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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。
第十三回
早いもので、今回で「やまねこムラだより」も、13回目を迎えることになりました。スタートからちょうど3ヶ月、テレビ番組で言えばワンクールです。8月に種をまいたハクサイやダイコンが、丸々と太って、ちょうど収穫の時季を迎えています。農業は、収穫のタイミングも大切なのです。
もし、今回まで欠かさずに読んでくれた方がおられたら、感謝感激アメアラレです。ご愛読、まことにありがとうございました。
それにしても、この連載を始めた3ヶ月前、あれだけ世間を騒がせていた安倍元ソーリは、どこへ行ってしまったのでしょう? マスコミも冷たいものですね、いまじゃ安倍さんのアの字も報道しない。彼の理想とする「美しい国」へ行ってしまったのでしょうか?中国語でアメリカのことを「美国」と書きます。きっと、大好きなアメリカ合衆国のどこかで、リハビリでもしているのかもしれませんね? 彼の政権回復は願いませんが、健康回復は祈りたいとおもいます。
さて、今回のテーマは、「農ある暮らし」へのお誘いです。これまで、このコラムを読まれてきて、「農業って、ちょっとおもしろそうじゃない。わたしも、やってみたいなあ」とかおもわれたかた、おられますか? そういう方への、ガイダンスです。
プロフィール欄にあるように、わたしは4年前にIターンで、岩手にやってきて就農しました。それまで、東京でサラリーマンをしていました。
「百姓をしたい」というより「田舎暮らしをしたい」と、なんとなくおもい始めたのは、1980年代の末のことです。いわゆる「バブル景気」華やかなころ。わたしも、40代になったばかりで、企業戦士としてバリバリ働いていたころです。月の残業は100時間を越えていた、とおもいます。
東京の高級ホテルでは、毎日のようにパーティが開かれ、そこで提供された山のようなゴチソウは、数時間後に、山のような生ゴミ、になっていました。華やかだけど、どこかむなしい。どこか、おかしい。お金はあっても、反比例して、こころは貧しい。そういうハデハデしい生活に、疑問を持ちました。だって、わたしのこどものころ(1950年代)は、日本中、どこへいっても貧しかったのです。それがあたりまえだったのですから。「こんな生活、いつまでも続くもんじゃない」という想いがつのりました。
土地探しが始まりました。5~6年、さがしたでしょうか。そして、1995年に岩手に、自分の気にいった土地がみつかりました。6畳一間の掘ったて小屋を建てて、そこに毎月、土日と有給休暇を使って、3~4日、通うようになりました。5月の連休、夏休みと冬休みは、まとめて1週間ぐらい過ごします。
水道も電気もトイレもありません。趣味はアウトドアでしたので、キャンプの気分です。水は近くにうまい湧き水がありましたので、そこから汲んできます。照明はランプ。炊事は、かまどを作って、たきぎを拾ってきました。トイレは、穴を掘って、ワカサギ釣り用のテントをのせました。風呂は、近くにたくさんある温泉へ。温泉でも、東京の銭湯より安いのです。
そして、畑仕事のまねごとを始めたのです。見よう見まね。今にしておもえば、周りの人はひやひやしながら、私のことを見ていただろう、ということがわかります。ちょうどオウム真理教が世間を騒がしていたころですから、「へんな人がきたら、いやだな」とおもわれていたでしょうね。
でも、そうやって5~6年通っているうちに、地元に知り合いも増え、少なくとも「ワルイヒト」ではないことが、わかってもらえるようになってきました。2000年には、離農するという老夫婦から、今住んでいる築110年の古民家を譲ってもらいました。
そして、2004年、土地を見つけてから10年目にして、念願の百姓生活に入った、ということです。定年まで5年半ありましたが、5年分の賃金で生涯の自由を買った、と考えました。
いまは、もっと簡単に農村へ移住できるようになりました。以前書きましたが、ムラでは高齢化が進み耕作放棄地が増えています。農業では食えないので、後継者はムラを出て帰らない。つまり、空き家が目立ち始めています。
