戻る<<

やまねこムラだよりー岩手の五反百姓からー

070808up

つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、無農薬有機肥料栽培で育てています。

第一回

日本の農産物は本当に高い?

 はじめまして。岩手で百姓やっている人間です。 農民として最低限の農地、5反しか耕していない小農です。昔はビンボーな農民を「五反百姓」といったそうです。その立場からの発言です。よろしくお願いします。


  ところで、「品目横断的経営安定対策」って、聞いたことありますか?

 都会のひとは、まず知らないでしょうね。 なんか、読むだけで舌が絡まってしまいそうな感じですよね。 じつはこれ、今年4月から始まった新しい農業政策の名です。

 内容は、個人なら4ヘクタール以上、集落営農(共同経営)なら20ヘクタール以上の農地を経営する農民(「担い手」といいます)だけを支援して、効率性の高い農業をめざす、という趣旨です。 逆にいうと、4ヘクタール未満の農地しか持たない農民は、政府として支援しない、という政策です。

 小泉さん時代の「構造改革」のひとつなのでしょう。農業の世界にも、競争原理を持ち込んで、「勝ち組」農民と「負け組」農民を、はっきり分けてしまおう、という趣旨です。

(注)1ヘクタール=100アール=10000平方メートルです。約3000坪。
五反百姓の五反は、約50アール、1500坪。 東京ドームが、約4ヘクタールです。

 ところが、岩手だけでなく、日本は山が多い国です。中山間地といって、山や丘に囲まれた山間のムラに農地が多くあります。こんなところで、個人で4ヘクタール以上の農地を持つ農民は、あまりいないのが現状です。 どうして、こんな農政がでてきたか、というと外国産の農産物にくらべ、日本の農作物は高い、ということがありました。これは事実です。

 だから、国際価格として、外国産の農産物に対抗したい、しなくちゃ、という農水省の役人の判断、というよりあせり、があったと思います。

 いま、日本のコメを中国の富裕層に売り込んでいますが、その価格は中国産の20倍だそうです。麻生外務大臣の「どっちが安いか、アルツハイマーの人でもわかる」という失言の素になったことです。 つまり、日本産の農作物は集約型農業なので、時間も手間もお金も、そして肥料代も薬代も燃料代も機械代もかかり、高コストなのが現状です。

 たとえば、オーストラリアでは、個人で1000ヘクタールぐらいの農地を持つ農民はざらにいます。広すぎて、種や農薬を飛行機で撒かないと間に合わない。収穫も、戦車より大きなコンバインで、ドドーンと一挙にやってしまう。

 このオーストラリア型農業に、一枚1反(10アール)もないようなちいさな畑をシコシコと耕している日本の農業が、効率で負けるのは当然です。

 今回の新農政の基準をクリアした農民でも、1000対4、の戦いです。どっちが勝つか、アルツならぬ、アソーでも、十分わかることだと思います。

 つまり、これまで、日本の農業は、日本の地形や気候や農民の気質にあった日本独自の農業を展開してきました。いってみれば、緻密で高集約型の、手作りのぬくもりのある民芸作品のような農産物を作ってきました。とくに、果樹などは、ほんとうに芸術品です。

 それを、経済効率や国際競争力、という面だけに対抗するため、アメリカや豪州型の大量生産・大量消費の工業製品のような農業に見習え、といっているのが、今回の新農政ではないか、と私は考えています。

 もちろん、食べ物は毎日のことだから、安いほうがよいのに決まっています。 でも、食べ物は毎日のことだから、うまくて、新鮮で、安心できるほうがいいのも、確かです。

 どちらが、いいのでしょうか。

 「戦争を二度としない」という誓いを、日本は憲法9条でしました。 戦争は、人が理不尽に死ぬからです。 でも、戦争だけでなく、飢餓でも、人は理不尽に死にます。

 (現に、世界で500万人の子どもたちが毎年飢餓で死んでいくのです。)

 日本の食料自給率は40%です。6割は、外国に依存しています。 だから、食料は自分の国でつくる。これも、理不尽な死に方をしないための自衛手段です。 ミサイルや、戦闘機を持つより、自分たちの食料を自分の国で100%作る。

 日本の農業をまもるために、少し高くても、日本の農産物をみんなで買い支える。 そのほうが、よっぽど、日本のセイフィティネットとして、確かなのではないでしょうか。

 高いといっても、ごはん1膳分(5勺=90グラム)のコメが、農家には18円にしかなりません。これでも、日本の農産物は、高いのでしょうか?


日本の風土や地形にあった独自の農法による
”安心で美味しくぬくもりのある農作物”
を、私たちは経済効率やグローバリゼーションの
名の元に手放してしまっていいのでしょうか?
生命を紡ぐ食べ物の生産を、ほかの国に頼らない。
それは、食料を巡っての争いを起こさないための、
ひとつの「自衛」の形でもあるはずです。
次回もお楽しみに。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条