070822up
つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、無農薬有機肥料栽培で育てています。
第二回
「美しいムラ」と「美しい国」のあいだで
安倍首相の本(タイトルは「美しい国へ」でしたか?)を読んでいないで、彼を批判するのは、いささか、気がひけます。
でも、レイム・ダック化した総理大臣の本を、いまさら買って彼に印税を贈呈するのもシャクなので、これからも読みません。
五反百姓は、お金もないし、野良仕事でいそがしいのです。
だいいち、やまねこムラには本屋がないのです。(酒屋は、2軒あるのですが・・)
でも、これまでの安倍さんの言動を見ていると、彼のめざす「国のかたち」というのが、本を読んでいなくても、おおよそ見えてくる気がします。
つまり、「美しい国」というより、ほんとうは「強い国」、もしくは「強いと思われる国」をめざしているように思います。
自衛隊という軍隊を、どんどん海外に派遣できるようにして、国際社会から(実際は、アメリカから、でしょうが)「国際貢献」したといわれたい、尊敬されたい、とか言ってますよね。つまり「あの国はよくやってる、立派だ」といわれたい、ということでしょうか。
「立派だといわれる国家」が、つまり、彼にとっては「美しい国」なんじゃないかと思います。
これは、見栄っ張りの発想ですね。「自分がどうみられるか」がまず気になってしまう。
だから、必要以上に、背伸びしてみせる。
個人でもそうですが、中身のない背伸びは、みっともない。危険でもあります。
日本は、まずこの国際的見栄っ張り、から自由になったほうがよいかと思っています。
そこで思うのですが、わたしたちは「国」という概念を、はっきりふたつに分けて考えた方がよいのではないか。
つまり、「国土」と、「国家」もしくは「国家体制」とを、はっきり分けて考える癖をつけたほうが、何かとわかりやすい。
「国土」ということから見たら、ほんとうに日本は美しい国です。国土の美しさを比べたら、日本は世界のトップクラスになる、と信じています。水道の水をそのまま、飲める国なんて、ほかに知りません。
わが、やまねこムラは、特に美しいムラです。(写真参照)。豊かな森に囲まれて、地味の肥えた田畑があり、きれいな水が湧いています。空気も清浄です。8月の空にはトンビが舞い、トンボやカエルやセミやクモなどの無数のいのちが、いのちを謳歌しています。
このムラに暮らして、ほんとうによかった、と思っています。このムラの自然と暮らしと文化を、これからもしっかり守っていきたい、と心から思います。
「美しいムラ」 私の家からの眺めです。
一方「国家」は、わたしたちに何をしてくれたのでしょうか。わたしは、あんまり期待はしていません。
たとえば、前回ふれた新農政(品目横断的経営安定対策)は、このムラを混乱させています。ムラの生態系を壊している、と思います。だから、むしろ、あんまりでしゃばらんで欲しい、とさえ思っています。
六十数年前、この静かなムラからも、青年たちが兵隊として「国家」に徴兵され、遠い外国に連れて行かれて、その何人かは戻ってきませんでした。
あるいは、捕虜になり、シベリアで抑留されて、人に語れない苦労をしてきた人もいます。
「銃口を突きつけらるる夢の夜 うなされゐしと妻に起こさる」
「シベリアに石炭掘りし捕虜の日の 手に残る傷触れれば痛し」
「ラーゲルの薯を盗みて食いしこと 思い出しつつ薯の種蒔く」
今年八十歳を越えた老農夫の、詠んだ歌です。
安倍首相が掲げる「美しい国」の姿。
でも、それとは違う、守りつないでゆくべき「美しさ」を、
すでに私たちは持っているはずなのです。
次回もお楽しみに!
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