいと思います。
①地球温暖化による気候変動・・・大干ばつのオーストラリアや、巨大サイクロンに見舞われたミャンマーがその例です。
②地球人口の急速な増加・・・1800年で9億人、1900年で16億人、2000年で61億人、2008年現在66億人、2050年推計92億人、という増大する地球人口をこれからも十分食べさせるだけの食糧を生産できるのか、という問題です。
③穀物のバイオ燃料への転化・・・石油の値上がりを背景に、本来食糧となるべきトウモロコシなどが、バイオ燃料へ転化されている。そのぶん、人間の口に入る食べ物が減る、ということです。
④投機マネーの食糧世界への参入・・・もうかることならどんなことでもするというタイプの投機家が、食糧の値段を吊り上げています。「はげたかファンド」とか言われていますが、わたしはこれを「火事場ドロボーの経済」といいたいと思います。
⑤収奪型農業の限界・・・化学肥料や農薬を多投したり、地下水を吸い上げたりする大規模・効率優先の農業のせいで、おおくの農地で、土壌が豊かさを失っています。世界の農地が生きた土ではなく、病んだ土死んだ土になりつつあるのです。病んだ土や死んだ土からは、生きものである作物は、ろくなものが育ちません。
⑥水が決定的に不足する・・・人間が利用できる淡水が、どんどん減っています。泥水のような水を飲むしかない人たちがたくさんいます。「水の惑星」地球はどうなってしまうのでしょう?
⑦食糧の国際価格の高騰・・・貧しい人たちに十分な食糧が行き渡らず、暴動まで起きている。世界の平和や安定が崩れようとしているのです。世界的な飢餓や、そこから発生する騒乱や戦争が起こる可能性は十分あると思います。
「ひもじさと寒さと恋を比ぶれば、恥ずかしながらひもじさが先」という、古狂歌があります。どんな美しい恋愛映画や恋物語も、ヒーロー・ヒロインが飢えていない、ということが前提なのです。空腹でお腹をキューキューいわせながら、愛を語ることはできないのです。
文学も芸術も音楽も思想も、その前に、それらをつくる作家や芸術家や思想家の食が足りている、という前提が必要なのです。飢え死にしそうな人間が、文学や絵や音楽をこころから楽しめるとはおもえません。「おにぎり食べたい~」といいながら飢え死にした人が、こころにイメージしたのは、ほかほかのおにぎり以上のものではなかったと思います。
「いのち」という価値を生み出すなりわいは、農業・林業・漁業の第一次産業だけです。人はお米や野菜や動物や魚介類のいのちをもらわなければ、生きていけません。木のいのちをもらわなければ、家は建たず、薪炭はできないのです。
食べ物とは、すべて「いのち」です。肉だけでなく、ご飯もパンも野菜も玉子もお茶もジュースも、みんないのちからできているのです。そのいのちをもらって、人はやっと生きていられるのです。
自動車もコンピュータも金融も情報も大切ですが、その人間の活動の根底には「いのち」という存在があって、そのいのちをもらって、人は生きている。そこを忘れてしまうと、人はどんどん「いのち」から遠ざかってしまう気がします。
「いのち」のありがたさを忘れた人類には、いずれ飢え死にする運命しか待っていないのではないでしょうか。最近、殺伐とした事件が多いのも、ひとが「いのち」のありがたさを忘れてしまったせいのように思えてなりません。
(2008.6.9)
ツバメが、玄関のうえのハリに、巣を作ってしまいました。
二羽のツバメがやってきて、もう卵を抱いているようです。
これでは、昼間、外出できなくなりました。
ヒナが巣立つまで、わたしと家内が交代で、留守番をすることになりそうです。
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