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やまねこムラだよりー岩手の五反百姓からー

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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

第十回

QOLについて── やまねこムラを例に

 これまで、9回「やまねこムラだより」を書いてきましたが、やまねこムラそのものについては、あんまりふれてきませんでした。おくればせながら、簡単な紹介をしておきましょう。

 面積は37平方キロ。東京でいえば、杉並区、葛飾区、江東区、などとほぼ同じぐらいの広さです。人口は、2000人。杉並区51万人、葛飾区42万人、江東区40万人、ですから、東京の区部からすれば、200分の一から250分の一の人口密度です。

 場所は、岩手県の中南部。北上山地のふもと、標高150m~300mの地帯に、家が点在しています。中山間地といって、小さな山や丘に囲まれた盆地が、あちこちにパッチワークのように広がっています。盆地部には、水田がひろがり、丘の中腹には、だんだん田畑やりんご園が点在しています。丘の上のほうは、里山になっていて、タヌキやキツネの住みかになっています。キジやヤマドリも住んでいます。
さらにすこし奥の山からは、よくカモシカがやってきます。クマが出たときは、さすがにムラ中で、大騒ぎします。

 ムラのまん中を、北上川に流れ込む支流が流れていて、その川沿いに、小学校、郵便局、JA(農協)の支所、駐在所、地区センター(公民館)などの「ムラの5点セット」があります。酒屋やガソリンスタンドや修理工場や雑貨店など、お店も集まっていて、ここがムラの中心街(?)です。

 わたしの家(やまねこ農園)は、その中心街から3キロほど離れています。県道からすこし奥まった場所にあるので、静かな場所です。目の前に、水田が広がり、その向こうにりんご園の森が見えています。遠くには、南山とアネサチコと名づけた山が、こんもりと盛り上がって見えています。
 アネサチコ、というのは岩手のことばで「若い娘のおっぱい」という意味です。こんもりと、ふたつの丘が並んで、ちょうど若い女性の乳房のように見えるからです。風景にも色気があるのですね。わたしのお気に入りの眺めであります。

 ところで、QOL(quality of life)ということばを聴いたことがあるでしょうか。人生の質、とか、生活の質、とか訳されています。「ゆたかな暮らし」のその「ゆたかさ」とは、なんなのかを問い直すためのキイワードなのです。

 たとえば、あなたの考える「ゆたかさ」の条件は、なんでしょうか。

(1)お金、(2)便利さ、(3)安全、(4)健康、(5)平和、(6)学歴、(7)おいしい食べ物、(8)きれいな着物、(9)暮らしやすい家、(10)家族、(11)愛、(12)外国旅行、(13)スポーツカー、(14)地位、(15)資格、(16)権力、(17)名声、(18)美貌、(19)知性、(20)趣味・・・。人によって、ほんとうに、さまざまなのでしょうね。

 たくさんある「ゆたかさ」ですが、基本的に二種類に分けられるかとおもいます。
 つまり、お金で買えるゆたかさと、お金では買えないゆたかさと、です。経済学で言えば、交換価値があるかないか、ということだとおもいます。

 経済的価値の多くは数字で語られることがおおいですね。GDPとか、予算とか、年金とか、賃金とか、利率とか、株式市場とか、為替相場とか、すべてお金にかかわる数字です。人生、これを無視しては生きていけません。無視どころか「政治とカネ」問題でしばしば登場するように、大事な大事なテーマです。

 だが、あまりに大事なテーマゆえに、お金にかかわるコト以外は、どうでもいい、という風潮が出てきた。いまの急速に経済成長している中国などを見ていると、拝金教という信仰が大流行している、とおもいます。かつての日本にも大流行しましたし、アメリカなどは、いまもその信仰の総本山だとおもいます。

 拝金教が、あまりにバッコしすぎて、さまざまな弊害が出てきた。古くは水俣病や川崎ぜんそくなどの公害は、企業が拝金主義で突っ走った結果でしたね。近くは、ライブドアやミートホープとか、儲かるなら人を騙してもなんでもやる、という風潮が起こした事件も、記憶にあたらしいところです。 そこで、「金では買えないゆたかさ」「交換できない価値」を見直そう、という反省も生まれました。QOLは、そういう文脈の中で生まれたことばです。

 そこで、たとえば、東京とやまねこムラ(岩手)を比較してみます。

 経済にかかわる数字では、ほとんどの数字で、東京が上です。人口、人口密度、県民総生産、ひとりあたりの所得、平均賃金、地価、医師の数、エネルギー消費量、金融機関や学校や病院の数、上下水道普及率から、犯罪率まで、すべて東京は上。
 やまねこムラが上になる数字は、老人の人口比率と食料自給率、ぐらいでしょうか。 つまり、やまねこムラは、東京に比べて、ビンボーだ、貧しい、ということになる。経済的な指数では、東京はたしかに「ゆたか」です。

 でも、買えない価値、ということでは、どうでしょうか。空気の清冽さ、風のそよぎの気持ちよさ、水のうまさ、星空の美しさ、緑したたる風景といった自然環境の面。犯罪率の少なさ、通勤時間の短さ、いい温泉が近くにたくさんある、などの社会的環境の面。多様な郷土料理、縄文時代からの歴史の奥深さ、今も生きている鹿踊りなどの民俗芸能、といった文化的側面。こちらでは、やまねこムラのほうが、文句なく「ゆたか」です。
 人間が人間らしく暮らしていく、という視点からでは、やまねこムラのQOLが、東京のそれよりダンゼン高い、とわたしは思うのです。

 経済的な指数を考えれば、人口や人口密度が多いほうがなにかとよい。税金をたくさん取れるということでは、行政も人口が多いほうを歓迎します。人口の少ない地方都市の市長さんは、人口がたくさんいる東京圏の市長さんがうらやましくてしかたない。市の財政を支えるお金の額が違うからです。
 でも、のんびり暮らせる、という個人レベルの視点では、1平方キロに1万人以上の人間がひしめく東京と、50人しかいないやまねこムラでは、どっちが空気も時間もゆったり流れているかは、結果はあきらかでしょう。

 ものごとには何事も両面性がある。光があれば、闇がある。プラスの面があれば、マイナスの面もある。ですから、自分はどちらの価値観を選ぶか、ということでしょうね。
 わたしは、やまねこムラの価値観だけを、皆さんに押し付けようとはおもいません。
 大都市には、大都市の価値観があって、それも大切な価値です。
 でも、「買えない価値」「交換できない価値」を、わたしは大切にしたいのです。やまねこムラの、金にならない価値を大切にして、これからも生きていきたい。

 そして「平和」という価値も、本質的に買えない価値なのだ、と申しあげておきたい。ミサイル、戦車、戦闘機、イージス艦、クラスター爆弾・・、みんな金では買えても、それはイコール「平和」を買うことではない、ということもいいたい。
 どんなに、拝金教が日本に蔓延したとしても、「平和」は金では買えないからこそ、自分たちが身をもって守っていく・・。そういう気概を持つことが大切、とおもうのです。


なぜ、オジイサンは山へシバ刈りに行くのか?

中央に、こんもり見える双丘が「アネサチコ」。
その左の小山が「南山」。すっかり、秋の景色になりました。

「平和」という価値もまた、高いQOLを保つには欠かせないもののはず。
お金で買える価値観だけに目をとらわれていては、
見えなくなってしまうものもたくさんあるのではないでしょうか?
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