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やまねこムラだよりー岩手の五反百姓からー

071010up

つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

第九回

なぜ、オジイサンは山へシバ刈りに行くのか?

 日本昔ばなしの定番「桃太郎」は、こうはじまります。
 「むかしむかし、あるところにオジイサンとオバアサンが住んでおりました。オバアサンは川へ洗濯に、オジイサンは山へシバ刈りに、いきました・・」

 子どもごころに、昔は水道がなかったからオバアサンは川へ洗濯に行くのだろう、と納得がいきました。ところが、どうしてオジイサンが山へシバ刈りにいくのか、これがよくわかりませんでした。さしえを見ると、しょいこに木の枝をいっぱいつけたオジイサンの絵がありましたから、「シバ刈り」というのは、木の枝を集めにいくのだ、ということはわかります。二宮金次郎の銅像が学校にあったひとはわかるでしょうが、あのカッコウです。
 でも、なぜ「山へシバ刈りにいく」理由があったのでしょう?

 やまねこムラに暮らすようになって、そのことがやっとわかるようになりました。つまり、わたしも「山へシバ刈りに行く」ようになったからです。
 やまねこムラは、冬の厳寒期には、マイナス17~18度ぐらいまで、気温が下がることがあります。10月はじめから4月末までの7ヶ月間は、暖房が必要です。
 そして、我が家の主暖房は、マキストーブなのです。朝から夜寝る時間まで、1日に13~14時間はマキを焚きます。そのために、「山へシバ刈りに行く」必要があるのです。

 つまり、昔ばなしのオジイサンは、エネルギーの自給のために、山へシバ刈りに行っていたのですね。シバは、囲炉裏やかまどで燃やされる熱エネルギーになったでしょうし、夜は明かりとしての照明エネルギーにもなったのです。
 石油文明が始まる前、数千年の長い時間にわたって日本のエネルギーは、木から採れる薪炭が、主流だったのです。

 このおじいさんが行く「山」は、里から遠く離れた高い山のことではありません。田や畑を囲むようにある「里山」のことです。
 わたしのように中山間地に住む百姓のほとんどは、農地のほかに自分の「山」をもっています。わたしは、農地は5反しか耕していませんが、「山」は2町7反あります。この「山」から、必要なマキをとってくるのです。

 わたしの「山」は、スギやアカマツなどの造成林も1~2割はありますが、ほとんどが雑木林やヤブです。クリ、コナラ、トチノキ、オニクルミなど背が高く、実をつける木があります。カンバ、タラ、カエデ、ハンノキ、コシアブラなどの中くらいの木もあります。ヤマウルシや、ツツジ、クワ、グミ、ラズベリなどのかん木もあります。
 タラやコシアブラは、春にその芽を食べる山のさちです。
 脱線しますが、ヤマネコヤナギ、という木もあります。これは山に生えるネコヤナギのことで、やまねこムラ特産のヤナギではありません。

 「シバ刈り」のシバ(柴)というのは、かん木や細い木の枝のことですので、それ以外に、もっと太いマキも必要になります。そこで、チェーンソウで直径20~30センチに成長した木を伐採することも必要になってきます。
 チェーンソウで立木を伐採するのは、かなり危険な作業です。そこで、わたしは講習を受けて、きこりの免許をとりました。いまでも、高さ20メートル以上の木を切るときなどは、どきどきします。

 マキ作りの作業は続きます。その伐採した木を、まず1.8メートルくらいの長さにします。軽トラックの荷台に乗せるためです。重くてひとりでは運べないときは、半分ぐらいに切ってから、乗せます。それを、庭先に運んで、30~40センチぐらいの長さに、輪切りにします。これを玉切り、といいます。玉切りした木をさらに、半分とか四分の一に割って、家のまわりに積みあげます。そして、半年から1年ほど乾燥させると、やっとマキの完成です。

 わたしの家では、こうやって作ったマキを年間5~6トン燃やします。マキストーブのおかげで、年間3000リットルくらいの灯油代がうきます。お金だけでなく、排出されるCO2も計算上ゼロになりますので、地球温暖化の防止に少しは寄与していることになります。
 どうしてゼロになるかといいますと、マキを燃やしてCO2が出たとしても、そのCO2がまた森に吸収されて木の成長に使われる。つまり、光合成によって炭素が循環されますので、排出量はプラスマイナスゼロ。これをカーボンニュートラル、というそうです。
 もっとも、チェーンソウで使うガソリン、切った木を運ぶトラックのガソリンは使いますので、完璧にC02の排出はゼロにはなりません。

 ここで、都会の環境派のかたがしばしば持つ誤解があるとおもうので、寄り道します。それは「木を切ること=環境破壊だ」という考えかたです。
 たとえば、知床半島のような国立公園の天然林を切るな、白神山地のブナ林を守れ、というのは、そのとおり、大切な運動です。世界の森林が、経済成長のため、景気発展のため、という名目で、どんどん切られている現状も深刻です。地球規模での過剰な森林伐採は、いますぐやめなければなりません。土地の砂漠化、気候の温暖化、水不足、土壌の荒廃、につながっています。

 だが、「里山」の木は、人間に切られることで保存されてきました。人間の手がはいって、マキや炭を作るために、適度に干渉してきた。そのことで、里山の森は、森としての健康が保たれてきたのです。あるいは、植林された杉林を適正に成長させるためにも、間伐は必要な作業なのです。
 たとえば、1町=1ヘクタール(3000坪)に、スギを植林するときは、1坪に1本、計3000本のスギの苗木を植えます。それが高さ25メートル・直径30センチの40年生の杉林になったときに、400本程度になるように、十年ごとに間引かないと、いい林にならないのです。
 ですから「木を切る=環境破壊」ではないことを、認識して欲しいと思います。

 今は、農業だけでなく、日本の林業も、危機に瀕しています。それは、農業と同じく、外国産の安い材木が大量に輸入されるおかげで、日本の林業の採算が合わなくなっているからです。
 これも、へんな話です。日本は世界でも有数な森林国です。国土の70%が森林です。にもかかわらず、世界から、国産材より安いという理由だけで、木材を大量に輸入している。自国に十分な森林があるのに、外国の国土を、その貴重な森林を、はだかにしながら、大量に木材を輸入する。その結果が、世界の温暖化や砂漠化や食料不足に、影響をあたえている。経済合理性からいえばそうなのでしょうが、これも目先の利害しか考えていない。
 おかげで、日本の林業は採算が取れず、森林は手が入らない状態が続いて、荒廃に任せている、というのがおおかたの現状です。

 バイオ燃料とか、太陽光発電とか、科学は進歩していますので、石油や原発にたよらないエネルギーが主流になるときがくるかもしれません。
 でも、岩手の五反百姓としては、食料の自給自足と同時に、暖房エネルギーの自給自足もめざして、いまは自分ができる範囲で石油文明に対処していくことしかできないのです。


なぜ、オジイサンは山へシバ刈りに行くのか?

この箱ひとつで、約500キロのマキ。1シーズンで、10箱分燃やします。
マキ作りもあって、田舎暮らしはけっこういそがしい

「そのほうが安いから」という理由で、
遠くの国から運ばれた資源が大量に消費され、
国内の産業は圧迫されて危機に瀕する。
農業にも林業にも共通するこの図式、
やっぱりヘンだと思いませんか?
みなさんのご意見をお待ちしています。
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