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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。
第三十四回
やまねこムラも、5月末までにほぼ田植えが終わりました。遠くから見ると、水をはったたくさんの田んぼが小さな鏡のように、キラキラと輝いています。まわりの野山は、青葉若葉でからだにしみこむような緑です。個人的に、わたしが一番好きな季節です。
水があり、風が吹き、森の緑に抱かれ、草と土がにおいます。空には白い雲が浮かんでいます。森からは、ウグイスと一緒にホトトギスの鳴き声が聞こえるようになりました。田んぼは、毎晩カエルの大合唱大会です。
この、ごく当たり前の岩手の山村風景が、ごく当たり前のように在ること・・そのこと自体が、じつはこのムラのかけがえのない宝物なのではないか、と私はひそかに思っています。
やまねこムラは、北上高地のふもとにある中山間地なので、平野部のようにます目のように整備された田は多くありません。四角い田んぼのほうが作業をするには効率がいいのですが、地形に合わせて、三角形だったり、台形だったり、半円形だったり、菱形だったり、雲形条規のように曲がりくねっていたりします。
現に、わたしの耕す田んぼの一枚は、扇形をしています。代かきをするにせよ、田植えをするにせよ、作業がやりづらいのは確かなのですが、わたしはこのかわいい形の田んぼが気に入っています。今年は、この田に「ひとめぼれ」の苗を植えました。
畑の作物もぐんぐん生長を始めています。水と二酸化炭素を材料にして、太陽の光のめぐみで、トマトもピーマンもキュウリもレタスもインゲンも、日ごとに大きくなっています。梅もサクランボもブルーベリも花が終わって、もうすぐ実をならせようとしています。
ムラでは昔から「カッコウが鳴くころには、マメをまけ」といわれていて、わたしもカッコウの声を聞きながら、山のだんだん畑にマメ(エダマメとアズキ)を植えました。
田植えが終わったお祝いの「さなぶり」をする農家もたくさんあります。わたしも、源泉かけ流しの温泉へ行き(300円~500円で入れます)、くるくる寿司で久しぶりのお寿司を食べました。
もっとも、この初夏の野山の美しさには、代償が必要です。それは、草刈です。初夏には、作物だけでなく、雑草もぐんぐん生えてきます。そこで、エンジン付きの草刈機械(草払い機、といいます)を使って、あぜや畑周りだけでなく、農地ののり面(斜面)や屋敷周りの草を、年に3~4回刈る必要があるのです。
私の場合、1日4時間ぐらいのペースで、全部を刈るのに4~5日かかります。耕作している田畑の面積より、草を刈るべき場所の面積のほうが広いからです。
マニュアルでは、エンジン振動による白蝋病になるのを防ぐために、草刈機は1日2時間以内まで、ということになっているのですが、それを守ってばかりはいられません。
みなさんが夏の農村にきて、「ああ、気持いい田園風景だなあ」と思ったとしたら、それは地元の農民による草刈という無償の労働の結果、守られている景観なのです。そうでなければ、高温多湿の日本では、農地とその周辺はたちまち草ボウボウのヤブになってしまうのです。
いまの草刈は、生産労働ではありません。自分の機械と燃料を使い、自分の時間と労力を使うだけで、賃金になるわけでも農産物の生産につながるわけでもないのです。
牛馬を飼っていた昔なら、刈った草を飼料にする理由があったのですが、いまは刈った草はゴミ扱いで、燃やすかそのままにされるのがほとんどです。
つまり、農民の美学と昔からの習慣によって、やっと支えられている農村の景観なのです。七十、八十の老人が(オバアサンも含めて)重い機械を担いで、草を刈っているのです。草刈する体力・気力もなくなり、後継者もいない家では、現に耕作放棄地がどんどんヤブと化しつつあります。これも、中山間地のひとつの現実の姿なのです。
かくして、いろいろな矛盾や悩みを抱え込みながらも、やまねこムラは田植えも終わり、今年も美しい初夏を迎えようとしています。光もあれば、陰もあります。
のどかに聞こえるカッコウ(夏の渡り鳥)が、じつは鳥インフルエンザを運んでいるかもしれません。200キロ北の六ヶ所村再処理工場からは放射能がやってくるかもしれません(最近、再処理工場直下に大きな活断層がある可能性が高い、という地質学者の報告がありました)。なにより、ガソリンの値上げがムラの生活を直撃しています。過疎地のムラでは車が必需品ですし、農業もエンジン付の農業機械に頼っているからです。
やまねこムラはじつに美しいムラですが、世界から隔絶して存在しているわけではありません。温暖化という地球規模の環境変化や、石油の高騰という経済状況の影響も、いやでも受けているのが現実なのです。
おそらくそれは、このムラだけではなく、ニッポンどこへ行っても同じことなのだと思います。世界の果てへいっても、ユートピアはしょせんユートピア(どこにもない場所)ということなのでしょう。
ならば、自分が住むこのムラの、みずみずしい風景や平和なたたずまいを、自分の身のたけにあったやり方で守ろうと、まずわたし自身が努力すべきなのだろうと思います。
誰かがやってくれるだろうと頼るのでもなく、誰かが悪いと他人のせいにするのでもなく、とりあえず、自分たちのムラは自分たちで守っていく。そこから始めるしかないだろう、と思っています。
そのために、体力がある限り、お米や野菜を作り、果樹を育て、自給自足する。森に手を入れ、持続可能な燃料=マキも自給する。そして、夏草を刈る。そうやって、わたし自身の暮らしの現場=やまねこムラの美しい景観や平和な姿を、次の世代へ残していく・・。
そこから始めない限り、自分の人生のリアリティは見えてこないような気がしています。それが、やまねこムラ風9条の実践だと思っています。
(2008.5.30)
初夏の、我が家の庭です。
田畑の担当はわたし(亭主)なのですが、庭の担当は家内です。
本人は「日本のターシャ・テューダをめざす」といっております。
白い花は除虫菊、赤い花は芍薬です。
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