こういう状況に、危機感を持った地方の自治体は、県レベルでも、市町村レベルでも、門戸を広くひらいて、新規の就農者を募っています。だから、「農業をやってみたい」という若い人には、「いまが、チャンス!」といいたい。
でも、田舎なら、どこでもいい、というのは間違っています。その土地と、ヒトとの相性というものが必ずあります。ですから、まず、自分がどんな田舎に暮らしたいのか、イメージをはっきり持った方がよい。
北志向なのか、南志向なのか。山のほうがいいのか、海が近いのがいいのか。西日本か、東日本か。自分の理想とする田舎、をイメージしてみることです。
そのうえで、コメを中心にやりたいのか、それとも畑作がメインなのか。あるいは、作物なのか、牛やニワトリなどの生きものなのか。イチゴを作りたいのか、ジャガイモを作りたいのか。果樹園をやりたいのか、キノコをやりたいのか。あるいは、きれいな花をいっぱい咲かせたいのか。
なるべく、具体的に自分のやってみたい農業のイメージも考えてみる。そして、実際に候補になりそうな、その土地にいってみることです。
「ひとめぼれ」というのは、人間の恋愛だけではありません。「あ~、ここは、いいところだなあ。住んでみたいなあ」と理屈でなく思えるところがよい。まず、自分がほれた場所を見つけることが、大切とおもいます。
そのうえで、その土地の行政(「農政課」といったセクションが必ずあります)に問い合わせしてみる。県レベルより、市町村レベルの方が、具体的に答えてくれるとおもいます。
空き家情報をもっている自治体もありますから、住む場所も、早めに確保できるとおもいます。いまでは、たいていの自治体がホームページをもっていますから、そこからリサーチをはじめてもいいでしょう。
農業技術の習得には、地元の農業学校の門をたたくのもいいでしょう。志を同じくする仲間とも知り合えますし、情報の交換もできます。(わたしも県立農業大学校のお世話になりました)
ただ、腰かけ気分では、なにごともうまくいきません。本気で田舎を探し、本気で百姓を志願してください。
おいしいところだけをもらって、つらいところはパス、というわけにはいきません。山登りと同じで、一歩一歩、自分の足で登っていくしかない。ボタンひとつで、すべてクリアというわけにはいかないのが、農業です。
ムラにはムラの生態系がありますので、その生態系を壊さない気遣いも必要です。リゾート地にやってきた気分で農業をはじめると、手痛い目にあいます。
資金面では、最近は50歳ぐらいまでなら、低利の融資制度を持つ自治体もあるようですから、とりあえず、行動を起こしてみることです。
自分が植えた種が芽を出したときのいとおしさ。その芽が、ぐんぐん伸びていく生命力のすばらしさ。そうして、水をやったり、害虫をつぶしたり、雑草に負けないように炎天下に草取りをする・・。そういう苦労をへて、やっとできた作物を、食べたときの、感動!
「これ、おれが作ったんだ。それを食べているんだ」とおもうときの、誇らしさとうれしさとおいしさ。これは、やったヒトにしか味わえない、人生の醍醐味です。
金のかわりに、自分の汗であがなった食べ物です。うまくないはずがない。
気持ちよい労働が、気持ちよい睡眠をもたらしてくれます。「今日のわざをなし終えて・・」という、1日の充実感があります。
そして、だれにも頭を下げる必要はない。言いたくないお世辞をいう必要もない。クビになる心配もない。朝から晩まで、自分の時間。従うのは、オテントサマだけなのです。
ムラを変えるのは、バカモノと、ワカモノと、ヨソモノの「三モノ」だといわれます。
あなたが、ムラの中へ本気で入っていったら、そこからムラは少しずつ変わります。そして、そういう積み重ねが、日本を変えていく力になっていくと思います。
所詮ヨソモノです。50代以下なら、ワカモノです。あとは、バカになるだけでいい。
どうです、農業やってみませんか?
32年間勤めた会社をやめ、百姓になったばかりのころ、自分でつくった標語があります。
貧に在って 卑にあらず
悠々と言えずとも 自適なり
天にのみ仕え 終日自由われに在り
やまねこムラは、そろそろ、冬ごもりのしたくに入ります。
今月の末には、初雪も降るでしょう。
機会があったら、また皆様とお会いしたいとおもいます。それまで、どうぞ、お元気で!
ムラのお寺の六地蔵。ムラの平和だけでなく、世界の平和を祈ってください・・。
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