071219up
つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。
第十七回
冬ごもりに入ったやまねこムラですが、ムラにはクリスマスのにぎやかさも、師走のせわしさもありません。ムラ全体が、世の中の動きとは関係なく、冬眠するクマのようにじっとうずくまっているようです。
65歳以上の人が、住民の過半数をしめている集落を「限界集落」というそうです。人口がどんどん老齢化していって、遠くない将来、集落を維持することもできなくなって、そっくり消えていく危険性がある集落をさす行政用語です。全国では8000近い「限界集落」があるそうですから、これは岩手だけではなく、全国レベルでの、農山村地域の問題なんでしょうね。
やまねこムラには、20ほどの集落(地元では部落といいます。差別的なニュアンスはまったくありません)があるのですが、そのなかには、この「限界集落」と呼ばれる状態に近い集落が、いくつかありそうです。
わたしの所属する自治会は、三つの集落から構成されているのですが、この4年間で、111戸から106戸へと戸数が5戸も減ってしまいました。
なかには4世帯同居というにぎやかな家族もあるのですが、どちらかというと80歳すぎた老夫婦だけの家とか、寝たきりの夫人をオジイサンが看病している老老介護の家とか、オバアサンひとりだけの家とか、老人家庭が目立ちます。
わたしは、3年前から自治会の庶務会計係りをおおせつかっていますので、こうしたムラの家族構成にも、少しは目がいくようになりました。
ムラでは、夏の盛りと終わりに年2回、川原や共同地域を草刈りするのですが、それには各戸ひとりづつ出役するのがムラの習いなのです。でも、80歳をすぎて夏の盛りに草刈をするのは、過酷な労働です。そこで、今年から80歳すぎたら、この出役が免除になりました。
でも、逆に言えば、79歳までは、この草刈に参加しなければならない。家に若い人がいれば、当然若い人が出役するのですが、家に跡取りがいないものだから、80近いオジイサンや、家に男手のいないオバアサンたちが、駆り出される。どうしても、出られない家はペナルティとして、何がしかのお金を出す、という暗黙のルールもあります。
通りがかりの都会のかたが「あ~、気持のいい農村風景だな」とおもわれるムラの風景は、こうしたジイサンバアサンたちの無償の出役で護られているのが実情なのです。
わたしは、この静かなムラが気に入っているのですが、跡取りが家を出たままの、残された老人たちには、つらいことも多いとおもいます。
雪かきひとつとっても、若い人(ムラでは60歳までなら「若い」という認識です)がいない家はたいへんなのです。農道までは行政が雪かきをしてくれても、そこから家の出入り口までの道は、個人で雪かきをしなければならない。わたしの家も、玄関から農道まで30メートルほどあるのですが、雪かきはマイナス10度の真冬でも、びっしょり汗をかく重労働なのです。ましてや、80歳をすぎた老人が雪かきをあきらめてしまうのもうなづけます。冬は家に閉じこもるしかないのです。
いっぽう、まだ学校へ通っているような若いひとにはたぶん、物足りないことも多いのでしょうね。「いつか、こんな退屈なムラを出て行ってやる」と、テレビで垣間見る「にぎやかで、華やかな大都会」に、あこがれをつのらせているのでしょうか。
♪トーキョーへは、もう何度もいきましたかぁ~♪ と、花咲くミヤコの大都会は、いまも若い人を呼び寄せる魔力があるのでしょうか。
大都会が、アリ地獄のように、若者を農村から吸い寄せて、彼らを使い捨て労働力として扱い、挙句のはてに、ニートやネットカフェ難民にさせていく・・という構図は、この日本の近代百年あまりのあいだ、変わっていないような気がいたします。
昔は兵隊や職工、いまはマックのアルバイト、と姿格好はちがうのでしょうが、大都会の持つ「アリ地獄」体質は、変わっていないとおもいます。
もちろん、地方や田舎には十分な就職口がない、という現実もあります。地元に就職したくても、職がなければ大都会へ出て行くしかない。ほんとうは、農業も林業も若い人を待っているのですが、金銭的には食えない(と思わされている)ので、農林業は若い人の職業選択肢に最初から含まれていない。
その結果、農村や地方は(そして都会のスラムも)、いまも昔も、国家の使い捨て人員の供給地になってしまっている。この都会の「アリ地獄」体質の構図だけは、自己防衛のために、地方出身の若い方は認識していた方がよいと思います。
わたしのほうは能天気に、♪ノーキョーへは、もう何度もいきましたねぇ~♪ と歌いながら、牛ふん堆肥やマキを軽トラックで運んでいたりするのですが、どうやらこういうダサイ仕事は、地元の若い人にはあまり人気がないらしい。
ほんとうは、農業も林業も大変おもしろくて、やり甲斐のある仕事だと思うのですが、どうも若いひとには畑を耕すより、時給800円で「ご注文は以上でよろしいですかぁ」とか言ってるほうがカッコいい、魅力ある仕事にみえるらしい。
三つ子の魂百まで、といいますね。やはり子どものうちから、田舎の魅力、農村のチカラ、田園の魔力を、しっかり伝えないと、農村の未来はない、とおもうようになりました。
若いかたに言いたい。田舎にいたら「退屈地獄」かもしれませんが、都会に行ったら「アリ地獄」なのです。退屈なら、じぶんの創意工夫で楽しい時間に変えられるとおもうのですが、アリ地獄のほうは、そうはいかない。自分の生存が脅かされるのです。ここを良く考えてほしい、とおもうのですが、大都会はそういう判断力に目をくらますくらい、若者にとって魅力があるのも事実なのでしょう。
ですから、食べることや、環境問題を通して、いかに田舎暮らしが魅力に満ちているかを、子どものうちから知ってもらうことが大切だ、とおもいます。今年生まれた孫には、しっかり「田舎の魅力」を伝えられるジイチャンになりたい、とおもっています。
(2007.12.15)
猫の冬ごもり
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