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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。
第十九回
わたしたち人間は、いろいろな時間のリズムのなかで生きていますね。
そのなかで、みなさんにとって一番大切な時間のリズムは、なんでしょうか。
雪に埋もれたやまねこムラで、今回は時間のことを考えてみました。
東京にいたころのことを考えてみますと、わたしにとっていちばん生活に密着した時間のリズムといったら、なんといっても「1週間」という単位でした。
小学校時代の授業の時間割からはじまって、サラリーマン時代まで、日月火水木金土、と7日ごとのサイクルは、わたしたちの生活を大きく支配していた、と思います。
現にこの「マガジン9条」にしても、「毎週水曜日にUP」というかたちで、1週間というリズムの中で発信されています。
おそらく、「マガジン9条」の読者のほとんどの方も、「1週間」という単位が、一番大切かどうかは別にして、いちばん密接な時間のリズムになっているのではないでしょうか。
テレビやラジオの番組も1週間単位ですし、学校も会社もハローワークも博物館もデパートも株式市場も為替相場も国会も、すべて1週間という単位で動いています。毎週○曜日は会議がある日とか、△曜日はスポーツジムや英会話教室に通う日とか、現代人は1週間という時間のリズムの中にしっかり囲われて生きている、とおもいます。
ひょっとしたら戦争だって、アメリカ軍では○曜日は爆撃の日、なんていうリズムがあるような気がします。
公的機関で1週間単位ではないのは、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6曜に準ずる火葬場ぐらいではないのでしょうか。
「1週間」というリズムの次にくる、重要な時間のサイクルが、「ひと月」というリズムでしょうね。毎月○日は月給日とか、電気代や水道代の振込みも毎月何日ときまっている。
雑誌も週刊、旬刊、季刊、とあるけれど、数と種類で言えば、月刊誌がいちばん多いと思います。「毎月○○日は、バーゲンの日」とか、スーパーでやってたりもします。
1月から12月までの「ひと月」という時間のリズムも、「1週間」に続いて、現代の人間の生活に欠かせないサイクルになっているとおもいます。
ところでわたしは、岩手で百姓をやるようになって、「1週間」や「ひと月」というリズム以外に、ちがう大切な時間のリズムがあると、感じるようになりました。
いまのわたしにとっては「1週間」という時間の単位や「曜日」という区切りが、ほとんど意味がなくなった、と感じています。せいぜい、燃えるゴミを出す日は毎週火曜と金曜だとか、本を借りる図書館の休みは毎週月曜日だったな、とかいうぐらいです。
会社にも学校にも行かないので、曜日はほとんどカンケイがない。はて、今日は何曜日か、思い出せないことがしばしばあります。
その代わり、百姓にとって、大切なリズムがあります。
いうまでもなく、春・夏・秋・冬、という1年の季節のリズムです。
種をまくにしても、雑草を刈って肥料をやるにしても、収穫するにしても、この季節・時節のリズムにのっとって、おこなわれます。これを無視して、百姓はやれません。
「1週間」ではなく「1年間」という、ゆったりしたリズムの中で生きることが大切、と農業は教えてくれるのです。
ですから、冬のいまは、何もしないでボウ~ッとしていてもいいのです。夜が長いし寒いから、暖かくして、ゆっくりゆっくり冬ごもりしていればいいのです。無理をする必要はないのだよ、と冬は教えてくれています。
春から秋まで、一生懸命に働いた実りが、手元にありますから、金はなくても飢える心配はありません。オテントサマも休んでいるのだから、人間もゆっくり休んでいていいのだよ、と田んぼや畑はいってくれています。冬は人が癒される季節なのです。
百姓はワーキングプアじゃないか、といわれたりします。確かにお金の収入の面からみたら都会より条件が悪い。時給換算したら、百姓の時給は300円にもならなかったという試算もあります。
が、時間に追われることなく、ゆったりと冬をすごせるという余裕が都会のワーキングプアにはあるでしょうか。ここのところが都会のワーキングプアと百姓のちがうところです。
「生存を脅かされている」と本気で悩んでいる都会のワーキングプアのかたは、是非農村に来て、百姓になることをご検討ください。同じ貧乏で金がなくても、百姓は、どこかのんびりしていられる。百姓一揆の昔はともかく、いまは百姓が生存を脅かされるまでは追い詰められることはまずないのです。
農村には、日本の暮らしの原点がいまでも残されていて、人が生きる、ということに対しては寛容で、やさしいのです。都会のように、過酷で非情ではありません。
たとえば、いまの都会でも、初詣とか、盆踊りとか、季節季節にやる行事がありますが、これは、日本全体が農業で成り立っていた時代のなごりですね。都会が田舎のシッポをいまだにひきずっている証拠です。農山村での暮らしが日本人の暮らしの原点だったのです。ビートルズ(古いか?)ではありませんが、Get Back ですね。
岩手では、季節の遷りかわりをこう表現します。
春 山、笑う。
夏 山、滴る。
秋 山、彩る。
冬 山、眠る。
眠りについている山々に囲まれて、やまねこムラでは、冬ごもりの日々が、まだとうぶん続きます。農山村に流れるほかの時間(たとえば、月の満ち欠けのリズムなど)についても、ふれたかったのですが、まあ、今回はこれくらいで。
寒さ厳しい季節ですが、風邪など召さぬよう、お気をつけください。
(2008.1.12.)
雪景色の、冬のやまねこムラ。
同じ場所から取った夏の写真(第2回)と比べてみてください。
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